第八話(03)
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街につけば、カラスが想像していたよりも、街は『銀ヴェインの窓』の訪れに盛り上がった。
暗闇の向こうからやって来た、異文化漂う旅芸人達。そのショーは華やか。食べ物は不思議な味。そして語られる物語は夢のようで現実のようで。
『銀ヴェインの窓』は街のすぐ横にテントを並べた。そこに簡単でも美しいステージや屋台を出し、夜になれば街の人を迎え入れる。そうして金を稼いで、それで次の街までに必要なものを揃え、また街の人々とのやりとりからインスピレーションを受け、次の見世物を考える……旅芸人達は、こうして生きていく。
街について『銀ヴェインの窓』から離れたカラスは、夜、借りた宿屋の窓から、街の様子を見つめていた。街の人々は、目を輝かせて街から出て『銀ヴェインの窓』のもとへと向かって行く……子供が早く早く、と親の手を引っ張っている。若者達も楽しそうに会話しながら向かっていて、老人達も外のものが見てみたいと歩いている。
カラスが街に向けていた視線を少し遠くに投げれば、街の外、『銀ヴェインの窓』のカラフルなテントがいくつも並んでいるのが見える。そして耳を澄ませなくとも、楽しそうな声が聞こえてくる――。
少し荷物の整理をして、カラスは宿屋から出た。フードをしっかり被って、人の流れに乗るように街の外へ出る。そして他の人々と同じく向かったのは『銀ヴェインの窓』のもとだった。
旅の中では見ることのなかった銀色のアーチをくぐって、まるで夢の中のようなその場へ入り込む。入り込むというよりも、迷い込むというのが正しいのかもしれない。それほどに『銀ヴェインの窓』は様々な屋台やステージを並べていた。
カラスは一人、辺りを見回しながら歩いて行った。三日間の旅の中、ショーの練習をしていた者達が、いま本番を迎えている。練習している様子を見ていたのだから、何をするかはわかっているものの、ステージの上で行われるそれは、練習で見せてもらったものとは全く違って見えた。とても華やかで、観客もいるその空気と緊張、そして熱気がよりショーを輝かせる。思わずカラスは、何度か立ち止まって見つめてしまった。座長のキウも、ステージ上でダンスをしていた。軽やかなステップ、そして滑らかな手の動き、手に持った鮮やかな花束からひらひらと花弁が散れば、キウと共に舞う――カラスが見つめていると、キウと目があった。その瞬間、ばちんと音が聞こえそうなほど、キウがウインクしてきたものだから、カラスは思わずびくりとしてしまった。
キウのダンスをしばらく眺めて、カラスはまた歩き出す。探しているのは、キウではないのだ。
カラスが見たいのは。
否、聞きたいのは。
「――オービが竪琴を奏で始めると、悲しみに凍っていた川は、まるで振り向くかのように輝いたんだ」
まるでさらさらと絵筆で風景を描くような声が、どこからか聞こえてくる。
カラスがそちらに足先を向ければ、幾何学的で呪術的な雰囲気を纏った絨毯の上、何人もの子供が座り込んでいた。絨毯から出たところでは、大人達も立っている。皆が囲んでいるのは、目隠しをした一人の青年。
「川はオービのことを知っていた。リュイダの恋人であることを……だからこそ、自分と同じく、彼女のことを愛していたことも」
絨毯の上にあぐらをかいて座ったハウクトは、目が見えなくとも自分を囲う人々に手を広げる。
「川は……本当はオービのことが怖かった。事故とはいえ、リュイダを殺してしまったのは自分なんだもの。けれどもオービは、悲しまないでくれと竪琴を奏で続けるんだ。その音色は雫が落ちるのに似ていて、旋律は涙のインクで描かれたものだった……」
やっと見つけた。カラスはそっと、立ち聞く人々に混じった。ハウクトは物語を続ける。
「川は泣きたくなった。思い出したように、泣きたくなった。いままで悲しくて悲しくて、泣くことも忘れて凍りついてしまったんだ」
ハウクトを囲む人々は、その物語の中へ誘う言葉に耳を傾け続ける。
「……びしり、と音がして、凍った川の表面がひび割れた。そして……冷たい川の水が溢れ出てきた。けれどもそれは、川の水なんかじゃなかった。川の涙だったんだ。そしてオービは、川に悪意はなく、リュイダが溺れてしまったのは事故だとわかっていた。だから川のことを決して責めなかった」
辺りを漂う風が、まるで川の流れのように感じられた。冷たくて――温かくて。
「……三日三晩。オービは竪琴を奏で続け、川と悲しみをわかちあった。その果てに、凍っていた川はようやくもとに戻ったんだ。オービと悲しみを分かち合い、川は気付いたんだ……オービは、リュイダが亡くなってもこの先へ生きていこうとしている。止まっていてはいけないのだと。だから、流れを取り戻した……」
広げていた両腕を、ハウクトは祈るかのように胸の前に持ってきてあわせた。深く溜息を吐いて、顔を上げる。
「こうして、街にはもとの生活が戻ってきた。水のある生活だよ。水車は回って、洗濯はできて、お茶も飲めるし、水浴びもできる。川は再び、街と生きていくことを決めた……でも、時々不幸な事故のことを思い出す。けれどももう、二度と凍ることはなかった……悲しいのは自分だけではないし……いつまでも悲しんでいるわけにはいかないから」
そうして最後に微笑むのだった。
「ジルリダの街の、凍った川の物語。遠い場所の、遠い時の物語。これで、おしまい」
――静まっていた客達が、夢から醒めたようにざわざわと話し始める。いま見ていた、夢について。共有していた夢について。
語り部ハウクトの言葉は、皆に一つの夢を、一つの世界を見せていた。人々は得た心を語る。感じた空気を名残惜しむ。
途中から物語を聞き始めたカラスも、その空気を、その世界の断片を感じていた。深く溜息を吐く。
改めてハウクトを見れば、彼を囲む子供達は目をきらきらとさせていて、と、一人がもっときかせて! と更に未知の夢の世界をねだる。よく見ると、子供達の中には、街の子だけではなく、旅芸人一座の子も混じっていた。共に旅をし、何度も物語を聞いているであろう彼らも、あたかもはじめてのお菓子を食べたかのように、夢に満ちた表情をしていた。
皆、彼の物語が好きなのだ。彼の見せてくれる世界が好きなのだ。
目が見えなくとも、ハウクトはきゃあきゃあと纏わりつくような子供達に、歯を見せて得意げに微笑む。少しして座って、と手で示す。子供達は更に顔を輝かせるものの、まるで旅立つ前かのように背筋を伸ばし、またそれを見ていた大人達も会話を止めて再びハウクトを見つめた。
新しい世界が語られるのだ。カラスもわずかにフードがずれてしまったのにも気にせず、ハウクトを見据えた。
今度は最初から夢を見せてもらえる――。
きらりと輝く、赤い瞳。
「さて……はは、人が増えてきたね。ちょっと緊張するよ」
ハウクトには少しも怯えている様子はないものの、周囲を見回す。
「それじゃあ、待たせるのも悪いし、次のお話を始めようか……」
その声は、少し低くなり、辺りがわずかに冷え込む。
「一話目も二話目も聞いてくれた人は、楽しんでくれたかな? 今度は……ちょっと怖い物語にしようか……」
その口の端が、意地悪そうにつり上がった。彼の周囲に集まっていた子供達が、冷たく漂い始めた空気に息を呑む。
「――これより語るは、遠い場所の、遠い時の物語。暗闇の恐ろしさよりも、人の恐ろしさを知る物語。そう……永遠に満たされない空腹を孕んだ怪物の物語……」
ハウクトは語り始める。
 




