第十六話(05)
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目が覚めて、星油ランタンを見たのなら、その色から今が朝だとわかる。
ところが目覚めた場所がベッドの上であるにもかかわらずひどく静かで、その上暗い室内だ。街の中であるのに、街の中ではない。ひどい違和感を覚えながらもデューゴは身支度をした。
「街の外なら、朝でも静かなのは当たり前なのに、変な感じだね」
エピも同じように感じていたらしい。デューゴは目を擦りながら頷いた。
その様子に、エピは気付いたのだろう。
「眠れなかったの?」
「まあ……そうかもな。夜のうちに、物音が聞こえた気がする」
実際眠りは浅く、物音が聞こえたような気がした。ただ、その物音で眠れなかったのか、はたまた――こんな街だ、落ち着いて眠れなかったからその音を聞いたのかは、わからない。
とにかく眠れなかったのは確かであり、しかし老人に言われた通り、花を探しに行かなくてはいけない。
身支度を終えて二階から一階へ移動したのなら、そこにあの老人の姿はなかった。談話室には、昨晩と同じように物資が置かれていた。星油や水に加えて、長期保存に向いた干し肉やビスケットなどもあった。そのビスケットを朝食にして、二人は家の外へと出た。
扉を開けたのなら、人々で賑わい、星油の街灯が照らす町並みがあるはずだった。にもかかわらず、闇に包まれた街が二人を見下ろす。死にゆく街は、星油ランタンの光に照らされて、どことなく二人を忌避するかのように影を伸ばす。
地図を持ったエピが先を進む。
「多分、こっちの道だと思うよ……暗い街の中を歩くの、慣れてないから、間違えたらごめんね」
「『慣れてる』って言われなくてよかったぜ、そっちの方が、なんというか困る」
昨晩話した通り、まずは花屋へ向かうことに決めていた。街の南、そこにある大通りに面した建物だ。地図で見た限り、他の建物に比べて大きいらしい。もし光に満ちた街であれば、すぐに見つけられたかもしれない。だが暗闇に沈みこみ、よく見えない。到着には少し時間がかかった上に、一度その正面を通り過ぎてしまった。
道中、何の気配もなかった。ひたすらに、世界は無機質だった。
扉に鍵はかかっていなかった。昨日も街の探索をしたものの、どの家にも鍵はかかっていなかった。だから扉を開ける度にデューゴは思い出していた――街を捨てる際、家に鍵はかけないでおこうと父親が言っていたのを。いつかこの街に来た旅人が、使えるものを探して家に入るかもしれないから、と。
まさか自分がそうなると思っていなかった。
店に入ると、わずかだが、土の匂いが鼻をかすめた。
「すごく広いね。きっと、前はすごくきれいな場所だったんだろうね」
エピが星油ランタンを掲げて店内を照らす。歩いたのなら、埃がちらちらと舞ってランタンの光を曇らせる。
店の中に奇妙なものを見つけて、デューゴが進む。台座のような何かで、よく見ると背の低い街灯のようにも見えた。
「これ……街灯っぽいな」
「きっとそうだよ。これで植物を育ててたんじゃないかな」
こんこん、とエピが叩いたのはガラス部分だった。そのまま撫でるように拭えば、中に星油ランタンの仕組みと同じような芯が見えた。
「これがあると、植物がよく育つし、花もきれいに咲くんだって。実際、似たのがあった花屋の植物はみんな生き生きしてた」
とすると、まだ生き残っている花があるかもしれない。生命力のある逞しい植物がここで育っていたはずだ。デューゴは辺りをランタンで照らし、見回す。エピも別の場所を調べ始める。
隅々まで調べてみた。もの自体は少なく、おそらく街を捨てる際にいくらか持って行ったのだろう。だが低木の植木鉢はさすがに荷物になるとされ、おいていかれたらしい、一角には枯れた低木の植木鉢いくつもが並んでいた。どれも全ての葉を落とし、彫刻のように見える。デューゴは無理やり進んで奥の方まで見ようとしたが、その際枝がひっかかったのなら、ぱきんぱきんと枝は折れてしまった。まるでお菓子のようで、しかし折れたそれを拾ったのならひどく冷たく、動物の骨のように思えた。
エピも店の中を細かく調べていた。よく見ようとして、足元にあった小さな植木鉢を蹴ってひっくり返してしまっていた。その際に「うわっ」と彼が声を上げたものだから、デューゴは慌てて駆けつけてしまった。
時間をかけて、店の中をよく調べる。いくら店として広いと言っても、暗闇の中では狭かった。暗闇が世界を閉ざす。暗闇という物質が店を占めている。
結果として、花は見つからなかった。それ以外の植物も、役に立ちそうなものも。
「――だめだね」
希望がないのでは、とデューゴが思い始めてからしばらくして、エピが見切りをつけた。
「もし枯れかけでも残ってたら、ランタンの光でぎりぎりどうにかできるかもしれないのに」
エピは肩を竦めて苦笑していた。対してデューゴは溜息を吐く。
「一番のあてが潰れたぞ」
「確かに一番期待できるのはここだったけど……まだ公園があるよ、デューゴくん。果樹園だって、何か花をつける植物が残ってるかもしれないし」
とはいえ、一番花が残っている可能性がある場所が、この花屋だったのだ。果たして他の場所にあるのか、デューゴは顔をしかめるしかなかった。
仕方なく、二人は花屋を出た。畳んだ地図を、エピが確認する。
「公園よりも、ここからなら果樹園の方が近いかな……ていうか公園遠いね、街の一番はしっこにあるんだ……」
と、二つあるうちの一つの光が揺らめく。デューゴの星油ランタンだった。杖の先にぶら下がったそれの光は、どこか不安定に見える――星油が少ないのだ。節約のために、少量しか入れていなかった。
「……もう明日にしてもいいかもね。結構時間経ってるし、大変だし」
星油ランタンの色は、まだ黄色ではなかった。しかしじわりと黄色みがかっている。昼は過ぎてしまっていた。
「それとも、果樹園の方が近いから、そこの様子を見てからにする?」
そうエピが小首をかしげた時だった。
暗闇の中、何かが蠢いた。はっとして、エピもデューゴもそちらへ視線を向ける。
暗闇の中だから、よくはわからない。けれども確かに、何かがそこにいる気配があった、そこの暗闇だけ、何かがおかしい――真っ黒に塗りつぶされた何かが、ある。まるで世界に穴が開いたように、そこだけ異様に黒かった。
穴のようにも見える正体不明のそれは、少しの間、動かなかった。だがうねるように動きはじめた。液体のようにも見えるそれ。はたまた、動物が全身の毛を逆立てているようにも見えるそれ。
ばさり、と音がする。エピが地図を落とした音だった。あいた手を、自身のランタンに伸ばし、芯の調整つまみに触れる。
その直後、眩しい光が周囲を不意に照らし出す。その光に怯えたように、漆黒の何かは縮んで消えていく――消えていったのか、逃げていったのか。
何があったのかとデューゴが光を見れば、エピが自身の星油ランタンを高く掲げていた。ランタンの光は、いつもよりも激しく見える。その状態で、エピはしばらく動かなかった。ようやく動き出したかと思えば、そろそろとランタンを下ろし、再び芯の調整つまみをいじりはじめた。すると、星油ランタンの光はもとの大きさに戻る。どうやら芯を出すことによって光量をいじったらしい。
ただそれは、芯を消耗してしまうものでもあって。
そして今しがた追い払ったのは、間違いなく。
「『暗闇』だったね」
静かにエピが言う。
「やっぱり街に入り込んじゃってるんだ……今日は戻ろうデューゴくん。星油ランタンをちゃんとしていかないと、街を調べるのは危ないよ」
地図を拾い上げて、エピはデューゴを見る。帽子の下にあるのは、凛とした顔だった。
デューゴは何も言わずに頷いた。ただ自分の体温が異様に下がっていることだけを感じていた。
『暗闇』。全てを呑み込んでしまうもの。大きいものなら人間すらも呑み込んでしまう、未知のもの。恐怖そのものと言ってもよく、かつて家族を呑み込んでしまったもの――。
 




