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星灯りと明けない夜  作者: ひゐ
第十五話 箱の中身の証明 ~ジェラームの物語~
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第十五話(03)


 * * *



 その日の夜、ジェラームはスケッチブックに描いた絵を、改めて描き続けていた。

 描きかけの絵や下書きはたくさんあったが、先に手をつけていた絵は、アーディの話した歌う花のある街の絵だった。


 詳しくは聞けなかったその話。ラッパに似ているという、歌う花の詳細な姿形、色までは聞いていない。それでもジェラームはぱっと絵具をとったのなら、それで着色していた。童話の挿絵のような光景が、徐々に作り出されていく。


 幻想的な光景に、これを見た人は間違いなく思うだろうと、ジェラームは考える。

 これは「誰かの想像」だ。

 ――実際、話を少し聞きかじっただけの、自分の想像でしかないのだか。


「……でも、もし本当だったのなら、面白いんだけどねぇ」


 どこまでも続く暗闇を、自分は長いこと、見つめてきた。

 まさに塗りつぶした黒色であるからこそ――様々なものが見える。そんな風景を。


 しかしそこで改めて思い出されるのが、アーディの妙な言動だ。旅人である自分を見て、まるで怯えたかのように家の中に入ってしまった。

 それに、彼の話は普通に考えて。


「……でも案外『普通に考えて』が通用しない場合もあるしなぁ」


 一人、ジェラームは筆を止めて言葉をまた漏らす。

 顔を上げた先にあるのは窓だった。ジェラームの瞳は、窓の向こう、街の光のその先にある、暗闇を見つめていた。


 何もないように見える闇。しかし確かに何かがあって、また何かがあるだろう、黒色。

 ――スケッチブックをめくり、新しいページを露わにしたのなら、画家の筆は白紙を黒色に染めていく。



 * * *



「やあ子供達! 今日も私の話を聞きに来てくれたのかい――」

「子供じゃないけどそうだなぁ」


 ジェラームが一人でアーディの家に向かったのは、翌日の朝のことだった。

 ジェラームの帽子に半ば隠れたような顔を見るなり、アーディの表情は凍りついた。かと思えば、老いを感じさせないほどの勢いでジェラームの腕を掴み、


「き、君! ちょ、ちょっとこっちに!」


 そう慌てた様子で、アーディはジェラームを家の中へ招き入れたのだった。


 ジェラームは特に抵抗しなかった。家の中をぼんやりと見回す。

 至って、普通の家だった。雰囲気も、置いてあるものも、何も変わらない。外から見た時も思ったが、中を見ても「偉大なる旅人」の家とは思えない様子だった。


 ただ一つ、気付いたことがある。アーディは片足を引きずるようにして廊下を進んでいた。


 リビングに通され、アーディに促されるまま、ジェラームは席に着いた。アーディはその正面に座り、両肘をテーブルにつき両手を組んだ。そして言う。


「頼む……! 子供達の夢を壊さないでほしいんだ! 街の外にそんなものはないと、言わないでほしいんだ!」


 それは一種の告白だった。


 思い出したように帽子をとったのなら、ジェラームは頭をかき、しばらく無言でいた。

 いまのアーディの言葉。つまり自分が話した旅物語は、全て嘘だと認めた言葉。


「……ってことは、やっぱりあれ、全部作り話だったわけか」


 やっぱりな、と思う気持ちと同時に、残念に思う気持ちがないわけではなかった。やはりおかしな話だったのだ。ジェラームは思わず笑って椅子の背もたれによりかかる。アーディは、


「当たり前だろう! いやあ、滅多に旅人が来ない街だから、君のような旅人が来てびっくりしたよ……どうか、作り話だってことは秘密に……」

「それにしても……子供達はまあ、大人も信じているみたいだったけど」


 ジェラームは宿屋の主人の様子を思い出す。あれは明らかに信じていた、子供達に付き合っている様子はなかった。

 だからこそ、自分も「偉大なる旅人」の話は本当かもしれないと思ったのだ。大人なら、何が正しくて何が嘘なのかわかっているはずだ、と。


「言った通り、この街にはほとんど、というよりも全く旅人がこない……だから、街の外がどうなっているのか、暗闇の向こうがどうなっているのかなんて、情報がほとんどはいってこないんだ」


 アーディは焦りで顔を歪めたまま、早口で説明した。


「住人も外に出ることはほとんどない……出たとしても……まあ、帰ってこない場合が多いし……伝達役については、私がやっているからね。足を悪くして長期の旅ができなくなっても、そのくらいならまだできるから……」


 それでか、とジェラームは納得する。

 実際世界がどうなっているのか知らなければ、「世界はこうだ」と言われた際、それを信じてしまうだろう。


 ――太陽と月と星がなくなって世界を覆った暗闇のせいで、街は閉ざされていると言っていい。閉鎖的なのだ、物事も、情報も。

 間違った知識が、その街では当たり前に広がっている……そんなことは、ジェラームも旅をする中でいくつか見てきた。この街も、似たようなものなのだろう。


「みんな本当と信じて疑わないんだ! 最初は……ちょっとした出来心で話を大袈裟にしただけなのに! 空飛ぶ街の話も……薬の材料集めの旅も……逆さ滝の話も……」

「逆さ滝?」


 初めて聞く言葉に、ジェラームは首を傾げた。すると、不意にアーディはふふんと笑ったのだった。


「大きな滝がある街の話さ! しかもただの滝じゃない、普通、滝は水が上から下に落ちるだろう? でもその街の滝は違うんだ、下から上に昇って、毎日決まった時間になると、爆発したように水が昇って、街に雨を降らせるのさ!」


 まさしく「偉大なる旅人」になった口調だったが、再び彼は焦り弱ったように背を丸める。


「あ、いや……もともとは噴水のある街だったんだ。噴水自体は珍しいけれど、かといって煌びやかなものじゃない噴水だよ……でも……本当のことをそのまま伝えたら……面白くないから……普通に考えたらあり得ない話なのに、大人も子供も信じてしまって……」


 身を丸めた初老の男は、あたかも叱られるのを恐れた子供のようにも見えた。若く見える、というよりも、幼く見えるのだとジェラームは気がつく。


「……あんた、本当のことがばれるの、びびってるんだろ?」


 声をかけたのなら、アーディがびくりと震え上がる。ジェラームは呆れの笑みを零して、


「それじゃあ単純に、作り話だって言えばいいじゃないか」

「そ、それは……」


 よりアーディは身を縮めた。言葉を探すように目を瞑る。その瞼が開いたかと思えば、憔悴しきった瞳は、よそへ向けられていた。

 果てに、観念したかのように彼は深い溜息を吐いた。緊張に強張っていた身体が緩む。


「……『偉大なる旅人』でいたいんだ。物語の中のような世界を旅した旅人になりたくて……それで、見栄で話を大袈裟にしてしまったんだ」


 懺悔するかのように、アーディはうなだれたままだった。


「……若い頃、暗闇の向こうにはきっと自分の見たことのないものがあると信じて……それで旅を続けていたんだ。きっと、夢みたいなものが見られると……確かに、行く先で初めて見るものはたくさんあった。しかし私は……期待しすぎていたんだ。だから、絶望して、でも……『そういう旅をした』ということにしたくて……」

「――ま、別に咎めようとは思ってないけど」


 ジェラームは笑みを浮かべていたものの、アーディと同じく下を見て、顔を上げようとしなかった。


「俺も本当だったら面白いと思ったけど……ま、どうせ誰にも本当のことはわかりやしない」


 手にしたスケッチブックに、線を走らせながら。気付けばシャッシャッと絵が生み出される音が室内に響いていた。


「ちょっと待ってくれ、君は一体何を……」


 ようやくアーディが顔を上げて、目を丸くする。

 ジェラームはいつの間にかスケッチの道具を取り出し、絵を描き始めていた。ちらりと顔を上げたのなら、彼はその絵をアーディに見せる。


「こんな感じでどうよ」


 描かれていたのは、水の流れが逆さの滝だった。街の中にあるようで、周りには人々の姿がある。


「一瞬でも、本当かもしれないと思ったんだ」


 唖然とするアーディをよそに、ジェラームは再び絵を描き始める。


「暗闇の向こうに何があるかなんて、俺にもわかりゃしないんだから」

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