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星灯りと明けない夜  作者: ひゐ
第四話 瞼の向こう ~デューゴの物語~
19/98

第四話(04)


 * * *



 次の日の朝。目的の街まで、あと少し。

 ランタンの様子を見て、デューゴは星油を少しだけ足した。思っていたよりもずっと、星油の残りはあった。惜しみすぎたのかもしれない、節約を通り越して、けちに思える。だが、旅はもう終わるのだ。


 しかし心配事は別にあった。

 ふと振り返る。黙々と歩く兄の姿がある。その胸元にペンダントはない。


 昨日の夜、兄から渡されたペンダントはいま、デューゴのポケットの中にあった。身につけてはいない。これを喜んで身につけていいのか、わからなかったからだ。


 兄は、あのことを父親に話したのだろうか。そのことに関しては、何もわからない。二人とも、黙り込んでいる。何かあったのか、何もなかったのか。しかし母親を見れば、少し困った様子を見せていたから、話したのかもしれない。結果はどうなったのか、わからないけれども。


 どのみち、自分にも何か話されるだろう、と、デューゴは前を見た。星油ランタンがわずかに揺れる。これは、兄だけの話ではないのだから。だからこそ、ペンダントを渡されてしまったのだから。


 けれども、もしこのまま、兄が家業を継がないとして。


 ――自分は、どうするべきなのだろうか。

 兄のように、やりたいことなんて、思いつかない。


 だからこそ、焦る。

 自分が空っぽだったことに気がついて。


 言われて気がついた。養鶏農家は決して「やりたいこと」ではなかったと。

 やりたいこと――自分が何になりたい、とか、何を成し遂げたい、とか、何を学びたい、とか。


 溜息が出てしまう。思いつくことと言えば、ただ平和に生きたかった、それだけだ。


 だが、いまそう考えると、妙な違和を感じてしまう。

 それをやりたいことと言って、いいのだろうか、と。

 ただただ、歩いていく。


 ……多分、いまのような状態だったのだ。ただひたすら、暗闇を歩いているような状態。ぼんやり先を目指しているかの状態。進んでいるだけで、どこにも向かってはいなかった、というような。それはつまり、進んでいないのと、同じようなものだ。


 平和に生きたい。そう考えることで、何も考えていなかった――自分が何者であるのかも。


 けれども。


 先を見る。いつもの光景。光の行列。何一つ変わっていない。


 どこへ向かえばいい。どこへ向かいたい。何がしたい。


 前を見据える。何も見えないけれども、何かを見ようとするように。


 どこへ向かいたいかはわからないけれども。

 「どこかへ向かいたい」ということは、わかった。

 自分は、自分の生きたいように、生きたいのだ。


 深く、深く、溜息を吐く。

 街の光は消えた。だが、それで見えたものがあった。

 暗闇だった。そしてその先の小さな光だった。

 ――そんな気がした。


 周りに光があった。それで満足した。だから小さな光すらも、手に入れようとは思わなかったのだ。


 先に進もう。そう考えて、瞬きをした。それでも風景は変わらないけれども。

 先に進もう。やりたいことは、わからないけれども。


 前へと続く光の行列が、何故か新鮮に思えた。いままでよく見ようとしていなかったからだと、気がついた。そこに光がある、それだけを、思っていた。そのことに、気がついた。

 変な感じだ。


「――何笑ってんだよ」


 とん、と後ろからつつかれた。少し離れたところでしかめ面しながら歩いていた兄が、そこにいた。

 言われて気がついたが、自分は笑っていたらしい。


「……考え事してただけだ」


 正直に言うのが恥ずかしくて、デューゴは口をとがらせて答えた。すると兄は、少しいやらしい顔をして、尾のように結んだデューゴの髪を軽く引っ張る。


「何だ? エロいことでも考えてたか?」

「ちげーよ馬鹿かよ」


 どうも、兄に落ち着きがない。昨晩の話の件だろう。父親に話して、何があったのか。うまくいったのか、そうでないのか。不安なのか、そうでないのか。

 だが。


「……先のことを、考えてただけだ」


 デューゴはしばらくして、兄に伝えた。


「いっても、何にも考えられてないけどな! まあ……昨日のお前の話のせいだ、やりたいこととかさ」


 お前の話の「せい」だ、ではなく、「お陰」だ、が正しいのだけれども。

 素直にはなれなくて、まるで投げつけるかのように言ってしまう。しかし、兄はやはり兄であるためか、言いたいことは、伝わったらしい。


「……そうか」


 怒ることはなかった。少し驚いた顔をしたものの、納得したような表情に変わり鼻で笑う。


「なんかあったか? 手伝うぞ」

「だから、何も考えられてないんだって」


 いま言ったばかりだろ、と、誤魔化すようにデューゴは肩を竦めた。なんだかんだ、兄には伝わってしまうものなのだ。だが、素直になるべき時は、なるべきだと、わかっている。だから、


「……でも、初めてそういうこと、考えた」


 自然に俯いてしまったものの、


「ありがとな、話してくれて。俺も……考えられるようになった」

「……なんだよ、気持ち悪いな」


 と、兄がわずかに後ろへと距離を取る。せっかく言ってやったのに、とデューゴは顔を少し赤くしながらも、後ろに行った兄を睨んだ。すると、兄もわずかに顔を赤くしていた。


 兄弟でこういう話をするのは、あまりなかったかもしれない。

 あたかもそうだよな、と確認するかのように、デューゴは兄を見ていた。兄の後ろには、また光の行列が続いている。


 だが、ふと、違和を覚え、真顔になる。


「何だよ?」


 兄が怪訝な顔をする。しかし、兄に違和を感じたわけではなかった。その後ろだ。こちらへと続く、光の列。同じ街を目指す、人の列。


 まるで息をしているかのように揺れる光。それは火の光だったり、星油ランタンの光だったりするが、どれもふわふわと生き物のように動いているのが見える。いつもと変わらない。いままでずっと、前を見たり、後ろを見たり、きょろきょろしていたのだから間違いない。けれども――何かが変だ。


「どうした?」


 異変に気付いて兄も振り返り背後を見つめる。けれども、兄は何も言わず、再び「何かあったか?」と首を傾げる。兄の目から見ても、何も変わったことはないらしい。


「いや……何も」


 だからデューゴも気のせいだと思い、軽く頭を振ったが、違和感は拭えない。じっと、見つめ続ける。

 何がおかしいのだろう。それとも、おかしいのは自分か? 考え方が少し変わったからか?


 ――短くなっている?


 やがて、そんな気がして、首を傾げた。

 前にも後ろにも続く、光の列。その尾が、短くなっているような気がした。


 気のせいだろうか。延々と延びているような気がしていつも見ていたが、今日は終わりが見えていた。目覚めたように考え方が変わったためか。ぼんやりとしていた頭が、少しすっきりしたためか。


 と。

 最後尾にあった光が大きく揺れた。まるで小魚のように。


 そして、消えた。

 消えた。ぱっと。蝋燭の火に息を吹きかけたようにとは違って、隠されたかのように消えた。


 瞬きをする。目の錯覚だろうか? 深呼吸をするように、もう一度目を閉じて、瞼を開ける。すると、先程見た光がどの光だったのか、どこで消えたのか、わからなくなってしまった。

 幻、だったのだろうか。


 否――また光が消えた。暗闇に隠されるように。音もなく、悲鳴もなく。

 反射的に瞬きをする。消えている。確かに光が消えている。それでも、気のせいのような気がして、理解が追いつかなくて、デューゴは首を傾げたままだった。


 理解したくないから、理解できない。

 だが、やっと声が出た。


「おい……あれ……」


 どうして光が消えていく。まるで尾から食べられているかのように。

 兄も気付いて顔をしかめた。消えていく光を、じっと見つめる。父親も異変に気付いて振り返る。母親はどうしたの、といわんばかりに家族を見つめる。他の者は、振り返らない。前も後ろも見たくないとでもいうように、俯いていたから。

 デューゴが気付けたのは、奇跡と言えた。


 笛の音が響いた。悲鳴のような音が暗闇を切り裂く。我に返った父親がとっさに吹いたのだ。危険を告げる音。

 俯いていた人々が、まるで起こされたかのように顔を上げる。切羽詰まったような音に、何か悪いことが起きているのだと気付くものの、何が起きているのか、誰も理解ができない。振り返って呆然とする。そこにいたはずの人間が、光が、消えていることに、目を疑い理解を拒む。


 目の前にあるのは暗闇。何もない、黒色。呆然と見つめていた一人が、また隠されるように暗闇に消えた。


「走れ!」


 誰かの声が響いた。はっとして、デューゴは走り出した。止まっている場合ではない。走らなければ。兄と共に走る。星油ランタンが、激しく揺れる。


 走れ――走れ――。まるでこだまするかのように人々が声を上げている。その意味も分からない様子で、ただただ悲鳴を上げているかのようだ。父親が再び笛を吹く。


 『暗闇』だ。

 それも巨大で星油の光を恐れない――まさに死が具現化したような『暗闇』。

 噂ばかりだと思っていたのに。存在しないと思っていたのに。


「急げ、デューゴ! 早く!」


 足が急に重くなる。並んで走っていた兄が気付いて叫ぶ。


 その次の瞬間だった。

 背後から、何かに包まれたかのような感覚がした。

 冷たくも温かくもない。何もいないかのようだが――確かに、何かがいる。


 ふっと、持っていた杖の先、ぶら下がっていた星油ランタンが消えた。

 まるで目がなくなったかのように、視界が黒色になった。

 何も見えない。訪れる静寂。先程まで、笛の音や悲鳴が聞こえていたのに。それが全て幻だったかのように、いまはもう、聞こえない。


 空気が重くなってまとわりついてくるかのように、動けなくなる。あたかも粘り気があるかのように、吸えなくなる。足が動かない。息が止まる。

 動けない、声も出せない。震えることもできない。時間が止められてしまったかのようで――徐々に、自分が溶けていくかのようだった。


 痛みも他の感覚もない。

 きっと、死んだことさえもわからない。

 息ができないのに、苦しくもない。


 もうだめだ。もう、だめだ。

 ……もうだめなのか。


 不安も感じない。眠りに落ちていくのに似ていた。


 ―――――走れ。

 ―――走れ。

 走れ。


「――走るんだデューゴ!」


 兄の声が、聞こえた。

 何かに背中を押されたような気がした。


 詰まっていた息を吐き出して、前に転びそうになったが、一歩踏みだしそのまま転がるように走り出す。


 走らなければ。

 見えない。何も見えない。音も聞こえない。自分の息づかいも、足音も何も聞こえない。果たして自分がいま走っているのか、それすらも曖昧だ。


 それでも、走らないと。

 背後から、何かが迫ってきているような気がした。


 と、足がもつれた。

 悲鳴を上げた気がしたけれども、聞こえなかった。

 前へと倒れ込む。しかし、杖はまっすぐに握ったまま。


 消えてしまった星油ランタンだが、手放し割ってしまえば、もう助かることはない。光を失うわけにはいかない――そう思ったのは、残っていた理性か。あるいは生き残りたいという本能か。


 身体の前面を擦るように倒れ込んだ。痛みはなかった。

 と、こん、と小さなものが落ちる音が聞こえた。石が転がったような音。

 それはこの暗闇でやっと聞き取ることができた音。


「……ぅあ」


 声が出た。身体が痛かった。

 傍らを見れば、本当に小さな光が転がっていた。

 兄から渡されたペンダントだった。星油を閉じこめたペンダント。


 土埃にまみれた手で、ペンダントを拾う。光はあまりにも小さく『暗闇』を追い払うことはできない。


 だからデューゴは痛む身体を叩き起こせば、再び走り出した。

 走らないと。走らないと。

 先程までわからなかった自分の息遣いがうるさい。身体が痛くてうまく走れない。そのせいで、また転ぶ。今度は座り込むように。星油ランタンの杖にすがりつくかのように。


 身体は震えていた。気付けば泣いていた。

 そして周囲を見回せばやはり真っ暗で、しかしあの気配がなくなっていることに気がついた。


 ――光が、欲しい。この暗闇を照らす光が。

 明かりをつけないと。このままでは。

 ポケットに手を入れ、マッチ箱を取り出す。暗闇の中、杖をたどって星油ランタンに手を伸ばせば、手探りで芯を出す。


 大丈夫。大丈夫。あとは火をつければいい。

 暗闇の中、手探りでマッチ一本を取り出し、擦る。しかし暗いためか、手が震えているためか、ぱきりと音が聞こえてきた。折れてしまった。慎重に。慎重に。またぱきりと音がする。落ち着け。落ち着け。深呼吸をして、もう一本取り出す。だが、それも擦る前に力んで折ってしまう。


 火が灯ったのは、四本目だった。赤い小さな光が生まれる。変な持ち方をしていたためか、指が熱い。

 それでも、ランタンの白い芯に、火を灯す。

 そしてあたりは白い光に包まれた。


 かつて空にあったという、太陽の色。

 星油ランタンは、元のように輝き始めた。


 その光を吸い込むかのように、デューゴは深呼吸をした。涙を拭った手は、転んだときに擦りむいたのか、血が出ていた。


 生きている。『暗闇』から逃げ切った。

 自分は確かにここにいる。

 だが、我に返る。


 ――あたりを見れば、ただ暗闇が広がっていた。

 何の光もない。


「……兄貴?」


 あまりにも弱々しい自分の声だけが聞こえる。


「親父? 母さん?」


 何の返事も返ってこない。何の光も見えてこない。

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