青い空が見たい。
「――おい奥村、お前また名簿提出してないだろう!」
「んあ?……あっ、忘れてた!ごめんジュリア、書き方教えて!」
「またか!お前はどうして毎度教えてもそうやって忘れるんだ!」
「書くのって身に付かないんだよー。ふらふら散歩して様子見るお仕事が一番楽ちん……ふわぁ……」
「統治者としてのやる気を出せ!!」
……なんだか騒がしい。
男女の会話が聞こえる。
ここはどこだろう。
それよりも、私は何をしていたんだっけ。
覚えていないな……。
「貴方達、いつ見ても飽きないわ。だけど、そろそろ時間よ。新たな住人が目を覚ます……」
聞き覚えのある声が聞こえた。
『楽園へ、ようこそ』
この声は確か、私が意識を落とす前に聞いた声だ。
あなたは誰?どんな姿をしているの?あなたは、私は……――
「……っ!」
「む……」「おわっ……」
「……目覚めたようね」
目を開けると、目の前には3人の人の姿をしたヒトが居た。
一人は『半袖のボタンのない衣』に多分『重ね襟の衣』であろう物を身に纏っているが、上半身は完全に脱いで腰布から下に降ろしている男性。
もう一人は深い紅の色をした花を碧の髪に咲かせ、また身に纏うドレスも八重咲の花々のように可憐な女性。
それから、真っ黒な髪と目、赤い唇以外は全て白に覆われた少女。
一瞬見ただけでわかる。
私を誘ったのは、三人の中では一番小柄な少女だ。
「こ、こは……貴方達は?」
「初めまして、私はオフィーリア。こちらは奥村時実、そしてこっちがジュリアよ」
「オクムラ……?ジュリア……」
男性の方だけ明らかに異邦人だ。
それだけは分かる。
だけどそれだけだ。
「ここは楽園・フラウテス。招かれた魂が住まう箱庭よ」
「楽園……私は、招かれたのか……」
「ふむ、見たところ私よりもお前向きだな。よかったじゃないか、やりやすい仕事だぞ」
「ちょ、そういう事言う?ウチに案内はするけどさぁ」
オクムラとジュリアは仲が良いのか、目が覚める前も同じ表情で会話をしていたのだろうと推測する。
オフィーリアは二人の会話にくすくすと笑って「じゃあ、後は頼むわね」と幽霊のように姿を消してしまった。
訳も分からないままに辺りを見回していると、オクムラは目の前に立って口を開いた。
「えーっと……君の名前を聞いてもいいかな?」
栗色の長い髪を腰で纏めた男。
腰につけている長物は多分この男の得物だろうか。
それよりも、この男から流れる特殊な圧には既視感を覚えた。
「私はラスティル。……一つ問いたいのだが、貴方は私と同族か?」
「あ、やっぱり分かる?一応、同族って事になるのかな……」
「煮え切らない答えだ。正直に言えばいいものを。気で分かる」
私は目を瞑り、息を吐く。
腰骨を動かせばさあ、これでお前も見せてくれるだろう?
「へえ、真っ白じゃないんだねえ……僕もなんだよ。よかった」
オクムラは笑顔で安心したように言うと、背中の翼を見せてくれた。
私の翼は若干黄みがかった白だが、オクムラが見せてくれた翼は……海のように綺麗な青だった。
「青い翼……!初めて見たぞ」
「こっちの地元でもそうそういないよ。だからあんまり見せたくないんだよねえ。あと一応僕、書類上は人間なんだ。まあでもお互い同族同士なのは合ってるし、仲良くしよっか。よろしくね」
「……あ、ああ……」
濃い色の翼を持つ天使が居るとは思わなかった。
人間の扱いを受けているようだが……今は深入りするべきではないのかもしれない。
それに、そもそもここがどういった場所なのかは未だに想像つかないが、先程の魔女もそうだがそこに居るジュリアという女性も特殊な魔力を感じる。
きっと他種族の者に違いない。
「……む?ああ、私は薔薇の精霊だ。この薔薇から私は生まれたのだ」
視線が合い、考えていることを見透かされたように頭の花を目の前に差し出された。
八重咲きの綺麗な花弁をした美しい花が目の前にある。
高貴な見た目の花だが、ジュリアという女性も花に違わぬ美しさが感じられる。
「初めて見る花だ。とても美しい」
「ありがとう。私はアルフヘイムと呼ばれる亜人や精霊達の町を取り仕切っている。生活が落ち着いたら是非遊びに来るといい」
「本当?楽しみにしているわ」
「ああ。……では、私もそろそろ行く。奥村、ちゃんと案内してやれよ?」
「はいはい、んじゃまたねー」
ジュリアも外へ出て行って、ジュリアからこっちへ視線を戻したオクムラは「じゃあ僕らも行こうか」と微笑む。
何処へ行くのだろう、そう思いながらジュリアが通った門を出ると森が広がっていた。
「も、森……?なっ、私はこんなところに居たのか!?」
見渡す限りの森、そして先ほどまで居た場所を見れば純白の塔が聳え立っている。
その背後に広がる空は、青だ。
「なんて、綺麗な空……」
初めて見た綺麗で真っ青な空に、言葉を漏らした。
そのくらい感動的で美しい空に私は満足しかけて、だけどこちらに振り向いていたオクムラは衝撃の一言を吐いた。
「青い空は初めて?……だけどごめん、この空は偽物の空なんだ」
「はっ……?」
「この世界は本で出来てるんだよ。この空は本の魔力で作られたもの、だってオフィーリアは言っていた。……うちに来ればわかるよ」
先を歩くオクムラの後ろをついていく。
少しだけ塔の外周を回り、森の奥に進んでいくと白の街が見えてきた。
しかし、先に見える白の街はこちらが考える、以前の世界で知っている街並みからは想像を絶する光景だった。
「な……んだ、ここは……」
「ここはラキア、天使とか悪魔が多いかなー。あとはそこに見える大きな湖と、反対側に海があるから水の種族も住んでるね」
「きょ、共存できるのか……?」
森の木々は結晶に変わり、その奥には町が広がっているようだ。
何で作られているかは分からない真っ白な建物は大きな岩壁をくり抜いたように、削り取ったように、色んな場所に階段や扉がつけられている。
一瞬で見れば乱雑にも見えるが、芸術的な光景に見えてしまう。
その手前には確かに広々とした湖があり、そして町の中央と思われる場所には高い塔と、金の鐘が見えるなんとも美しい街並みだ。
だけど一つだけ異質なのは、街を見上げた空に太陽と月が揃っていることだ。
「この街に住む子達はみんな、太陽の光か月から降り注ぐマナで生きてるんだよ。幽霊達もいるよ。勿論口から栄養を蓄える子もいるけどね。君も月明かりで生きる種族じゃないのかい?」
「………」
それは、その通りだ。
本当のことだが見透かされたように、或いは最初からこちらを理解しているように居るオクムラというオトコに、思わず絶句してしまった。
「いつかこの空が本物になるといいね」
「あ、ああ。……私は世界の瘴気によって淀んだ紫の空しか見たことがなかった。ここでなら、綺麗な空色の空を見ることはできるだろうか?」
「……ここには元々願いを持つ人しか来れないよ。それが君の願いなら……きっとこの世界がその願いを叶えてくれるよ」
夜色の湖から歌声が聞こえ、風は子供のような高い声で笑っている。
どうやらこの地には沢山の種族がそれぞれの願いを持って生きているらしい。
私も、その一員になったようだ。
「そういえば……ジュリアは何かを提出していないことを怒ってなかったか?」
「やっば、忘れてた!」
私はこの先何度でも、この男がジュリアによって引きずられていく姿を目撃することになる。