第十六話(02)
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門をくぐって、街の中へ入る。いつもなら、そこは光に溢れた場所で、行きかう人々の姿があり、旅人である自分達に気付いて声をかけてくる人もいた。けれども暗闇に沈んだ街はただ静かだった。火のない街灯と、枯れ果てた木が呆然と立っている。
エピとデューゴは、並んで街の中を進んでいく。もはやそこは、街と言っていいのかわからなかった。形だけは街だが、人も明かりもないこの場所を、果たして街と言っていいのか。
妙な寒気をデューゴは感じていた。きっとここが街中だからだと、考える。街というのは温かい場所だ。でもここは違う、もう街とは呼べない。だからこそ、寒さがより感じられてしまう。
いま進んでいるのは、どうやら大通りらしかった。道の広さや、先程見た外壁の造りからも考えて、この街は比較的大きな街だったらしい。エピを見れば、星油ランタンを少し掲げて歩き続けている。このまま『星油の泉』を目指しているらしかった。『星油の泉』は、多くの場合、街の中心にある。
デューゴはただ無言でエピの隣を歩いていく。エピがいなければ、進むことができなかったかもしれない。それでも、目はよく動く。暗い街の中を、よく見てしまう――もしかすると、ここが自分の街である気がして。
そんなことはないはずだった。これまで進んできた方角からから、そしてこれまで旅してきた距離から、きっとたどり着くはずのない場所だった。故郷はもうきっと暗闇の深い場所に沈んだ。もしかすると『暗闇』に呑まれて完全に消えてしまったのかもしれない――家族のように。
だから、ここは故郷ではないのだと。
そう思って。
――大きな影が、離れた場所に見えた。
人が住む家にしては、妙な家。
鶏舎。あの形はきっとそう。
――気付いた瞬間、デューゴは走り出していた。道がわかるかのように、まっすぐにその場所へと向かう。背後から「デューゴくん!」と声が聞こえても足を止められない。
暗闇を払うように星油ランタンの杖を掲げる。亡霊のような家々の影の間に割り込むように進めば、鶏舎が近づいてくる。やがてその前にたどり着く。間違いなく、ククッコドゥルを飼育していたのであろう建物だった。自分の家がそうだったからわかる。自分の家も、まったく同じだったから。
暗闇の中に佇む鶏舎は、それでも、ククッコドゥルの鳴き声が聞こえてこないのが不思議なほど、しっかりとしてそこにあった。人の気配も、家禽の気配も一つもない。ところがこちらを睨みつけるかのように見下ろしているかのように思えて、デューゴは自然とランタンの灯りを下ろしてしまっていた。
これ以上先に進むのが怖くて、デューゴは立ち止まったままだった。ようやく一歩踏み出したところで、ぱきり、と何かを踏む。
瞬きをして見下ろせば、足の下に汚れた羽があった。随分と立派な羽で、足をどけたのなら羽軸が折れてしまっていた。ククッコドゥルの羽だろう。
見覚えのない羽だ――ククッコドゥルというのは、街によって全く違う羽を持っていたり、まったく違う性質だったりする。
深呼吸をして、デューゴは再び鶏舎を見上げた。
見覚えのない鶏舎だ。
背後から慌てた足音が聞こえてくる。
「もしかして、ここ……」
デューゴが振り返ったのなら、少し難しい顔をしたエピがそう口を開いた。だから、
「いや、違った。大丈夫だ……」
実家のものに見えた鶏舎は、まるでいまの一瞬、暗闇の中で姿を変えたかのように、見覚えのない鶏舎になっていた。
「にしても、本当に、誰もいなんだな……ククッコドゥルも残してないし」
俺の時は残してたんだけど、と、デューゴは誤魔化しに笑う。
エピは数秒黙った後で、鶏舎へと歩き出した。汚れた窓から、中を覗く。
「ここは多分、かなり前に捨てられたんだと思う」
そう言ったエピと並んで鶏舎の中を覗くと、もう何日も手入れをされていないような様子が、暗闇の中、ぼんやりと形を浮かび上がらせていた。
「こういう街は初めてじゃないのか?」
気付いて、デューゴは尋ねてみる。エピは、
「何度かね、やっぱり、あるんだ、こういう街」
そして窓から離れたのなら、そのまま来た道を歩き出す。
「大分前に捨てられたのなら、物資がどこのくらい残ってるのか、ちょっと不安になるね。『星油の泉』に急ごうか」
――二人で大通りまで戻り、再び『星油の泉』を目指す。道中、灯りのついている家はどこにも見当たらなかった。エピとデューゴが歩けば、枯れた木や街灯、家々の影がぐるりとまわるように蠢く。窓ガラスは鈍い光を反射させる。窓ガラスが割れた家では、内に孕んだ漆黒に光を取り込んでいた。
ほかの建物と同じく『星油の泉』も暗闇の底に沈んでいた。中に入っても暗闇ばかりで、しかし先に、割れたガラス片の輝きにも似た光を見つけた。
星油だ。くりぬかれて作られた泉の底で、ほんのわずかだが残っている。
「よかった! 本当に残り少ないけど、ある……」
この街に入って初めてデューゴはぱっと顔を明るくさせた。エピは泉の底へと降りていく。くりぬかれるようにして作られたその『星油の泉』には、底へ降りられるように階段が設けられていた。その階段を降りて、底へと向かう。
底では、星油が湧きだす噴出孔の周りだけに星油が残っていた。エピは素早くリュックからコップを取り出すと星油をすくう。そうやって一回すくっただけでも、星油はコップの半分ほどしか採れない。
「ほかのものを探す前に、ひとまずとっておこう」
続いてエピはオイルのボトルを取り出そうとしたが、
「――挨拶もせずに星油を持っていこうとは」
不意にそんな声が聞こえた。デューゴの真後ろからで、とっさにデューゴが振り返ったのなら――暗闇の中、ぼんやりと人影が浮かび上がっていた。
「うわぁっ!? ひ、人……?」
確かに人だった。年老いた男で、杖を手にしていた。老人が歩き出したのなら、かつかつと杖をつく音が響く。それでデューゴは察した――この老人、自分達がここに来る前からこの場にいたのだ。それまで杖の音や足音は聞こえなかったではないか。
老人はまずデューゴを睨み、それから泉の底にいるエピを睨んだ。
「すみません。もう誰もいないと思っていて……」
エピは老人を見上げて謝った。
「街を捨てた奴らと一緒にするな」
だが老人は吐き捨てるようにそう返したものだから、そこに妙なものを感じてデューゴは顔をしかめてしまった。
嫌な奴に思える。
「僕達、旅人です。この街から人がいなくなってることなんて知らなくて……」
エピは特に何も思わなかったのだろうか。そう言葉を続けた。
「星油や食料を分けてもらえませんか? 僕達、旅をするのに必要で――」
ところが、老人が杖の上部を持ったかと思えば先端をエピの方へ伸ばし、エピの持つコップを弾いてしまった。からんと音が響いて、星油がこぼれ泉に戻っていってしまう。
「もう全部が残り少ないのに? お前達にやる分はない」
「じいさん、お前さぁ……!」
すぐさまデューゴが声を上げようとしたが、泉の底にいるエピがさっと手で制した。だからデューゴは怒りを呑み込むしかなかった。
老人は二人を軽蔑したのなら、ふんと鼻をならし背を見せた。出入口へ向かっていく。
「ただし私の言うことを聞いてくれたのなら、話は別だがな」
――デューゴは再び声を上げそうになったが、またしてもエピに止められてしまった。
「エピ、大丈夫か?」
泉の底から戻って来た彼に、デューゴは尋ねる。エピは頷いて、出入口へと向かう――老人を追って。
「行こう、デューゴくん。星油も物資も必要だからね……話を聞いてみようよ」
「あんな奴どうでもいいだろ! 黙って持っていこうぜ」
「でもあの人、まだここで生きてるんだよ」
まだここで生きている――この街は死に瀕しているといっても過言ではないのに。
デューゴはなかなかエピを追いかけられなかった。それでもゆっくりと歩き出した。




