第八話(02)
フードを深く被って、カラスは集団の隅へと向かって歩いていく。それにしても『銀ヴェインの窓』の人間達は賑やかで華やかだ――先程の子供達のように曲芸を磨いている者もいれば、手品をしている者もいる。歌を歌っている者もいて、音楽を奏でる者もいれば、犬や猫を何匹も連れた者もいる。
――興味がないわけではなかった。キウのダンスだって、本当は見たくないわけではなかった。けれども深くかかわるのは、やはり恐ろしい。もしこれが旅の道中ではなく、街でたまたま会ったものだったのならば、街の多くの人間も旅芸人一座を見に行くだろうから、その中に混じることができたのに。
深く溜息を吐く。本当についていない。
と。
「――本当に不幸な事故だった。崖から落ちてしまった羊達は、全部で二十匹。二十匹も、闇に消えた……これで羊達はとうとう五十匹になってしまった。街を出た時には百匹だったのが、ついに半分になってしまったんだ」
その声は、周囲が賑やかでも、カラスの耳にはっきりと聞こえてきた。
聞き取りやすいその言葉。はっきりとした口調。しかし深みがあるような。
「けれども羊飼いの少年は諦められなかった。もしかしたら、崖から落ちてしまっても、下でまだ生きている子がいるかもしれない……崖下に行ける道を見つければ、少年は羊達を連れて下っていった。もうこれ以上羊達が崖から落ちないよう、星油ランタンでしっかり辺りを照らしながら……」
思わず立ち止まってカラスが見れば、座り込んだ一人の青年を囲むようにして、子供達が集まっていた。声の主は中心にいるその青年だった。
「足を踏み外せば落ちてしまう。予定の道からそれると道を見失い『青草の街』に辿りつけないかもしれない。それでも羊は、彼にとっては大切なものだったし、羊達にとっても家族だったんだ。なにより羊飼いの少年も羊達も……もう仲間を失いたくなかったんだ」
――それはカラスにとって、懐かしい物語だった。
昔、家に絵本があったのだ。
自然と足が、物語を語る青年と、その声に聞き入る子供達へと向く。
そこでカラスは気が付いた。子供達に物語を聞かせる青年が、目隠しをしていることに。
長く伸ばした髪には色とりどりの飾り。そして目隠しの布にも華やかな模様が描かれている。
「――さて、それじゃあ今日はここまで」
と、青年はふと、まるで夢が覚めたかのように声を明るくした。手を叩けば、おそらく見えていないのであろうにもかかわらず、周囲の子供達を見回して、
「そろそろ寝る時間だよ、みんな。続きは明日」
すると子供達の間から「えー!」と声が上がるのだった。
「もう少しだけ聞かせてよ、ハウクト!」
子供の一人が、青年の袖を掴む。
「だめだよ、寝る時間なんだから……ほら、お母さん来てるよ」
青年がそう言って顔を上げれば、確かにその子供に向かって女が一人やって来ていた。母親らしいその女は、子供に言い聞かせれば手をひいてテントの一つへ戻っていく。ほかの子供達も、親や兄弟に連れられ帰っていく。そして。
「俺達もそろそろ寝るか……ハウクト、テントはあっちに張ったぞ、ほら手ェ掴んで」
別の青年が、ハウクトと呼ばれた目隠しをしている青年の手を握る。ハウクトが立ち上がれば、手を繋いだ青年は彼を連れて歩き出そうとする。
だが。
「ちょっと待って」
ハウクトはそう声を上げ――カラスへと、まっすぐに振り返ったのだった。
「こんばんは……知らない感じがする。もしかして、噂の旅人さんかな?」
目隠しをしたままのハウクトは微笑む。と、彼の手をひいていた青年もカラスに気付いて「あっ、本当だ、噂の旅人さんだよ」とハウクトに伝える。
「途中から物語を聞いてくれてたみたいだね。ありがとう」
と、ハウクトは不意に感謝の言葉を口にする――存在に気付かれていないと思っていたのにそう言われて、カラスは少し怪訝に思ってしまった。それでも。
「あの話……『百匹の羊の冒険』よね?」
確か、そんな名前の絵本だった。するとハウクトは苦笑いを浮かべた。
「あっ、知ってるんだね……結末、子供達には内緒にしてね」
立てた指を唇に当てる。そうして彼は。
「僕はハウクト。ここで語り部をやってるんだ……あっ、この目隠しは、あってもなくても変わらないものだからつけてるんだ……つけてた方が雰囲気出るし」
それはつまり、ハウクトは目が見えない、ということだろうか。
けれどもまるで見えているかのように気配に敏感だった。先程子供の母親が向かって来ているのに気付いていたし、物語を聞いている自分の存在にも気付いていた。
不思議な人だな、とカラスは思った。物語を語る口調や、その目隠しもあって、どこか……「魔法使い」のように思えた。
物語の中にしか出てこない、不思議な力を持った魔法使い――。
「……私はカラス。三日間、世話になるわ」
やがてカラスは、ハウクトに名乗り返した。
カラス、とハウクトが小さく口にするのが見えた。それが鳥の名前であると、知っているかの様子だった。しかしハウクトはそれ以上名前については何も言わなかった。
「よろしく、カラス――もしよかったら、明日も物語を聞きに来てね」
そうしてハウクトは、仲間に手をひかれて、テントへと消えていく。
カラスは少しその背をみつめて、やがて再びキャンプの隅を目指して歩き出したのだった。
* * *
『銀ヴェインの窓』との旅は、やはり賑やか過ぎて苦しかった。不意に一座の人間に話しかけられ驚かされたり、旅人が物珍しいのだろう子供達に囲まれたり。またキウの言う通り、ここの人間には喋り好きが多く、あれこれと聞かれたり、聞かされたりした。それだけではなく、時に「この技を見てどう思う?」といった演技の感想まで求められるのだ。休んでいたいのに、引っ張り出され、見て見て、と見せられることもあった。また『銀ヴェインの窓』では、前の街で仕入れたその街特有の食材を使って料理を作り、次の街で売るといったこともやるらしく、それの味見もさせられた。
行き先が同じであるために仕方がない。暗闇の中にいるはずなのに、ずっと街の広場にいるような気がして、ひどく疲れる。幸い『銀ヴェインの窓』では就寝時間がきっちり決まっているため、ある程度星油ランタンの灯りが黄色くなると、ぱったりと喧騒は消え失せるため、夜もうるさくて眠れない、ということはなかった。だから夜はしっかりと眠れた――疲れもあって。
しかし――悪くはなかったかな、と彼らと出会って三日目の夜、カラスは毛布に包まりつつ、思った。
今日も昨日と同じく大分疲れてしまったが、なんだかんだ、毎晩行われる一座のショーの練習風景は見ていて面白く、不思議なものばかりで興味深かった。料理だっておいしかった。
何よりカラスが気に入ったのは――語り部ハウクトの語る物語だった。
彼がいま子供達に聞かせている『百匹の羊の冒険』の物語。その内容、結末をカラスは知っていたものの、ハウクトが語れば、まるで新しい物語のように聞こえるのだ。
『銀ヴェインの窓』に出会った初日にも聞いて、その次の晩にも聞いて、今日も聞いた。不思議な魅力があるのだ。この一座には、もっと派手で華やかなものもあるというのに、それ以上に。
「最後まで聞いてくれてありがとう」
今晩でハウクトによる『百匹の羊の冒険』の物語は終わった。おそらく、街に着く前に終わるよう、調整していたのだろう。物語を最後まで聞き終え、目をキラキラさせた子供達を見送った後、ハウクトはその場に残っていたカラスにそう声をかけてくれた。
少し間を置いて、カラスは言う。
「あなたの語る物語……不思議な感じがするわね」
「語り部だからね」
そうハウクトは少し自慢げに口の端をつり上げた。
カラスは続ける。
「実は『百匹の羊の冒険』の最後……あんまり好きじゃなかったの。最後はちゃんと百匹辿りついて、それで終わりなんだから」
「……予定調和で面白みがないってこと?」
「……子供の頃読んだ時は、最後は百匹辿り来ましたって言われて、『ああそうなの』って思ったのよ……いま思えば、道中で消えていった羊達が、最後には全員ちゃんと戻ってくるっていうのも、なんだかなと思うし」
頷いて、しかし「でも」と、カラスはかすかに笑みを浮かべた。
「でもあなたの語りで……百匹の羊が『青草の街』を駆けまわっているのって、すごく綺麗だと思った」
『百匹の羊の冒険』。それは『青草の街』を目指し、羊飼いの少年が百匹の羊を連れて冒険する物語。
道中『暗闇』に襲われたり、暗くて見えなかった崖から落ちたり、また泥棒に出会ってしまったり、そうして元は百匹だった羊の数は減っていく。
しかし羊飼いの少年の諦めない心や努力、そして運によって、最後には少年と百匹の羊は無事に目的地に辿りつくことができるのだ。
そもそも子供向けの物語である。だからこそ、残酷なことや悲劇的なことはない物語だった。都合のいい展開もある。
それでもハウクトの声で語られ飾られた『百匹の羊の冒険』は――全く別の物語に思え、美しい光景が思い浮かんだ。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。僕はこの物語、好きなんだ。語る中でアレンジしやすかったり、盛り上げるところ抑えるところの語りも、やっていて楽しいし」
子供達にも人気だしね、とハウクトは微笑む。
――もっといろんな話を聞いてみたい。
そう思うものの、決してカラスは口に出さなかった。静かに立ち上がる。
「そろそろ私も行くわ……ありがとう」
『銀ヴェインの窓』と過ごす夜は、これで最後になる。明日には街に着く。
けれども旅芸人一座である彼らは、街に着けば――今以上に盛り上がるのだろう。彼らは「旅芸人」なのだから。
「――明日、街に着いたら、街の人にも物語を聞かせるんでしょう?」
腰に手を当てたカラスは、座ったままのハウクトを見下ろす。
「ここのみんな、街では本番のショーをやるっていうから、見に行こうと思ってるし、あなたのところにも時間があったら行くわ」
「――本当? ぜひ来てよ」
そう話していると、ハウクトの仲間が彼を迎えに来た。目が見えない彼を手伝って片付けをし、そしてテントまで案内するぞと手をひく。
カラスも集団の隅へと向かって行った。こちらに向かって手を振っているハウクトに、伝わるかわからないものの手を振り返して。




