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星灯りと明けない夜  作者: ひゐ
第二話 夜の海を泳ぐ ~エピの物語~
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第二話(03)


 * * *



「オーヴァスは、昔、一度だけ伝達役をやったんだ」


 朝の街に、人影は少ない。『星油の泉』に続く大通りですら、歩いている人は少ない。その変わりに、朝食を作っているのであろう音が、家々から聞こえてくる。煙突からは、煙が立ち上っている。


 宿屋の主は、エピとセナティを連れて先へと進んで行く。説明をしながら、少し早足で、街の中央へと向かう。


「数年前のことだよ。旅人が、街に全く来なくて、それで彼を伝達役に決めて、隣町に向かわせたんだ」


 伝達役とは、隣の街に、まだこの街が存在すること、またその様子を伝える役のことだ。加えて、物品の交換も行う。街と街を繋ぐ役だ。旅人が街を訪れたならば、その旅人が物品を交換してくれる上に、旅立った際に、他の街にこの街のことを伝えてもらえるために、伝達役は必要ない。けれども旅人が来なかったときは、住人の中から一人決めて、伝達役として外に送り出さなくてはいけない――伝達役は、名誉な役ではあるけれども、楽ではない。街を出て、暗闇の中を歩かなければいけないのだから。誰もやりたがらない。立候補者がいなければ、基本的には身内のいない者や、くじ引きで決められる。


「オーヴァスはくじで伝達役に決まってな……少し気の弱い青年だが、それでも決まればやると決意して街を出ていったんだ。そして無事に隣の街に着いて、交流を保ったんだが……帰りに『暗闇』に襲われたらしいんだ。それも、星油の光を恐れない『暗闇』に」


 希にいるらしい。星油の光を恐れない『暗闇』が。

 旅人にとって、それは恐ろしい存在。暗闇の中に潜む、全てを呑み込もうとする『暗闇』。星油の光は確かに大抵の『暗闇』を払える。けれども、小さな星油の光ならば、逆に呑み込んでしまうとする『暗闇』もいて、それどころか、いくつもの星油の光が集まっても、ものともしない巨大な『暗闇』もいると聞く。


 宿屋の主に代わって、セナティが続ける。


「オーヴァスさんは、それでもなんとか逃げおおせて、命からがら街に帰ってきたんです。でもそれ以来、暗闇を極端に恐れるようになって……相手が誰であろうとランタンを盗むようになったんです。ランタンが沢山あれば、暗闇を払えるって……」


 やがて、街道の先に、白い建物が見えてきた。あれこそ『星油の泉』だ。街の中心、街を支える存在。地上に落ちた太陽と月の欠片、そして星が地面に染み込み、液体となって地表に噴き出している場所。


 宿屋の主は、その横を通り過ぎ、小さな家の前で立ち止まった。エピが見上げれば、その家の窓は全て閉まっていて、カーテンすらも閉まっている。閉め切った家だった。まるで人が住んでいないように感じられる。


「オーヴァス! いるんだろう!」


 宿屋の主がドアをノックする。返事はない。再びノックしても返事はない。いないのだろうか、とエピは思ったが、宿屋の主は「またか」と溜息を吐けば、ドアノブを掴んだ。


 鍵はかかっていなかった。そして無人で暗いのだろうと思われた室内は、光に満ち溢れていた。

 とっさにエピは目を瞑った。あまりの眩しさに目が潰れてしまうかと思えた。刺激の強さに、吐き気や頭痛を覚えてしまいそうな光。開けたドアの隙間から爆発したかのように溢れ出す。


 なんとか目を開けると、ようやく中の様子が見えてくる。家具の少ない室内。多くの蝋燭とランタンが見えた。蝋燭はまるで雑草のように生えている。棚に置いてあるものはもちろん、床にも多数置かれている。その中に、ランタンが花のようにぽつぽつと置いてある。普通のランタンもあれば、星油ランタンであろうものも見える。全てに火が灯っている。眩しいのは、このためだったのだ。そのために、室内に影が見あたらない。光ができれば影ができるはずだが、その影をもいくつもの光が照らし、なくしてしまっている。


 秩序が乱れた部屋だと、感じた。まるで現実ではないようだった。

 部屋の奥に、テーブルがあった。テーブルの上では、溶けて燭台から溢れ出た蝋が、どろりと垂れて固まっている。その席に人の姿はないものの、テーブルの横に、床に座り込む青年の姿があった。灯りに囲まれた青年。


「開けていいって言ってないよ! ドアを早く閉めて! 暗闇が入ってくる!」


 彼はひどく怯えた声を上げた。彼こそが、この家の主、オーヴァスだろう。声に驚いたセナティが、慌ててドアを閉めた。すると、部屋の中はより光に支配される。

 それはどこか、不気味に思えた。暗闇に包まれているより、光に包まれている方が、間違いなく安心する。けれどもこの部屋は、何かが違う。またそのことが、エピは不気味に思えて、顔をしかめた。


「また星油と蝋燭の無駄遣いをして! やめてくれと言っただろう!」


 宿屋の主が声を上げた。だがオーヴァスに聞いている様子はない。手元にあるランタンに、火を灯そうとしている。


「――それ、僕のランタン!」


 そのランタンこそ、エピの星油ランタンだった。


「そ、そのランタン、返してください!」


 エピの背後で、セナティが声を上げる。


「オーヴァス、そのランタンはお前のものじゃないだろう。この人のものだ。返してくれ」


 宿屋の主も、数歩進んで諭すように言う。すると、オーヴァスはちらりとエピを見た。けれどもすぐにランタンへと視線を移せば、ガラスの中で光を放ち始めた火を見つめる。ただじっと、その光から目が離せないといった様子で、凝視する。


「……そのランタン、返してください。大切なものなんです」


 やがて、エピは宿屋の主の隣へ並び、オーヴァスを見据えた。どんな事情でも、盗みは悪いことだ。そして星油ランタンは、旅をするには必要不可欠なもので、命綱だった。


 オーヴァスに奪われたランタンは、エピが旅を始めた頃から使っているものではなかった。星油ランタンは確かに丈夫だが、壊れてしまうこともあるし、何らかの事情で他人に渡してしまうこともある。奪われたものが何個目であるかなんて、もうわからない。しかし、ここで失うのは困る。


「……このランタンは、よく使い込んであるね。それでいて、手入れもよくされてる」


 再びオーヴァスがエピを見つめる。そして星油ランタンを撫でれば、渡さないと言わんばかりに、引き寄せる。


「ずっと闇を払ってきたランタンだね。これなら、僕に寄ってくる闇も、きっと払ってくれる……どのランタンよりも強い。返すわけにはいかない」


 瞬間、ひやりと寒気を感じて、エピは言葉を飲んだ。

 オーヴァスの瞳は、明るい水色だった。そうであるにも関わらず、まるで彼の中に暗闇が住み着いているように思えたのだ。そして、彼の目を通してこちらを見ている――そんな気がしたのだ。


 しかもその暗闇は、ただの暗闇ではない。旅をしている最中、周囲の闇に恐怖を感じない。だがこのオーヴァスの中に潜むものは違う。確かにこちらを見ている。部屋がこんなに光に満ちているにもかかわらず、彼の中から出て行かない。居座っている。


 はっきりと、暗闇が怖いと感じた。ここまでに、何日も暗闇の中を旅してきたのに。


「オーヴァス! つべこべ言わずに返すんだ!」


 しびれを切らしたのか、宿屋の店主が、もう一歩、オーヴァスへと歩み寄る。


「お前にその星油ランタンは必要ないだろう! ただでさえ、こんなに星油と蝋燭を無駄遣いしているのに。さあ、返してもらうぞ」


 そして宿屋の主は、オーヴァスの持つ星油ランタンへと手を伸ばす。けれども。


「――来るな!」


 オーヴァスはその手を払えば、ランタンを抱えるように持ち、立ち上がる。病的に痩せた身体が、辺りの灯りに照らされる。いまにも倒れるのではないかという足取りで、彼は部屋の隅へと逃げていく。棚や床に並ぶ蝋燭の炎が揺れる。


 それでも、追いつめるように宿屋の店主は室内を進んだ。蝋燭を倒してしまわないように、また火傷しないように気を付けながら。やっとのことでオーヴァスの前までたどり着けば、深く溜息を吐く。そして改めて話をしようとしたものの、


「来るな! 帰れ!」


 瞬間、オーヴァスが威嚇するかのように片手をぶんと振るった。風を切る音に、辺りの蝋燭が一瞬激しく揺れる。

 彼の手には、銀色が輝いていた。だが灯りではなかった。


 それは、この部屋に満ちた光を受けて恐ろしいほどに輝くナイフだった。

 折り畳み式の、果物ナイフだろう。よく見れば刃は汚れていて、切れ味は悪そうに思える。オーヴァスが震える手で握る持ち手の部分も、古びている。はたけば、簡単に落とせそうなナイフだった。しかしこの光に満ちた部屋の中、まるでその光を吸収しているかのように、鋭く輝いている。目を潰してしまうかのごとくの眩しさで、全てを切り裂く力を備えているようだった。


「僕の家から何も持ち出すな! 帰れ!」


 オーヴァスは再びナイフを振るう。今度は一歩、宿屋の主へ踏み出して。セナティが短い悲鳴を上げる。だが、宿屋の主はとっさに後ろに退いたために、ナイフは空を裂くだけだった。それでもオーヴァスはナイフを振るい続ける。


「落ち着け! 落ち着くんだ!」


 危ないと判断した宿屋の主が、そうなだめつつ、玄関の方へと戻ってくる。オーヴァスは、もう何を言っても聞いてはくれないような様子だった。三人全員を玄関まで追いやったことを確認すると、やっとナイフを振るうのを止め、しばらくの間肩で息をしたかと思えば、近くの棚へと突然走り出す。そして引き出しの中から、蝋燭を取り出した。


「――僕の家から光を持ち出すな。光が減ると『暗闇』が来る……今度こそ、僕を呑み込みに来るんだ……」 


 取り出したいくつもの蝋燭を、乱雑に並べると、火を灯し始める。またこの部屋の中に、光が増えていく。それでも彼は満足していなかった。


「……もっと灯りを用意しないと。闇を追い払わないと」


 まるで目が見えていないようだった。ここはこんなにも明るいのに。恐ろしいほどに、光に満ちているのに。


 ――結局、その日、もうオーヴァスとの会話が成り立たず、三人は宿屋に戻ることになった。エピの星油ランタンは、彼に奪われたまま。


「――ごめんなさい。私が忘れていたせいで、こんなことになって」


 道中、セナティに謝られた。


「気にしないでいいよ、盗んだ人が悪いんだから」


 エピは笑い返した。けれども星油ランタンは奪われたまま――何か冷たいものを感じた。

 星油ランタンがなかったら、どうなるのだろうか。


「すごく、暗闇を怖がる人ですね」


 それにあの怖がりよう。見ていると、暗闇よりも、オーヴァスの方が恐ろしく感じられた。そんな人に、星油ランタンを盗まれたなんて。


「返してくれるかな……僕のランタン」

「――話し合いでもだめなら、あまりやりたくないけど、力尽くで取り返す他ないだろう」


 不安を口にすると、宿屋の主が溜息を吐いて答えた。


「こういうことは、前にもあったんだ。オーヴァスはこの街の住人の一人……私達が責任を持って、旅人さんの大事な星油ランタンを取り返さないといけない」


 と、その言葉を聞いたとたん、セナティがひどく不安そうな顔をしたのに、エピは気付いた。彼女は目を伏せ、怯えていた。何故そんな顔をしたのかは、すぐにわかった。


「でもオーヴァスさんはナイフを持っていましたよ。その……普通じゃない。危険ですよ」


 確かに星油ランタンがないのは困る。しかし誰かが血を流すことに、最悪の場合は命を落とすことになる方が困る。そんなことは、あってはならない。


「大丈夫だ、なんとかするよ」


 それでも宿屋の主は言うのだ。


「それに……オーヴァスはやっぱり、いつまでもあのままではだめだ。町長や皆で、一度集まって彼について話し合うことにするよ、今日のことも伝えよう。どうにかしないと……あいつに星油を枯らされることになるかもしれないからな」


 そうして宿へと戻ってきて、エピは借りた部屋へ戻り、疲れの溜息を吐きながらベッドへと倒れ込んだ。短い時間だったが、ひどく疲れた。本当なら、今日は交換屋に行くつもりだったのに。しばらくベッドで休み、それからふと窓の外に目を留める。


 ――星油ランタンを取り返せなかったら、どうしよう。


 街は明かりで満ちている。あのオーヴァスの部屋のような光ではなく、暗いこの世界の中、優しく温かい光だ。人々に寄り添い、支えるような光。街から目を放し、さらに遠くを見れば暗闇が広がっていた。何があるのか、わからない世界。


 オーヴァスは、あの暗闇に対して、ひどく怯えていた。

 エピとしては、あの暗闇をそれほど怖いとは思わない。そう考えると、ふと、自分にとって怖いものは何であるのかが、気になり始めた。あまり意識したことがなかったのだ。


「僕にとって怖いもの……」


 小さな声で呟くと、無意識に室内へと振り返った。そして見たのは、星油ランタンを最後に置いた場所。ここに置いたものを、オーヴァスに盗まれてしまった。


 あの星油ランタンがないと、暗闇を照らせない。つまり、旅ができない。街の外にある暗闇の中を進めなくなってしまう。あの暗闇の向こうに何があるのか、まだ知らないのに。


 自分にとって怖いもの。

 ベッドの上、枕の横に置いてあった手記に手を伸ばす。エピ自身の手記。これまでのことを、記録している。新しいページを開けば、ペンを滑らし始める。


『旅ができなくなると、僕はどうなってしまうのだろうか。』

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