第十七話(04)
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ディアナと医者を宿屋に残し、カラスが向かったのは『地下水路管理部本部』だった。地図を頼りに大通りに出れば、あとは簡単だった。『地下水路管理部本部』は『星油の泉』のすぐ横にあると、医者から教えてもらっていたのだ。
「すみません、ちょっと」
カラスがノックしてから扉を開ければ、ちりんとドアベルが鳴った。中は書斎と倉庫を合わせたような部屋になっていた。本がぎっしりと並んだ棚に、壁に張られた地図やスケッチ資料のようなもの。本が並んでいない棚には、見たことのない道具がいくつも並んでいる。
「やあ、水路に何か落とした……あれ、見かけない顔だな?」
何人かがそこにいて、一人の男がカラスに声をかける。
「これを」
カラスは書類を彼に手渡した――宿屋を出る前に医者から預かった手紙だった。ディアナに何が起きているのかも書いている。
男は内容を確認したのなら、すぐに建物の奥へと向かっていった。しばらくして、別の男が奥から現れる。彼は手を叩くと。
「お前達、地下水路に行く準備をしてくれ! いよいよ万能薬の薬草を採りに行くぞ」
――一気に建物内がざわめき始める。しかしそれは、やる気に満ちたものではなかった。戸惑い、嫌悪、恐怖、そんな表情を、カラスは確かに見た。
「初めまして、シバロニだ。ここのリーダーをやってる」
皆に指示を出した男は、カラスの前に来れば挨拶をしてきた。カラスも簡単に挨拶をし、名乗る……その最中、無意識にだろう、シバロニがフードの下を気にしたようだったので、少しだけ身を引いた。と、
「リーダー、本当に行くんですか?」
若い班員だった。カラスと同じ年ぐらいか、もしかするとそれよりも若い少女だった。不安そうに眉を寄せている。
他の班員も不安そうな瞳をシバロニに向ける。だがシバロニは、
「お前達がびびって行けないでいるから、いま病人が苦しんでいるんだ」
そして改めてカラスに向き合えば、
「手紙には、君も連れて行ってほしいと書いてあった……ぜひついてきて欲しいんだが、どうだろう」
ちらりと、背後の班員達に彼は瞳を動かす。小声で。
「……ここ最近入って来た班員達が臆病すぎて仕事になってないんだ。だから、手本というか、勇気があれば誰にでもできるというか……そんなところを見せてほしいんだ。旅人なら、暗いところは問題ないと思う」
「構わないけど。薬草についても知りたいし」
「よし――彼女も一緒に行くそうだ! 彼女の分の道具も用意してくれ!」
室内が更にざわついた。そんな中でも、シバロニは一人を捕まえれば指示を出す。
「お前は町長のもとに行け。薬草採取には許可が必要だからね……報告するんだ」
すぐにその一人は外へ出ていった。残された者達は、気乗りしない様子で準備をしているが、見た目からして熟練者であろう者が声を上げる。
「早く準備を済ませること! シバロニ、もう町長の返事も待たずに行くつもりだろう?」
「うん。どうしても必要なものだし、町長も理解してくれるさ」
班員達が準備する様子を、カラスは眺めていた。大きな槍のようなものを持つ者もいれば、身軽な者の姿もある。それぞれ役割が決まっているのだろう。
「万能薬の薬草を採りに行くなんて……あれ、一番奥にあるんでしょ?」
会話が聞こえる。
「無事に戻って来られるのかな……以前、大怪我した人もいるって聞いたよ」
そんな話が聞こえてしまったものだから、カラスはシバロニに尋ねる。
「地下水路って、そんなに危険なの?」
昨日、子供でも道を知っていたのだ。確かに暗く思えたものの、そんなに危険には見えなかった。
「パニックを起こせば」
シバロニは短く答える。
「水路に落ちる者もいる。幻覚を見る者もいる。梯子から落ちる者も」
「……先に言っておくけど、私、泳げないわよ」
街によっては、川や泉がある。そこで生まれた者ならば、水泳ができる者も少なくなかった。泳ぐ場所があるからだ。ところが、そういった街の方が珍しく、人間というのは泳げないのが当たり前だった。
街の様子から、きっとここの住人は泳ぐことができるのだろうが、カラスは違った。
「落ちなければ大丈夫。落ちたのなら、泳げる者が助けにいく」
と、シバロニのもとに、荷物をいくらか抱えた班員がやって来た。確認すると、彼はそのまま、荷物をカラスへ渡した。
これが地下水路へ行くための道具なのだと、カラスは察する。ゴム製の靴に、厚手の外套、地図に携帯食料、そして星油ランタン――。
そのランタンを見て、カラスは目を疑ってしまった。非常に小さいランタンだったのだ。
街の外に行くわけではないものの、少し不安を覚えてしまった。果たしてこの大きさで、あの水路の暗闇を十分に照らすことができるのだろうか。
きっと、ぎりぎり足元が見えるか見えないか。予想通りであるのなら、班員達が危険視するのにも納得がいく。
加えて彼らはおそらく、街の外に出たことがない者ばかりだろう。
暗い顔をして準備をしているのは、いままで行かなくてはいけないものの行けなかったのは、当たり前なのかもしれない。
 




