第十七話(02)
* * *
無事に宿屋に着いた後、主から地図を渡された。
「この街は水路があって入り組んでて、迷子になりやすいのよ。よかったら使ってちょうだい」
貸し出された部屋は整っていて、耳を澄ませば静寂が心地よかった。カラスは夕方まで、部屋で地図を眺めて過ごした。どこに何があるのか、明日どこへ行こうか考えていたのだ――花屋や食材屋が多いように見える。交換屋へ行った後、それらを回って何か特産品を得られたら、次の街で交換に使えるだろう。
夕飯の時間になったらしく、部屋の扉をノックされた。食堂へ向かうと、他の旅人の姿はない――どうやらこの街にいる旅人は、自分一人だけらしかった。
「さあどうぞ、召し上がれ!」
宿屋の主が、食事の載ったトレイを置く。カラスはそれを持って部屋に戻ろうかと思ったが、
「もしよかったら、一緒に食べない? いま泊っているの、あなたしかいなくて、運営してるのも、私一人しかいないの」
彼女にそう言われ、簡単には断れなかった。一度親切にしてくれた相手に、事情があるといっても、そう冷たくはできなかった。
「そうそう、私はディアナよ。よろしくね」
食堂でカラスは夕食をディアナと共にとった。フードは外すことができなかった。色素のない髪、赤い瞳を見て、騒がない人間はほとんどいない。
幸いにも、ディアナは、カラスのフードについて何も言わなかった。もしかすると彼女は、多くの旅人を相手にしてきた者なのかもしれない。だからこそ、街の外からやってくる旅人の思想ややることに、口出ししない、疑問に思わない。街の中と外、そこが違う世界であり違う文化も存在しているのだと、知っているのかもしれない。
もっとも、カラスのフードは、思想や信条によるものではないのだが。
「……おいしい」
思わず言葉を漏らしてしまうほど、料理はおいしかった。特に野菜のソテーがおいしい。見た目が色鮮やかで、それだけで素晴らしいものであるにもかかわらず、味もとてもいい。
顔を上げれば、正面で食事しているディアナと目があった。
「料理、上手なんですね」
少し誤魔化すようにしてカラスは伝える。すると、
「ありがとうね。でも、そもそもこの街の野菜がおいしいのよ。地下から湧き出るたくさんの水のお陰でね」
街中で青々とした葉をつけた木々を、カラスは思い出した。野菜も樹と同じように、すくすく成長しているのかもしれない。
「だからね、この街の特産品といえば、野菜になるの」
野菜が特産品……あまり聞いたことがない話で、カラスは不思議に思う。
そもそも、生ものが特産品ということが珍しいのだ。
「確かにおいしいし、特産品って言われるのも納得だけど……私じゃ持っていけないわね」
日持ちする野菜もあるかもしれないが、全てがそうではない。そして野菜というのは、案外大きいものなのだ。
「行商人でもないと、そのまま持っていくのは確かに大変ね」
おいしいのに、とディアナは少し残念そうな顔をした。だが、
「でも加工して瓶詰にしたものもあるのよ。もしこの街で交換屋に行ったり、何か特産品を探すのなら、ぜひ野菜の瓶詰を選ぶといいわ!」
他の街の食べ物を欲しがる人は、少なくはない。高値がつく場合もある。
それに、と、また一口食べてカラスは思う。
――これなら食べてもいいかも。
物々交換に使うだけではない。旅の食料としても、いいかもしれない。
少食であり、普段であれば、宿屋の食事を全て食べきれないことが多かった。しかしその日カラスは、夕食の全てを食べられたのだった。
* * *
翌日の朝。
よく眠れたカラスは、朝食を楽しみにしながら食堂へ向かった。思えば、こんなに食事に楽しみを見出したのは、いつぶりだろうか。
あまり食べたくないと、思っていたのだ。
特に、肉類。
……昨晩のメニューは野菜が多かった。しかもおいしい野菜だ。それのせいかもしれない。
食堂には誰もいなかった。他に旅人が泊っていないのだから当たり前だが、ディアナの姿もない。
そういえば、一人で運営していると言っていた。それなら、いま一人で朝食を作っているのではないだろうか。
街と街を繋ぐ存在である旅人は、街の宿屋に無償で泊ることができる。だがいまは自分一人が面倒を見てもらっている状態でもあり、何か手伝えることはないかと、カラスは厨房を覗いた。
「おはようございます――」
そして息を呑み、一瞬の間を置いて、駆け出した。
――ディアナが、倒れていたのである。
 




