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星灯りと明けない夜  作者: ひゐ
第十話 やがて白紙に道は広がる ~デューゴとエピの物語~
52/98

第十話(04)


 * * *



 全てを読むのには、時間がかかった。

 それでもデューゴは、ついに白紙のページにたどりついた。


 ――ここには、今日、何が綴られるのだろうか。


「……どうだった?」


 恐る恐る、ヘンリックが尋ねてくる。デューゴは素直に答える。


「知らないことがたくさんだったし、俺が経験してないこともたくさんだった」


 ヘンリックの人生は、ヘンリックだけのものだ。

 誰の人生とも違う。たとえ似た人生の持ち主がいたとしても、手記の出来上がりは、間違いなく違うものになるだろう。


 手記とはその人。

 人は皆、一人しかいない。


 昼前に仕立て屋に来たが、星油ランタンの光を見れば、かすかに黄色を帯びていた。夜か近づいてきている。思った以上に長いこと手記を読んでいたのだと、デューゴは悟る。座りっぱなしで、少し身体が痛いような気がした。

 しかしそれほどの時間、手記を読んで感じ取れたのは、ヘンリックの人生の、ごく一部に過ぎない。


「――少し、目が覚めたような気がするよ」


 と、不意にヘンリックが、呆れにも似た笑みを浮かべた。茶をデューゴに出せば、正面の席に座った。


「なんていうか……手記にこだわり過ぎていたというか……立派な手記というか、特別な人生って、なんだったんだろう、って」


 かすかに俯いていた彼だったが、ついに顔を上げて、正面からデューゴを見据えた。


「俺の人生は、俺の手記は……俺だけのものだったな。ありがとう、気付かせてくれて」


 デューゴは微笑んで、読み終わった手記をヘンリックへと差し出した。ヘンリックは両手で受け取り、大事そうに表紙を撫でた後で、最初のページを開いた。


 ――手記において、最初のページの書き方は、大きく分けて二つある。一つは何をすることもなく、文章を綴り始めるもの。もう一つは、タイトルというべき文章や、誰の手記であるか、何のための手記であるかを記すもの。

 ヘンリックの手記の最初のページは、白紙だった。彼はインク瓶の蓋を開ければ、ペンの先を浸す。そうして刻んだのは。


『仕立て屋ヘンリックの、代わり映えしない日々』

「……すでに俺の手記は何冊か『手記の図書館』に入ってる。『手記の図書館』に入れる時には、最初のページが完成していなくちゃだめなんだ……俺はもっといい文がほしかったけれど、いい言葉が思いつかなくて、誇れるような体験もなくて、いつも渋々、こう書いてきた」


 インクが乾いてゆく。ヘンリックの手記に、存在意義とも言うべきものが、もたらされる。


「つまらないタイトルだと思ってたけど、これでよかったんだな……思えば、意味のない手記はただの墓標だって言ったけど、俺自身が手記に意味を持てなかっただけなのかも」


 手記とは生きた証。生きた証とは、存在していた証明。

 何者にならなくとも、何かを成し遂げなくとも、自分とは、確かにそこにいるのだ。


「……生きるって、ちょっと難しいけどさ」


 デューゴはふと、自らのペンダントに手を伸ばしていた。

 星油のペンダント。兄の遺したもの。

 手記とは違うものの、これも一つの生きた証だ。手記のように直接言葉や想いがあるわけではないものの。


「少なくとも自分は自分で、いいんだと思うぞ?」


 こうは言ったものの、まだ自分は「やりたいこと」が見つかっていない。

 それでもデューゴは笑ったのだった。


 ――兄から「やりたいこと」の話を聞いた時。あの時得たものはきっと「自分」だったのだから。

 ヘンリックから受け取った上着を身に纏えば、デューゴは仕立て屋を後にした。


 自分の道を歩いていかなくてはならない。

 自分が確かに進みたいと思った道を。

 道といっても、まさに道なき道だ。

 けれどももう、迷子ではないのだ。



 * * *



「デューゴくん、遅かったね……」


 宿屋に戻ると、どういうわけか、エピが少し不機嫌そうな顔をしていた。怪訝にデューゴは、思わず顔をしかめる。エピにしては、少し珍しい表情のような気もした。


「まあ色々……」


 何か悪いことをしただろうか。確かに、遅くなるかもしれないとは告げていなかったし、そもそも自分もここまで遅くなるとは思っていなかったのだが。


「僕、デューゴくんが早く帰ってこないか、わくわくしてたんだよ」

「はあ……」


 そんなことを言われても、意味がさっぱりわからない。

 そこで不意に、エピの据わっていた目が、ぱっと輝いた。


「――はいこれ! 早くデューゴくんに渡したかったんだ! 今日はね、これを買いに行ったんだ!」


 そうして差し出されたのは――デューゴの上着と同じ、赤色をした手記だった。手記と、旅人向けのペン。

 言葉を失って、デューゴはそれを見つめていた。受け取ることもできず、ただ唖然とする。ようやく受け取って、手記を開けば、どのページも白紙だった。新品の手記。ペンも新品だ。


「安かったからね、いい機会だと思って、デューゴくんにプレゼント! ……あっ、安かったって言ったけど、安物って意味じゃないよ。どっちもいいものだけど、他の街で買うよりずっと安かったんだ」


 「ありがとう」と言う間も与えず、エピはぐいぐいとデューゴの背を押して、机に向かわせた。そうして彼は、目をきらきらさせながら、新品の手記に初めての言葉が刻まれる瞬間を待つ。

 ようやくデューゴが我に返る。


「いや俺、書くって決めてないし……」

「せっかく買ってきたのに?」

「ていうか見るもんじゃないだろ! 恥ずかしいし!」


 慌てて立ち上がれば、貰った手記とペンをリュックにしまい込んだ。エピはひどくつまらなさそうな顔をしていたが、急に書けと言われても、簡単ではないし、ああも見られていると書けるものも書けない。


「まあ……ありがとうな。そのうち書くさ、そのうち」


 少しの罪悪感と、少しの恥ずかしさから、そっぽ向いてしまったものの、デューゴはちゃんと告げた。

 そのうち、自分も手記を書いた方がいいこと。それは十分にわかっていた。

 自分が歩いてきた道を、書かなくてはいけない。自分のためにも。


 ――でもどうやって書いたらいいんだ!


 改めてエピを見れば、いつの間にか、手記を書きはじめていた。どうも彼は、手記を書くのが好きらしい。いままであまり、意識していなかったが。


 そこで、ふと、デューゴは思う。

 思えば、エピのことをあまり知らない。彼が旅する理由もいまいちわからないし、そもそも彼がどこから来たのかも知らない。


 ……手記に向けられる、彼の緑色の瞳。それが何を見ているのか、よくわからないのだ。

 自然と、彼が見つめる手記に、デューゴの視線も移る。


 手記を読んだのならば、エピのことが少しわかるだろうか。

 ……自分が手記を書いたのなら、読みあおうなんて、言っていたか。


 いやしかし、それは恥ずかしい。思わずデューゴは頭をぶんぶんと振った。

 ……それにしてもエピは、いままで何冊、手記を書いてきたのだろうか。きっと、あの一冊だけではないはずだ。


 ――手記が集まる街があると聞いた。文明都市。未来を作るために、過去を集めている。

 もしかすると、エピの手記はそこにあるのかもしれない。いま書いている手記も、いつの日にか、そこにたどり着くのかもしれない。

 自分がいつか書くだろう、手記だって。


 ――文明都市。そこは一体、どんな場所なのだろうか。



【第十話 やがて白紙に道は広がる 終】

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