第十三話(04)
* * *
隣街への手紙は、数日後に出来上がった。
「……手紙?」
「ああ……まあ、色々あるからね」
町長から渡されたのは、もはや本といってもよかった。綺麗に紐で縛られ、まとめられている。手紙とは呼びにくい厚さで、荷物にもなる量だった。
しかし、この街の人々の希望の塊なのだ。
紙の一枚一枚は、決して薄くない。綴られた文字も小さくはない。だが全てが、人々の希望だ。
「……すぐにでも行くわ」
手紙を受け取り、カラスはその場で旅の支度を整え始める。荷物はすっかり少なくなっていたため、時間はかからない。旅に必要なものも、手紙と共に町長から渡されたために、求めて街中を駆けずり回る必要もなくなった。
星油だって足りている。手紙が出来上がったという報せを聞き、町長のもとへ向かう前に、補給してきた。
カラスはすぐに旅立つ予定でここに来ていた。少しずれてきていたフードを直せば、顔に影が落ち、視界が暗くなる。いつもの世界が見えたような気がした。
「も、もう行くの?」
手紙の配達を頼んだ本人である町長が慌てる。カラスは少しも彼を見なかった。ただ、視線をよそに投げて、
「……こういうのは、早い方がいいでしょ。それに私、先に急ぎたいので」
この手紙はなんとしても、隣街に届けなくてはいけなかった。それもできる限り、早く。
ここ数日間、この街で過ごした記憶が思い出される。人々を手伝った。薬草に関して詳しかったために、植物の育て方にも詳しかった。いくらか知識を教えた。良く育つにはどうしたらいいのか。実りを増やすにはどうしたらいいのか。あとは一緒に食事を作ったり、多く会話することは避けたものの、それでもいくらか喋ったり。
まるで、街の一員のように、過ごした。
だからこそ、急ぐ。
街のためにも――居心地がよさ過ぎると思う前にも。
カラスはそのまま、生まれたての街をそっと離れていった。暗闇の中に、小さな星油ランタンの光が儚げに揺れる。別れを誰にも告げなかったのは、性分からだけではなく、これ以上、絆を得たくなかったためだった。
どうしてだろう。普段なら、街を離れ旅立つ際、暗闇は懐かしさを覚えるほどに居心地がいいと思えた。
けれども今は違う。少し、息がつまるような感覚があって、思わずカラスは振り返った。
光の湖に沈んだような街が、彼方に見える。いずれあの光は大きくなり、城のようになるのだろう。
なんだか、羨ましく思えた。
――誰にでも、居場所はある。
ぼんやりと、街でのことを思い返す。
……いつか自分も、彼らのように優しい光を見つけられるだろうか?
こんな、自分のような人間にも。
――いや、と目を瞑る。暗闇へ向き直る。
自分は……まだ人間と名乗っていいのだろうか、と思ってしまったから。
見た目のためではない。過去の問題だ。
唇を舐める。いつの間にか切れていたらしい、血の味がした。
それでも、小さな光を夢想せずにはいられなかった。
姉の笑顔を思い出す。
誰かが、許してくれたのなら。
誰かの命の上に立っていることを、許されたのなら。
……その許しを唯一くれたであろう姉は、もういないのだけれども。
だからこそ、歩く。星油ランタンを握り、カラスは暗闇を見据えた。
やることがある。
それは、姉が大切にしていた「ある旅人の手記」を、その旅人に返すこと。
……それで自分は許されるとは思っていないものの。
姉の願いを叶えることが、自分のやるべきことだと考えて。
「エピ」
ふと、その旅人の名前を呟き、暗闇を見上げた。
「……私にも、小さな光が見えるかしらね」
暗闇には、何もない。塗り潰したような黒色だけが広がって、隠されたその向こう側も、漆黒であるような気がした。
それでも瞼を閉じれば、見えない光が浮いている気がしたのだ。
* * *
――隣街への手紙の配達は無事に済んだ。
配達はできたものの、その内容が受理されるかはわからなかった。もし断られそうなら、意地でもいくらかやらせてやる、そんな気持ちでカラスは挑んだが、
「これは……急いで人を送らないと!」
少し年老いた女が、その街の町長だった。彼女はすぐに人を呼び、皆で手紙の内容に目を通し、必要な物資を揃えては馬車に積んでいった。
断られる可能性があったかもしれないのに。カラスは唖然として、その光景を眺めていた。
「困ることは……ないんですか?」
思わず町長に尋ねれば、彼女はうーんと悩んだ果てに、
「人手やものが減ること、複数人と言えども危険な旅に出すことは『困ること』に含まれるかもしれないけど……助けを求められたのなら、助けるべきでしょう?」
それから彼女は笑みを浮かべた。
「それに、隣町が発展したのなら、きっといい関係を結べると思うわ! お互いの技術も、上がるだろうし! こんな世界なんだもの、協力するべきでしょう?」
その言葉にカラスは瞬きをしてしまった。ひどく珍しいように思えたのだ。
でもこれで、あの街は救われる。
彼らを見捨てた人々もいれば、救う人々も、この世界にはいるのだ。
世界は広くて、様々な人がいる。
「あっ、そうだ旅人さん! よかったら、その街まで案内してくれない?」
と、彼女は。
「もし用事があっていけないのなら、それでいいけれど……旅に慣れた人がいれば、送り出す隊の皆も、安心するだろうし」
――カラスは言葉に詰まってしまった。
あの生まれたての街の人々の、笑顔が思い浮かぶ。きっと喜んでくれるはずだ。
その様子が、見たかった。
ところが。
「すみません、私は……先を急いでいるので」
戻ってしまえば、戻れないような気がした。
自分にはまだやること事があるから。
たとえそこに、自分の居場所が用意されているとしても。
――自分でそれを、まだ認められないから。
「ああそうだ」
ただ、言う。
「お菓子を……多めに持って行ってあげてほしいです。子供達が喜ぶので」
【第十三話 オアシスはまだ遠く 終】




