第七話(03)
* * *
一日中街を眺めて考え事をして潰した、次の日。
収穫祭の日だった。
街は広場を中心に賑わっている――どうやら、街の数カ所に机を出して、収穫した『紅玉星の実』をそこで切り分けて食べるようだった。その中でも、街中央の広場の設営が一番大きいらしく、一番に人が集まっているようだった。
しかし。
「――ねえ! これだけしか採ってこられなかったの? 足りないわ、もう一度行ってきて!」
「待って、こっちはこっちで食器を用意しなくちゃいけないのよ!」
「はい、みんな、もうちょっと待ってちょうだい! ――誰か、手が空いてる人いないの?」
……どうやら、人手が足りていないようだった。
「……何人か、風邪をひいちゃったんだって」
カラスがじっと運営の人間達を見つめていると、隣に立っていたノノが教えてくれた。
――本当は、こんなにも人が多い広場に来るつもりはなかった。広場以外の場所で、ちょっとだけ収穫祭の様子を見て、ついでに『紅玉星の実』をもらおうと思っていたのだ。
そうであるのに、朝からノノが宿屋にやってきて、手をひかれてカラスはここまでやってきてしまった。
「……風邪ね」
改めて周囲を見回せば、くしゃみをして鼻をすすっている人がいる。咳をしている人がいる。
どうも、流行っているらしかった。それでも人々は、生き生きと収穫祭に参加していた。先程、人手が足りないと叫んでいたものの、集まっていた人々が協力し始めた。収穫した果物を持ってきたり、皿を用意したり、そしてあの赤い実を切り分けて人々に渡す――。
「俺、ちょっと寝込んでる奴らに、これ持って行くわ!」
一人が声を上げた。手に持っているのは、切り分けた果物を山盛りに乗せた皿だった。
「お願いするわ! みんなも、これを食べたら元気になるはずよ!」
一人が手を振れば、皿を持った彼は広場を離れていった。
果たして本当に、風邪が治るのだろうか、とカラスが首を傾げていると。
「ほら! 旅人さんももらいにいこうよ!」
ぐいぐいと、ノノがマントの裾を引っ張った。
カラスは溜息を吐けばノノとともに歩き出した。広場の中央、果物を切り分けている場所を目指す。人々はそこで、皿に盛られた『紅玉星の実』をもらっているようだった。一人に一つ。もらった人々は、目を輝かせて、その皮の赤色と、中の乳白色を見つめている。口にすれば、幸せそうに微笑んでいた。
「そういえば、旅人さん、結局旅立たなかったんだね!」
振り返りながら、ノノは無邪気に笑う。
「……忘れ物をしたのよ」
カラスはそう適当に答えた――忘れ物なんて、もちろんない。
……かといって、収穫祭が気になって残ったわけでもない。
気になるのは、あの『紅玉星の実』と。
――ごほっ、と聞こえて、カラスが見下ろせば、ノノの顔は少し赤かった。赤くて眠たさそうで――だるそうだった。
一昨日、風邪気味だったノノ。まだ元気に笑ってはしゃいでいるものの、明らかに悪化していた。
一体この子の親は何をしているのだろうか、と考えてしまう。けれども、もしかするとノノは、大人しくしていろと言われたにもかかわらず、抜け出してきたのかもしれない――辺りを見れば、親子で収穫祭に来ている家族が多いものの、ノノは一人なのだ。ノノは一人で宿屋まで来て、自分を引っ張り出した。
「……あなた、大丈夫なの?」
尋ねれば、ノノは咳を一つして、けれども微笑んだ。
「大丈夫だよ! ……実はね、宿屋に行く途中に……『紅玉星の実』をつまみ食いしちゃったんだ! だから大丈夫!」
「……あのね。あの果物、薬じゃないのよ」
そう、薬ではないのだ。
どうも街の人々は、この『紅玉星の実』を信じているようだった。街にとっては希望の実ではあるのだろうが、少し変だと感じるほどに、この街では信仰されているらしい。
『紅玉星の実』を切り分けているテーブルの前まで来れば、カラスとノノは、できていた列に並んだ。周囲の人々が、旅人だ、旅人さんだ、と声を上げて、まさにいいものを見たと言うように微笑む。目立ちたくはなかったのに、とカラスはフードを引っ張ってより目深に被るものの、そこまで悪い気はしなかった。
こんなに歓迎されているのは、初めてかもしれなかった。
「今年はきっと、いいことがあるわ……!」
そんな声も聞こえてくる。それが、嬉しくて。
――色素のない髪に、赤い瞳。不気味な見た目だと、いままで何度も言われてきたから。
やがて、果物を切り分けているまさに目の前に、カラスとノノはやって来た。
「ああ旅人さん! ぜひ食べてくれ! 食べたらきっと、幸福が訪れるぞ!」
『紅玉星の実』を切っていたのは、中年の男だった。カラスを見ればひどく嬉しそうに微笑んで、そして籠に積まれた赤い実を一つ、手に取る。林檎ほどの大きさだ。男はそれを、包丁で切っていく。美しい赤色の皮をむかないまま、簡単に四つに分ければ、中の真珠のような白色が露わになる。林檎のようにしゃきしゃきとしているようではないらしい。水分が多く、桃を思わせた。
「さあどうぞ……皮と種は食べないように。それからノノも……」
男は切り分けた『紅玉星の実』を、皿に乗せてカラスに渡してきた。続いて彼はノノの分も切って渡してきたが。
「……そういえばノノ、昨日、風邪を引いているから明日は出られないかもって、お前の母さんが言っていたけど」
「……ん? んーん! 大丈夫!」
そう笑って皿を受け取った彼女は、やはり顔が赤く、熱がありそうだった。
――食べ終わったら、家まで送り届けるか。
本人はまだ元気そうだった。熱がありそうに見えるものの、実際にはないかのようにはしゃいでいる。しかし油断はできない。
いま、無理やり返してしまっても、ノノはまた家を抜け出して来てしまうだろう。果物を食べれば、満足するはずだ。
皿を受け取って、二人は広場の隅へと向かった。座る場所はないし、フォークやスプーンはないため、立ちながら手で食べることになる。
「これが『紅玉星の実』だよ! こうやってね、かぶりつくの!」
ノノは片手で実を手にすれば、白い中身にかぶりつく。幸せそうな笑みを漏らしながら咀嚼して、そして小さな種をいくつか、皿に戻した。
「種は食べちゃだめだよ! 小さいから気をつけてね!」
そして次は旅人さんの番だよ! とこちらを見るものだから、ノノにならうようにして、カラスも『紅玉星の実』にかぶりついた。
その味は。
「……お、思ったより酸っぱいのね」
思わず、顔を歪めてしまった。
甘い、と聞いていたけれども、それが何かの間違いではと思うくらい、酸っぱかったのだ。しかし、咀嚼しているうちに。
――急にすごく甘くなってきた。
それは不思議な味だった。酸っぱいのは、最初の一瞬だけ。すぐに味は甘くなってきて、最後には蜂蜜のような甘さになっていた。フードの下、赤い瞳を丸くさせる。
「どう、旅人さん! うちの果物の味は?」
近くにいた街人が、肘で軽くつついてくる。まだ口の中にものはある、カラスは無言で頷くしかなかった。けれどもそれで、ノノや周囲の街人は喜んでいた。
「美味しいって!」
「気に入ってもらえてよかったねぇ」
「あっ、あとでみんなでジャムも作るんだ! 旅人さん、良かったら一緒に作らない?」
気付けば周囲は、カラスを囲むようにして賑わっていた。あまりにも人が多いために、カラスは戸惑ってしまったものの、悪い気はしなかった。
――不思議な果物。
咀嚼しながら、皿の上にまだある切れ端を見つめる。皮の赤色は、間近でみればひどくつやつやしていて、自然に出来たとは思えないほど美しかった。
と、かりっ、と何かが歯に当たって、反射的に顔を顰めた。
「旅人さん、種は出さなきゃ」
ノノに言われて思い出す。そうだ、種があったのだ。口元を隠しながら、皿に小さな種を戻す。真っ白な皿に、黒い粒のような種がいくつか、転がり出る。
その種の形が奇妙で、カラスははたと、見つめてしまった。
それはまるで、かつて別の街で見た「金平糖」と呼ばれるものに似ていた。ちくちくとした何か。といっても、鋭いわけではない。先の丸い角が、いくつも生えているかのような種。
しかしその特徴的な形の種を、金平糖以外でも、見たことがあって。
「――この種」
脳裏をよぎったのは、かつて読んだ薬草図鑑の一ページ。
――紫色の、紡錘形の実。中身は薄い桃色。しかし並んだ小さな種は、いま目の前にある種と全く同じ形。
その果物の名前は。
「……これってもしかして、カルル・コの仲間なの?」
はっとして、口元を押さえた。
何故なら、その果物は、薬にもなる実ではあるけれども。
――同時に、毒となる実でもあるのだ。
その実も、その花の花粉も――。
――皿の割れる音がした。それも間近で。
何かが寄りかかってきて、カラスは片手でそれを支えた。
ノノだった。力が入らなくなった手から皿が滑り落ちて割れて、それでも何とか立っていようと、カラスに寄りかかったのだった。
「ノノ!」
片手で彼女を支えながら、カラスはゆっくりと座り込んだ。ノノはそのままくずおれる。
ノノの息は乱れていた。先程まで元気そうに浮かべていた笑みは消え失せ、苦しそうな表情に変わっていた。目はまだぼんやりと開けている。
「しっかりしなさい、ノノ!」
自身の皿を地面におけば、カラスは両手でノノを支えた。
ノノの身体は熱かった。高熱を出しているようだった。
一体どうしたんだと、周囲の人々がざわつく。と、少し離れたところでも、妙にざわつきはじめた。
カラスが顔を上げて見据えれば、そこでも、体調を悪そうにした男が、座り込んでしまっていた。その顔は赤く、熱っぽい。咳をして、鼻もすすってる。やがてその男は、地面に横になってしまって。
収穫祭に賑わっていた広場は、徐々に騒然とし始めた。あちこちで、人が倒れはじめていた。
「――カルル・コの実よ! 毒に当たったんだわ!」
我に返って、カラスは叫んだ。
しかし街人達は、何もわからないと言うように愕然としていた。
……ちっ、とカラスは舌打ちをした。
「ああもう! 知らないのね!」
そうしてノノの小さな身体を背負えば、フードの下からかすかに白い髪がこぼれてしまうのも気にせず、人々に怒鳴った。
「この街の病院はどこ! 早く解毒しないと、命に関わるわよ!」




