第十三話(02)
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――井戸を掘る男達の姿が見える。『星油の泉』の近くでは、水が湧く。それもあって、人々は泉の周辺に街を築く。種を植える人々の姿も見られる。星油の光があるからこそ、植物も育つことができる。
『星油の泉』は、言ってしまえば世界の中心だ。これがあるから、世界が出来上がる。
そんな『星油の泉』にも、人の姿がある。スコップを手に泉に浸かって、何人かが作業している――泉を整えているらしい。そのままにしておけば、土や石で詰まることもあるというから。
まさに「生まれたての街」で、人々は生活を築こうとしていた。テントが多いものの、家を建てる者の姿もある。馬車を改造したもののように思えたが、実際にそうらしい。いまある「家」は誰かの住む場所ではなく、病院や食糧倉庫といった、公共のものだけらしい。
「運がよかったんです……彷徨っている中、湧き出たままの『星油の泉』に出会えるなんて」
カラスと並んで『星油の泉』を眺めるのは、カラスが最初に挨拶をした男だった。若いものの、ここの町長だった。
「町長! いい報せです……ククッコドゥルの卵が孵りました!」
やって来た女が、不意に彼に声をかける。だが彼女は、カラスに気付いて。
「あっ、ごめんなさい、お話中だったのね……」
そう言って、去ってしまう。その背に町長は「後で見に行くよ!」と声をかけ、カラスへ向き直って。
「いま、少しずつ、元の生活を取り戻そうとしているところなんだ……住む場所も、物資も、植物や動物も……ああ、だからこの街には、まだ交換屋や、宿屋もないんだ。どうか、許してほしい」
「それは問題ないわ……そもそも、こんなところに街があるなんて、思わなかったし」
――もしかすると、道を間違えたのかもしれないと、カラスは思った。
しかし実際は何も間違えていないようだった。別れを告げた街から、次の街へ――この街は、その道中にたまたまあっただけのようだった。ただし地図には書いていない。生まれたてだからだ。
「……街って、こうやってできるんですね」
思わずカラスは呟いてしまう。こんな光景は、初めてだった。だからこそ、興味を持たれないように、普段は抑え気味であるものの、興味を抱いてしまう。
「『彷徨っていた』って、前の街の星油が枯れたんですか?」
「――いや。前の街については、追い出されたんだよ」
追い出された――その言葉に、カラスはぎょっとしてしまった。
……いや、この街の人々に、自分のような「変わったところ」はないように見える。
「星油が枯れたのは、そのまた前の街――それが、俺達の生まれ故郷……」
――彼らはもともと、とある街に住んでいた。しかしある日『星油の泉』に枯れる兆候が見え始め、だから街を捨てなくてはいけなくなった。危険な旅をしなくてはいけないものの、その時は、無事に隣街に着いたという。
「そこで新たな生活を始めて、一年もたたないうちに……俺達は厄介者扱いされるようになってね」
街に人が増えれば、物資の消費量も増える。食料や星油は減る。彼らは働いてはいたものの、特に食料の生産が追いつかず、減少が目に見えてわかる状態になっていたのだ。
そもそもその街は、食料をぎりぎりで回していた街だった。それでも、一人に一つ、パンがあるような状態ではあった。だが移民を受け入れると、もともと住んでいた人間のパンが減る。足りないと思う者が出てくる……。
「ひどい状態だった……俺達大人は口をきいてもらえず、やりとりもしてもらえない。子供達はいじめにあう……俺達は街の一員じゃなくて、星油泥棒とか、食料泥棒って言われたよ」
――移民に関するいざこざは、珍しくないと、カラスは聞いていた。
その大きな例が、移民の完全拒絶だ。街の人々は、移民の一人も受け入れない。物資が足りなくなってしまう可能性があるから。
泉が枯れ、無事に別の街にたどり着いても、その先にはまだ試練がある。
優しい光を湛えた泉は、まさに生命線だ。
枯れた場合、一体どのくらいの確率で人々は生き残れるのか――。
「で、その果てに、街を追い出されてしまった」
両手を広げた町長の様子は、どこにも悲壮な様子はなかった。けれどもきっと、当時は。
「みんな、自分達に居場所はないんだなって思ったよ……光のもとにたどりついたと思ったら、ここにいるなって、追い出されて……闇の中で死ぬのが運命なのかって、思う人もいたよ」
「……でも、この『星油の泉』を見つけたってことですか?」
尋ねれば、町長は歯を見せて笑った。
「そう! いや驚いたね……暗闇の中に、ぼんやり光が見えるんだ。街にしては小さいし、旅人のランタンにしては大きい。何より……平べったく見えた。何だかそこだけ、別の世界の敷地って感じだったよ」
『星油の泉』で作業をしていた人々が、岸に上がっていく。どうやら、休憩の時間らしい。泉は、少し土で濁っていた。しばらくすれば淀みはなくなり、澄んだ輝きに満ちる。
「誰にでも、居場所はあるんだって、思えたよ。この『星油の泉』は、俺達を歓迎してくれたんだ」
――誰にでも、居場所はある。
カラスの赤い瞳は、泉の輝きを反射させた。フードから漏れ出た銀の髪も輝き、それに気付いて、カラスは慌てて髪の毛を押し込む。
泉の近くでは、子供達がはしゃいでいた。皆、笑っている。まるで絵画の中の光景のように思えた。
光の中にいる。
「――それで旅人さん、君、本当はここじゃなくて、別の街に行く予定だったんだろう? この街の……隣街に」
声をかけられ、カラスは我に返る。ええ、と返事をすれば。
「それなら一つ……お願いをしたいんだ」
「何ですか?」
――面倒なものだったのなら、正直、受け入れられない。
光に照らされ消えかけていた警戒心が、再び凝り固まる。
善人では、ない。
町長は。
「隣街に行くのなら……手紙を持っていってほしいんだ。この街はこの通り、未完成で……完成に至る物資や人手も全然ない。だから、隣町の協力を仰ぎたくてね」
なるほど、と思う。しかし一抹の不安もある。
「……それ、断られる可能性もあるんじゃないですか?」
「ああ、あるな、そういうのは……俺達が一番よくわかってる。でも」
『星油の泉』が自分達を迎えてくれたように。
優しい人がいると、信じたい。
――そう、町長は微笑んでいた。
「……」
カラスは泉を眺めたままだった。町長は続ける。
「その手紙なんだけど……いや、まさかこうも旅人さんが来るとは思っていなかったから、何が必要なのか把握しきれていないし、把握した後で紙にまとめるのも時間がかかるかもしれなくてね……だから、届けてもらうだけじゃなくて、手紙の完成を待ってもらう必要もあるんだ……旅人さんは、どこか目指している場所があるのかい? 急いでるかな?」
「……待ちますよ、手紙」
探している人はいるけれども、待って、届けるだけ。それだけなら、簡単だから。
それに、しばらくこの泉を眺めていたいから。




