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星灯りと明けない夜  作者: ひゐ
第九話 誰かの夢幻 ~エピとデューゴの物語~
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第九話(01)

 『影と暗闇の画家』ジェラームが描いた絵。それも『暗闇』シリーズのもの。噂通り、この街の交換屋にあった。交換屋の主はこの絵の価値がわからないようで、安く手に入れられた。旦那様に持たされた物資の、ほんの一部しか要求されなかった。しかし手放す際、店主が一瞬迷ったように思えた。あの真っ暗な絵を見つめ、そこに何かを見いだそうとしていたけれども、何も見つけられなかったようだ。


 ジェラームの描く黒色の絵は、一見すると、ただ塗りつぶしただけのように見える。けれどもこの漆黒に、奇妙な魅力を感じる者は少なくない。私や、コレクターである旦那様もそうだ。


 さて、無事に手に入れられたのだから、帰らなくてはならない。しかしこれを持って帰ることに、私は少しの不安を覚える。ジェラームの『暗闇』シリーズの絵を持ち帰る際は、いつもそうだ。

 この絵は美しすぎる。だからこそ眺めていたいが、こうも近くにあると呑まれてしまいそうな気がするのだ。



【ある美術品コレクターの使用人の手記より】



 * * *



 この街の、自慢のものを見ていかないか。

 街に着けば、時折こう誘われることがある。


「この街では、かつての世界の幻を見ることができるんだ」


 ――昨日、この街について一晩を過ごし、翌日に交換屋に来た際、エピとデューゴはそう言われた。


「かつての世界の……幻?」


 交換屋の店主の言葉に、エピは首を傾げる。デューゴは訝しそうに瞬きをしていた。怪しく感じられる言葉ではあるものの、店主は子供のような笑みを浮かべると、窓の外を指さした。


 火の街灯の中、昼間であることを教える白の星油ランタンの街灯がある。店主が指さしていたのは、少し大きな建物だった。周囲の家々に比べて大きく、それが何かの施設であることは、エピとデューゴにも一目でわかった。

 エピは思い出す。


「そういえば、宿屋の人も、あの建物に行ってきてごらんって言っていました」


 デューゴは腕を組む。


「この街の歴史館か何かか?」

「ちょっと違うなぁ……この街、というか、世界の歴史館、ってところかな」


 と、店主はちらりと壁掛け時計を見る。 


「あれは『幻灯げんとうの館』だよ。もう少しで授業の時間だから、ちょうどいい! おもしろいものが見られるはずだよ!」


 ――「授業」の時間を教えてもらい、エピとデューゴは交換屋を出た。この後は市場で買い物をする予定だったものの、せっかく教えてもらったのだから、宿屋に荷物を置いて『幻灯の館』なる場所へ向かった。


「かつての世界の幻って何だ? お前、結構長いこと旅してるんだろ? 何か思い当たるもの、あるんじゃないのか?」


 道中、デューゴが尋ねる。


「うーん……絵じゃないかなぁ。僕、何回か、過去の世界を描いたっていう作品を見たことがあるよ」


 過去の世界。それは太陽と月と星がまだあった世界。空があった世界。

 暗闇ではない、光があった世界。


 「授業」と言っていたのをエピは思い出す。その授業で、この街の人々はかつての世界について学んでいるのだろうか。

 きゃっきゃと声がする。気付いて周囲を見回せば、妙に子供が多かった。若者の姿、また老人の姿もまばらにある。

 全員が同じ方向に向かっていた。


 やがて『幻灯の館』が見えてきた。門も扉も開かれていて、子供達や街の人々は次々にそこに入っていく。


「ここが、そうなのか?」


 デューゴが門を前に立ち止まる。扉の上には丸いステンドグラスがあった。青色のステンドグラス。それは「空色」というのにふさわしい鮮やかさで、周囲の灯りにきらりと輝いていた。


「おや、見かけない顔だね、旅人さんかな」


 不意に声をかけられる。二人がステンドグラスから視線を下ろせば、開かれた扉の元に、初老の男一人が立っていた。彼は微笑む。


「さあさあ、どうぞどうぞ! もうすぐで授業を始めますよ」


 促され、エピとデューゴは顔を見合わせて館の中へ入っていった。



 * * *



 館の中には、エピが言ったとおり、絵が多く飾られていた。どれもかつての世界を描いたものだ。色鮮やかな世界。光に包まれた世界。絵の横には説明があり、時に図を用いて何かを解説している。

 けれども初老の男は絵の前で立ち止まることなく、奥へと進んでいく。子供達もほかの街の人達も、流れに乗るようにして、エピとデューゴも進む。


 やがて一室にたどり着く。そこにはあたかも小さな劇場のようにいくつもの椅子が並べられていた。すでに子供達や街人達が座っていて、会話をしながら何か待っているように見える。

 エピとデューゴは、ここまで案内してくれた初老の男に勧められた椅子に腰をかけた。


「何が始まるんだ? 劇か?」


 そわそわとデューゴが周囲を見回すのに対して、エピはじいと正面を見つめる。

 そこに舞台らしき雛壇はなかった。汚れない真っ白な壁が広がっていて、距離をおいたところに、ぽつりとテーブルがある。


「……あれ、何だろう」


 思わず言葉を漏らす。テーブルの上には、奇妙なものが乗っていた。言うなれば、煙突のある大きな箱。同い年くらいの少女がそれをいじっている。

 と、声がする。


「それじゃあ、みんな準備はいいですか。明かりを消しますよ」


 先程の初老の男の声。ここの主なのだろうか。彼は部屋を明るく照らしていた火を、一つ一つ消していく。端の方に座っていた大人達も協力し、また奇妙な箱を漁っていた少女も手伝い始める。


 徐々に光が消え、静かに闇が色を増していく。その黒色は、決して街の外の闇とは違う。まるで視界に薄布をかけていくような優しい静謐の黒だ。この部屋に来る前にちらりと見た、日暮れの絵を彷彿させる。少しずつ、少しずつ、光が眠っていく。


 ついに絵画の夜を思わせる闇が部屋を満たす。けれども、灯り一つだけはぽつりと残されていた。闇の中、揺れることもなく周囲を照らす輝きは白色。星油の灯り。


 それはランタンではなく、ランプだった。あの奇妙な箱の隣にある。

 少女が戻ってきて箱の側面を開けると、その明かりを中に入れてしまった。


 ――そして、箱から真白の壁に、光が放たれる。

 箱から放たれた光。それは壁に大きく広がった。まるでステンドグラスを通したかのように、ぼんやりとした輝きであるものの、色のついたものだった。色水が宙を漂っているかのようで、白い壁も色づく。

 へぇ、と隣でデューゴが声を漏らすのをエピは聞いた。最前列の子供が光に手を伸ばそうとしている。


「それじゃあ今日は、初めて見る人もいるようだし、かつての世界の空について学んでいこうか」


 光に照らされる壁。その隣にあの男が立つ。

 子供達がかすかにざわついた。大人達も、どこか嬉しそうに身じろぎする。


 光を放つ箱をいじる少女に、男が目配せする。少女はまた箱をいじり、すると壁を照らしていた光が色濃くなり、ピントがあうように輪郭を得てくる。

 子供達の声が上がる。

 エピとデューゴは息を呑む。


 真っ白なキャンバスを思わせた壁。

 奇妙な箱から放たれる光が、そこに一枚の絵を描き出した。


 ――それは、鮮やかな黄緑色に、鮮やかな青色。

 かつての世界にあった、草原。青空。

 そして青色の中にある、白い球体――太陽。


 まるで吸い込まれそうな風景。踏み入れば、そのままそこに立てるような気がして、エピはまっすぐに光が作り出す幻を見た。風が頬を撫でた気がした。鳥のさえずりが聞こえたような気がした。

 視界いっぱいに、かつての世界が広がった。


 すごい! と前の席で、まだ幼い子供が声を上げる。


「――これは幻灯機げんとうき。ガラスのスライドに描かれた絵を、こうして光で映し出すものだよ」


 風景の隣に立つ男が説明する。


「そしてこれこそが、かつての世界……かつての世界の、昼だよ。この青色が、青空。このまあるいのが、太陽だよ」


 太陽。昼間、世界を暖かく照らしていたという巨大な星。


 スライドが変わる。草原が消え、青空だけの風景になる。

 どこまでも透き通る「空色」の中。強い光を放つ白い球体が浮いている。漂う別の白色は、雲。


 初老の男が説明している。けれどもその声も遠くなるほどに、エピは太陽を見つめていた。

 説明すらも聞こえない、説明すらもいらないほどの、美しさ。大きな昼間の、星油ランタン。


 スライドがまた変わる。地平線に隠れていく太陽、燃えるような赤に染まった空――夕焼け。木々や建物の黒々とした影が、長く伸びている。

 部屋全体も、その色に染まる。包まれる。妙に心がざわついたが、それは決して暗いものではなかった。どこかときめきにも似たもの。ゆっくりと変わっていったかつての空へのあこがれ。そして昼の終わりの寂しさと――やがて来る夜への、期待。


 鼓動が速くなる。

 かつての世界の空。この夕焼けの時が進んだのなら、何になるのか。


「……空って、いろんな色があったんだな」


 ふとデューゴが囁く。その瞳は、幻に向けられたまま。


「そうだね……すごいね」


 その声に現実に引き戻されたように、エピは頷く。


「絵で見るのと全然違うね……」


 絵であることに、間違いはないのだ。しかし明らかに違う。そこに確かにあるように感じられる。まるで窓から外を見ているかのようだ。


「――そして太陽が沈めば夜になる。太陽の代わりに、月が空にやってくるんだ。たくさんの星を連れてね」


 遠のいていた説明が聞こえた。スライドがまた変わる。

 新たなスライドは、先程までのものと比べて、明るいものではなかった。


 濃紺の幻。そこに輝く黄色い太陽、否、月。

 ああ、夜の星油ランタンの色。


 エピは瞬きをした。よく見る色だった。よく見るけれども、いま、初めて見た色。

 けれどもエピの緑色の瞳は、月よりも、その周囲に散らばる小さな白色いくつもに惹きつけられた。


 星。唇が動く。


 スライドが変わり、濃紺から月が消えた。いくつかの小さな光が、宝石のように輝く絵が現れる。

 心臓が跳ねたような気がして、エピは息を止めた。


 星。暗闇の中に輝く、小さな光。

 かすかに手に力が入った。


 ――けれども。


 長く溜息を吐く。視線を落とす。


 ……これはあの光ではない。

 ――あの美しさも。

 ――あの儚さも。

 ――あの存在感も。

 ――あの恐ろしさも。

 ――そして、あの切なさも。


 どこにもない。

 かつての世界の、幻。

 再び、深呼吸をするように溜息を吐く。


 その際、うつむいていたものだから気付かなかった。デューゴが自分の異変に気付いていたことに。

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