第七話(05)
「何よ、それ……」
誰かの声が聞こえる。
「病気、なの? ……もしかして、あんたがこの街に妙な病気を持ってきて……!」
全てはカルル・コの実のためであるのに。
しかし指をさされるのに、カラスは十分な見た目をしていたのだ。
色素のない髪に、赤い瞳。
それは、この街では誰も見たことがない人間で。
――けれども確かに、人間で。
カラスは。
「……」
いま、何と言えばいいのか、わからなかった。
何かされる前に、騒がれる前にさっさと街を出てもよかった。いままでのように。
……けれども、いまこの街は、毒に冒されている。
見捨てるわけには、いかない。
――色素のない子、と聞こえた。
はっとして顔を上げると、驚いたように医者がこちらを見ていた。だが恐れている様子は一切ない。
……カルル・コの実については知らなかったものの、そういうものは、知っているようだ。
「――おおい、種をもらってきたよ!」
ちょうどその時だった。先程、種を持ってきてほしいと頼んだ男が、小さなかごを手に戻ってきたのは。彼は騒然としている病院を見て、何があったのかと辺りを見回す。そしてカラスを見れば、さらに驚いて瞬きをした。
――手を止めている場合ではない。
「それちょうだい」
立ち上がって、カラスはもう髪と瞳を隠すことなく、男からかごをひったくった。中には確かに、小さな種いくつもが入っていた。それを、また乳鉢ですりつぶし始める。
「……何してるの、ちゃんと動いて」
近くにいた、医者の手伝いにそう声をかける。彼女は呆然としてカラスを見つめ、突っ立っていたのだ。カラスに声をかけられ、彼女はぶるっ、と震える。そして足がすくんでしまったらしく、またしばらく動こうとしなかったために、
「さっさと手伝って。死なせたいの?」
患者はいまもこの瞬間に、新しく病院に運び込まれてきている。街全体で収穫祭が行われているのだ、間違いなくこの病院だけでは足りなくなる。もう、現地へ行って解毒薬を飲ませないと。
しかし、手伝いは動かないまま。すっかり怯えてしまっていた。その手はまさに未知の生き物を前に、震えていた。
強く言ってしまったことをカラスは後悔した。けれども。
「――これを持って、君は広場に向かってくれ。このやかんに、すりつぶしたものを溶かした……病院は私と、彼女でやる」
医者が手伝いにそう言って、やかんとコップを持たせた。手伝いは「でもあの白い人、変……」と、そこからまた何か続けようとしたが、医者にとんと、背を叩かれて、それで我に返ったかのように病院から出て行った。
「君は、とりあえずここにいた方がいい」
カラスへ振り返った医者は、新しいやかんに、またすりつぶしたものを溶かし始める。そして近くにいたまだ元気な街人に持たせ、指示を出す。街人は急いで病院を出て行く。
「君の見た目では、みんな怯えてしまうからね……とにかく私達はここで」
静かに、カラスは頷いた。これ以上自分が何か発言するのは、よくないとわかっていた。
そして、この騒動が落ち着いたのなら、明日にでもここを出なくてはいけない。
もうこの街にはいられない。髪を見られてしまったのだから。瞳を見られてしまったのだから。
あんな目を、向けられてしまったのだから。
「……旅人さんの髪は、綺麗だよ」
声が、聞こえた。
「星の人だもん。悪い人じゃないもん」
「……ノノ」
手を止めて、カラスはノノに駆け寄った。ノノは少し、意識がはっきりしてきたようだった。先程のことを、見聞きしていたのかもしれない。
「寝てなさい」
もうマントは意味がない。カラスはマントをとれば床に敷き、その上にノノを寝かせた。何もないよりはいいはずだ。マントの裾で、ノノの額に浮いた汗を拭き取ってあげた。
「また後で来て……」
ノノがそう言うものだから、カラスは。
「他の人を看たらね」
――けれども、カラスがノノのもとに戻ることはなかった。
* * *
翌日のこと。
何とか病人を看終えて、人々の視線を感じながらも宿屋に戻れば、カラスは一眠りする間もなく、荷物をまとめはじめた。忙しさに乱れてしまった色素のない髪をまとめて、マントのフードを深く被る。そうして出入り口へと向かえば、途中で宿屋の主にびくりと怯えられてしまった――もう、街中に自分の話は広まっているようだった。それもこの怯え方だ、悪い噂となっているのだろう。
カラスは、何も言わなかった。口を結んだまま、宿屋の外に出た。
昨日の昼間は「収穫祭」で賑わっていた街だが、いまはすっかり乱れてしまっていた。飾り付けや、外に出されたテーブルはそのまま。けれども襲われたかのように、椅子や食器、かごが転がっていて、ごみ箱も倒れて中身が飛び散っていた。それを、街の人々が静かに片付け始めていた。だがその姿は少ない――昨日、多くの人間が倒れてしまったのだ。幸い、『紅玉星の実』を食べず、また花の毒にもあたらなかった人間や、毒にあたっても症状が軽く、解毒薬を飲んですぐに元気になった者だけが、外に出ている状態だった。しかし彼らの表情は暗く、まるで街全体が葬式でもしているかのようだった。
けれどももう大丈夫だ、とカラスは周囲を見なかった。通り過ぎた家から、苦しそうにうめく声が聞こえたが、それと同時に励ましの声が聞こえた――大丈夫よ、お医者様から薬をもらってきたから、と。飲めば元気になるそうよ、と。
それから、街から聞こえてくるのは、自分の話だった。
「……あの旅人よ、あの旅人……きっと、あの人がいたからこんなことに」
「あの人が妙な病気を持ち込んだって聞いたわ……! ああやって姿を隠しているのは、病気で恐ろしい姿だからそうよ……」
「ああ恐ろしい……」
そうひそひそと話している集団を、カラスは思わずちらりと見てしまった。とたんに彼らは震え上がって、ぱっと逃げ出す。かたや視線を動かせば、逃げることなく自分を睨んでいる集団もいる。その手は、箒やへらをあたかも鈍器であるかのように構えている。しかし彼らは襲いかかってこない。逃げもしないが、ただカラスを睨んでいた。
その正面をカラスは通り過ぎて、街の外に続く門へまっすぐに歩いていった。
言われなくとも、出ていくつもりだった。
前の街のように、石を投げられる前に。
――やっと門にたどり着けば、星油ランタンに火を灯した。
星油は星が溶けたものといわれている。
――かつて、この色のない髪の輝きを、星のようだと言ってくれた人がいた。
単純に、自分に色素がないだけであるけれども。
……人間は、群れを作って生きる生き物だ。だから皆で『星油の泉』の周りに街を作って、いまも歴史を紡いでいる。
しかし、稀有な見た目の人間は――「自分達と明らかに違う人間」は恐れられ、理解されることもなく、もはや人間と思われないのだ。
星油ランタンを手に持てば、先には暗闇があった。
似合っているのだろう、自分には。
人の街よりも、この漆黒が。
――しかし、人を探しているから。
一歩、カラスは暗闇に踏み出した。
その時だった。
「――旅人さん! 星のお姉さん!」
幼い声が、引き留める。
思わずぎょっとして振り返れば、ノノがいた。
ノノは寝間着姿だった。靴を見れば、踵の部分を潰すようにして裸足ではいていた。髪も少し乱れていて、誰が見ても、慌ててベッドから出てきたのだろうとわかった。
その顔色はよく、最初こそ眉尻を下げていたものの、カラスと目があえば、ノノはぱっと顔を輝かせた。ぱたぱたと走ってくる。
どうやら、一晩で体調はすっかりよくなったようだ。自然と溜息を吐いて、フードの下、カラスは気付かないうちにかすかに微笑んでいた。
――まだ寝ていた方がいいのに。
暗闇へ歩き出していた爪先を、街の明かりの方へと戻す。しかし。
「――だめよ! ノノ!」
一人の女が、ノノを追いかけて背後から捕まえた。彼女はノノの肩を掴んで正面にしゃがみ込めば、
「どうしてお外に出たの! あなた、まだ病気がちゃんと治ったわけじゃないのよ!」
「病気じゃないよ、ママ。食べちゃいけないものを食べたから、変になっちゃったんだよ! それに……お礼を言わなきゃ! 助けてもらったら、ありがとう、でしょう?」
そうノノはカラスを指さす。何を言っているのか、と、ノノの母親であろう彼女は一瞬怪訝な顔をしたが、娘が指さした先に一人の旅人を認めれば、その顔をひきつらせた。
「近付いちゃだめよノノ! あの人のせいで……!」
母親はノノを抱きしめる。けれどもノノは、その腕から抜け出そうともがいていた。
「どうしてみんなそんなこと言うの? あの人は、そんな人じゃないよ!」
「あなた、見なかったの? あの人の恐ろしい本当の姿……!」
「すっごく綺麗な人だよ! それだけじゃないよ、あの人がみんなを助けてくれたんだよ!」
「ノノ!」
無邪気に笑うノノに、ついに母親の怒鳴り声が街中に響いた。周囲の人々は、心配そうに二人を見つめていた。
――その間に、カラスは街の外の暗闇へと、歩き出していた。
待ってよ、と声が聞こえた気がした。けれども振り返らなかった。
暗闇が周囲を包んでく。星油ランタンを手にしているものの、その黒色に溶け込むようにして、カラスは消えていった。
【第七話 尾の毒 終】




