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星灯りと明けない夜  作者: ひゐ
第四話 瞼の向こう ~デューゴの物語~
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第四話(03)


 * * *



 旅に出て五日が経った。先に光は見えないが、あと二日だ。

 旅は順調だった。思っていたよりも、ずっと順調だった。もっとも、慣れない旅で精神的体力的に辛くなった者を除いた話だが。また聞いた話だが、列の前方の方では、食料が盗まれる、という事件があったそうだ。


 だがそれは、街のはずれの噂話程度にしか聞こえなかった。だから、特に何も起きていない、ということになる。

 もうすぐで目的の街につく予定なのだ。そうすれば、一安心だ。そう思えば、気が楽になった。自然と表情が明るくなる。少し疲れを感じていたけれども、まだ歩ける、そう思えた。


 けれども。

 デューゴが周りを見れば、表情の明るい者なんて、ごくわずかしかいなかった。皆、ただ暗い表情でもくもくと歩いている。ある者は先を見て、ある者は俯いて。異様な雰囲気だ。


「……おい、ちゃんとランタンを掲げておけ」


 と、まるで鳥のようにあたりを見回していると、父親に注意された。杖はランタンの重さに、前に傾いていた。


「何かにぶつけて壊したらどうする」

「はいはい」


 杖をしっかりと握り直す。ランタンが高い位置に戻る。


「ちゃんと星油や食料、水の管理はできてるだろうな?」


 続けて聞かれる。ランタンを持つ係を担うことになったのだ、星油の管理はもちろん、食料や水も自分で管理できるだろう、と、自分の分は全て自分で持っていた。


 もっとも、これは自立のため、といった目的ではなく――万が一、何かあって列からはぐれたり、一人になったりした際に、食料と水があれば、少しでも長く生きられるためだから、と噂を聞いた。ただし、星油ランタンがなければ、意味はないのだが。それでも、まるで生きる希望を忘れないためのお守りのように、持たされているのだ、とか。


 まるですがるかのようだ。星油の光がなくては、助からないのに。

 だが幼い子供を除いて、ほとんどの住人が、自分自身で水と食料を持っている。列前方で食料が盗まれたという話もあったのだ、自分の分は自分で管理する。それが一番安全かもしれない。一か所に集めておいて、それがごっそり盗まれては大問題だ。


「星油も水もメシも全部大丈夫さ」


 デューゴはリュックを手で叩いた。


「それに、旅もあと二日だけだろ? もう終わるじゃないか」


 そう、必要なものは二日分以上あるし、この旅もあと二日で終わるのだ。心配はいらない。

 ――と、信じたい。


「そうとは限らないのよ、デューゴ」


 後ろを歩く母親が優しく諭す。


「それは、無事に進めていればの話なのよ、忘れないでちょうだい……」


 その声はひどく不安そうで。

 ――無事に進めていれば。

 ――何か間違っていたら。

 それ以上デューゴは言葉が出てこず、固唾を呑んだ。

 忘れていたわけでは、なかったけれども。


 ……だから、皆、暗い顔をしているのだ。


 怖いのだ。二日後に見る光が。果たして本当に見えるのかどうか。

 順調であるあまり、考えてはいなかった。間違える、なんて。考えようとしていなかった。

 先を見れば、小さな光の行列がある。それ以上先は、暗闇。見るのも飽きるほどの、黒。


 ふと俯いた。

 息をすると、黒色が入ってきそうだった。見ているだけでも、目から体内に入ってきそうだった。


 そこで耳に突き刺さったのは、笛の音だった。前方から響いてくる、高い音。暗闇に三回響く――今日はここまで、という意味だ。


 見れば、手にした杖の先、ランタンは黄色っぽくなっていた。夜になった証だ、かつて空にあったという、月の色。

 笛の音を聞いた父親が、首から下げていた小さな笛を口にして、同じように吹く。そうして、列の後ろへと伝令を回すのだ。


 皆が順々に立ち止まり、その場で一晩を過ごす準備を始める。父親や母親も、準備を始める。デューゴだけは、改めて先の暗闇を見つめていた。


 ――この先に光があるとは思えない暗闇。後ろを見ても暗闇。

 どうして、こうなってしまったのだろうか。

 しかし、理解はでき始めていた。


 ……どういう形であれ、この旅がいつか終わるように。

 ……何事にも、終わりや変化というものはあって、避けられないものなのだろう、と。


「なーにぼうっとしてんだよ!」


 声をかけられ、背中を叩かれた。振り返れば兄がいた。どこか楽しそうに笑っている。

 思えば、兄は旅を始めてから、ずっと楽しそうだった。怖くはないのだろうか。


 兄の胸元を見れば、球体のペンダントが輝いている。中に星油を閉じこめたお守りだ。この家の次の主、つまり養鶏農家の次の主に渡されるもの。


 あのまま、何事もなければ、兄が父親のあとを継いだのだ。

 そうして自分も、あのままククッコドゥルを育てつつ、穏やかに日々を過ごしていくのだろうと思ったのに。



 * * *



「――あのまま、暮らしてくんだと、思ってた」


 その夜。まるでいままでと別れを告げるように。


「こんなことになるなんて、思ってなかった」


 焚き火を前に座ったデューゴは、そう漏らした。

 焚き火を囲んでいたのは、自分と兄だけ。父親は明日の行程のため、会議へ向かった。母親は馬車の中の鶏達の様子を見にいった。


 あたかも旅人のように手記を書いていた兄が、きょとんとして顔を上げた。だから何だが恥ずかしくなってしまって、デューゴはより膝を抱えた。それでも、そっぽ向いて続ける。

 足下では、星油ランタンが話を聞くように輝いていた。


「養鶏農家になって、お前の手伝いしてさ、相手がいたら結婚して……あの街で全てが進んでいくと思ってた」


 でも、街は死ぬのだ。だから捨てた。

 先を見なければ。でも。


「……新しい街についたら、いままで通りやっていけるのかどうか……先のことが考えられない……お前はどうなんだ?」


 だから兄の話を聞きたかった。兄はこの先のことを、どう考えているのか。


「……お前、養鶏農家になりたかったのか?」


 兄はしばらく考え、ペンを置き、手記を閉じた。旅人でもないのに、何故手記をつけているのか。確かに、兄のように手記をつけている者は、ちらほらと見るけれども。


「そうじゃない、平和に暮らしたかっただけさ」


 養鶏農家になりたいか、なりたくないかなんて、それ以前の問題だった。


「……だから、この先無事にやっていけるのか、びびってるんだ」


 平和な暮らしに戻りたかった。

 焚き火の光が眩しい。まだそう遅い時間ではないはずなのだが、あたりは静かだ。あたかも暗闇から目をそらすように、行列の半分程が、もう眠りについていた。瞼を閉じた先も、暗闇だというのに。


「――俺はいま、楽しいよ」


 しばらく待って、返事が聞こえてきた。


 楽しい? こんな状況が?

 ひどく不思議な言葉で、というよりも、どこか理不尽さをも感じてしまう言葉で、デューゴは耳を疑った。こちらは、何一つ楽しくないというのに。それどころか、この旅をしている者全員が、できればこんな旅をしたくなかったと思っているはずなのに。


「……楽しい?」


 聞き間違いかと思って、聞き返す。だが、兄はどこか呆れたように、そしてどこか満足そうに笑っていた。手記の表紙を撫でる。そこに全てがあるというように。


「……家業を継ぐのが、嫌だったんだ」


 兄は溜息を吐いて、やっと話してくれた。


「このまま、何もなく、こうなるのかなーと思った通りに人生が進むの、嫌だったんだ」


 いままで、兄からそんな話は、聞いたことがなかった。家業を継ぐのが、嫌だなんて。そのまま流れるように人生を過ごしていくのが、嫌なんて。


「……そう、だったのか?」


 父親からもそんな話は聞いていない。恐らく、兄はずっと黙っていたのだろう。思わずデューゴは兄へ身を乗り出すようにして、両手を地面についた。それほどに、信じられない話だったのだ。

 そんな弟の様子を見て、兄はさらに困ったように笑って、


「嫌気がさしてたんだ。最初に生まれたからって、継がなくちゃいけないってことにさ」


 黙って、我慢して、この家の長兄としてペンダントを受け取り、日々鶏達の世話をしていたのだろう。


「農家以外のこと……自分で見つけた、何かやりたいことを、やりたかったんだ。ククッコドゥルの世話は、やりたくないことじゃなかったけど、やりたいことでもなかった。だから……何か、やりたいことっていうのを、見つけたいと思ったんだ。でもそんなこと言っても……どうしようもないって、諦めてたんだ」


 顔を上げて、あたりの暗闇を見回す。どこも何も見えない。けれども、何かを見いだしているかのような顔をしていた。

 思い返せば、兄はこの時、暗くも広い世界に、様々な可能性を感じていたのだと思う。


「変なことを言うかもしれないけど……星油が枯れ始めて、引っ越すって聞いて、安心したんだ。これで俺の人生は変わるんだって……変えようとすると、なかなか変わらないものだけど、変わるときはがらりと変わる、変な話だよな」


 兄は手記をリュックにしまえば、そのまま寝る準備を始める。固い地面に、薄汚れた敷物を敷く。そして毛布をばさばさと広げ、と、その毛布をおろして、


「……デューゴ、ちょっとこっちに来い」


 呼ばれたものだから、困惑しつつもデューゴは立ち上がり向かう。目の前まで来ると、兄から何かを差し出された。片手で受け取ると、それはあのペンダントだった。ぼんやりと光を放っているように見える。ずっと握っていたのか、温かい。


「おい、これ……」


 何故渡されたのか、理由はわかった。

 兄には、もう家業を継ぐ気はないのだ。


「新しい街に着いたら、俺はもう、養鶏農家をやらない」


 口に出すことで、決意を固めるような様子で。

 あるいは、宣言することで叶うといった様子で。


「新しい街で、何か新しいことをしたいんだ。見つけられなかったら……見つけるまで、旅をしてみようと思う……明日、親父に言うよ」


 兄を見上げる。わずかに背が高い兄。同じ黒髪、同じ金の瞳。


「押しつけるようで悪い……でも、ククッコドゥルを育てることに尽くしたいのなら、そうしたらいい」


 そう言った兄の顔は、真剣そのものだった。一歩先へ、進もうとしているのだ。自分の選んだ道へ。たとえ、この暗闇の中であっても。それとも、この暗闇の中だからこそ、だろうか。

 と、兄は笑った。


「……デューゴ、お前は何か、やりたいこととか、ないのか? そのペンダントを押しつけて、俺は本当に悪いと思ってる……でも、お前も何かやりたいことがあるなら、俺に言え、何とかするから」


 そうして兄は「あぁ~、なんか気張っちゃって疲れたぜ、お前相手にこれだからな、明日親父相手だとどうなるんだこれ」と、ぼやくようにして、横になり毛布にくるまった。こちらに背を向け、それ以上はもう何も喋らない。だが、まだデューゴがそこに立っていると、しばらくして気付いたのか、


「――寝ろ、デューゴ、明日も大変だ。特に俺が。お前もなんか言われるかもしれねぇ」

「――ああ、もう、寝るさ」


 やっと我に返って、デューゴは自分の荷物のある場所へ戻った。寝る支度を始める。手には、あのペンダントを握ったまま。寝る支度が終わって、手の中を見れば、もちろんあのペンダントがそこにある。兄のいまの話は、夢ではないのだ。


 ポケットにそれをしまい込んで、もうどうすることもできない様子で、横になり、毛布にくるまった。焚き火の方を見れば、その近くでは星油ランタンがきらきらと輝いていた。かつて、あの街で暮らしていた際、家で灯していた星油ランタンの光と全く同じ輝き。この暗闇を照らす光。目を閉じると、瞼を通り越してその光と焚き火の光が目を刺す。だから背を向けた。すると、目の前には暗闇が広がるのだ。目を閉じていても、開けていても。だから、否応もなく、先程の兄の言葉を考えてしまう。


 やりたいこと。

 あまり、考えたことがなかった。

 ただ平和に暮らしていたかった。

 新しい街でも、きっと鶏を育てて生きていくのだと思っていた。


 けれども、自分のやりたいこととは。

 思えば、目標とか夢とか、持ったことがなかった。


 周りだけを見ていた。自分は養鶏農家に生まれたのだから、次男であっても家と街を支えつつ生きていくのだと思っていた。それ以上先、あるいは別の先を目指そうなんて、思っていなかった。


 流れで生きていた。

 やりたいこと、自分でどこかへ進もうなんて、考えていなかった。


 ――俺の、やりたいこと……。


 あまり、自分を知っていなかった気がした。

 その日、眠りに落ちるまで自分のやりたいことについて考えたが、答えは出せなかった。

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