いつか、飲み交わそう
神楽の住人の小話。
――カツン。
土を焼いて生まれたコップがぶつかり、軽快な音が鳴り響く。
泡たっぷりの中身すら見えない酒を煽り、シュワシュワと焼くような炭酸が喉を通って胃に落ちていく。
その喉越しの良さはなんとまあスッキリとして、優しい口当たりと麦の香りは仕事後の疲れを癒やしてくれるのだろう。
この為の一杯。
コップを掲げれば……月の光に照らされて、何もかもが綺麗に見えた。
『おい、紅』
「あん?」
『俺の麦畑は、黄金の麦畑だ。最高の輝きを放つ、唯一無二のな。お前は、この畑を継ぐんだ』
「おうよ、アタイに任せときな!奴っさんの手伝いをずっとやって来たんだ。この麦畑で奴っさんよりもうんめぇ麦酒、作ってやるよ!」
『あんだと!?でけぇ口叩きやがって……マズいモン作ったら承知しねぇかんな!!』
あはは、と酒飲みの笑い声は残響に変わって脳内へ流れる。
アタイは目を醒ませば大の字になって真っ白の石の部屋に寝そべっていた。
何をしていたかも思い出せねぇ。
アタイはただ「人じゃない」って理由で追い出され、行き倒れそうになったのを奴っさんと呼んでいた老爺に拾われて麦畑の世話を手伝っていただけだった。
綺麗に輝く麦畑の中を走って、世話して、収穫した麦で酒を作って飲み交わす。
そんな人生を送っていた筈だった。
……。
…。
「おい紅純、起きなさい」
ペチン!
「あいたっ!!」
声が聞こえたと思ったら額を容赦なく叩かれた。
鈍い痛みに目を覚ますと目の前には赤い帽子に毛むくじゃらのオッサンが立っていた。
大きさはニンゲンの手のひらサイズくらい、アタイからすりゃ指の長さってとこかな。
アタイの顔に乗って見下ろすオッサンの服をつまんで持ち上げれば「うおっ!?突然掴むな!」と喚いている。
「……おはよ、モノ爺」
今アタイの指に服を掴まれてぶら下がってるのはモノ爺、確かノームとかいう種族のちみっちゃいオッサンだ。
土の魔法が使えるこのオッサンはいつもアタイを土魔法で起こしてくる。
「ワシの名前はモッツォノッツォじゃ!早く降ろせ、このバカタレが!」
「誰がバカタレだ!第一人を起こすのに魔法なんて使ってくるなよ!!」
「鬼のお前さんなどわしが武力で起こしたって蚊を叩くように潰しに来るじゃろがい!油断してなるものかッ!」
「だって……触れた感覚すらねーもん……」
「鬼の皮は分厚く火に焼かれてもピンピンしとる。ワシはお前の特性をよう分かっとるぞ!だからこそ魔法で起こしとるというのに朝から文句ばっかり……カゾクはもう起きとる。お前も準備をしてさっさと作業するぞ。今日はイチから作る」
「え、カゾクもう起きてるの?はいはい……」
一度死に、再び目覚めたこの世界でアタイは何の仕事もしていない。
このモノ爺の仕事、麦畑の管理と酒造を手伝わされているだけだ。
働くなんて無駄。
言われたからやってるだけ。
この世界には奴っさんなんて居ないし、特にやりたいって事も無い。
外に出れば一面に広がった麦畑はあれど、あれはアタイが今までに見てきたものとは違う。
あんなに綺麗で小粒の黄金畑とは違い、目の前に広がる麦畑はどれもアタイが知ってる麦よりも一穂から取れる収穫量は多いけど、色味は遥かに薄い。黄金というよりは黄緑だ。
同じようなシュワシュワとした酒も作って貰ったけど味がなんというかどっしりしていて香りも強い……どれもアタイが知っているものじゃない。
知ってるようで知らない、期待していたモノとは違う、だからこそ燃え尽きてしまった……なんというかそんな気分なのだ。
「紅!起きてっか?おはよ。今日もやる気なさげだなぁー」
そんな気分なのに、明るい声が耳に響いた。
先に外で体を動かしていた額に一本角の女が笑顔で駆け寄ってきてはけらけらと笑う。
二本角の鬼であるアタイと似て非なる種族、このカゾクはオーガというらしい。
「おはよ。カゾクが起きがけ元気すぎるんだよ……。んで?今日は何すんの?」
「酒!新しい酒作るんだってよ。これは紅の専売特許だろ?今日はあんたの手伝いさせてよ」
「ええ…」
酒造りは何度も奴っさんの工程を見てきた。
少しずつ工程を変えながら奴っさんの作っていた酒を求めていた。
あの酒をカゾクにも、モノ爺にも飲ませてやりたい、そんな希望もある。
だけど何度やったって、元が違うからあの味にはならないんだと思ってしまう。
あの黄金畑が緋色に染まってしまったから、あの麦は世界のどこにもなくなってしまったんだろうか……。
やる気が出ないまま落ち込んでいると、気付いたら姿を消していたモノ爺(小さすぎてよく見失うんだよな……)が魔女(確かオフィーリアって名前。この楽園の管理者らしい)を連れて現れた。
「紅純、そろそろそのぶすっとした顔をするな。ずっとオフィーリア様に頼んでいたのがやっと届いたんだ」
「ああん?なんだよ……」
アタイが知らぬ間にモノ爺は何かしていたらしい。
魔女は「久しぶりね」と肌を撫でるようなか細い声で挨拶してきた……と共に麦のような作物を差し出してきた。
麦のような……いや、麦だ。
「おまっ、これ……!!どこで見つけてきた!?」
見間違える筈がない。
奪い取るようにして手に持ってしまったこの麦は、奴っさんがアタイと一緒に育てていた麦だ。
きれいな黄金色で穂が短くもけもけしている、アタイがよく知っている麦だった。
「……お酒の分野では『検索』に引っかからなかったの。『麦』と一括にしても世界には色んな麦が存在する、だから特定が難しかったわ。貴女が求めているのはパンや菓子作りに使われる、所謂『小麦』だったのね」
目の前の魔女が何をしていたのかは分からない。
だけど口ぶりから察するにアタイの為にこの麦を探してくれたのは確かだ。
「こ、むぎ……?」
「紅、知らないのかい?パンってのは小麦から出来る食べ物の事で、こっちではパンとお菓子に使われるんだよ」
「カゾクは知ってたのか?あ、アタイ、ウチでは麦は酒、飯は米だったから……」
「ふーん。生活環境の違いだねぇ……」
カゾクは腕を組んでうんうんと頷く。
そうか、この世界には色んな人がいるから皆環境も食べるものも違ったんだ。
ここに来て沢山それを思い知らされたのに、知らないことはまだまだ多い。
「……違うか。アタイがいつまでも奴っさんのこと引きずって、周り見なかっただけなのかも……」
「紅……よし!その麦で酒作ろうぜ!紅が飲んでた酒ってやつ飲みたい!」
「カゾク……うっしモノ爺、手伝って!」
「だから誰がモノ爺じゃ!」
魔女が持ってきた麦を麦芽にし、酵母を入れて麦汁を作る。
力仕事ならアタイとカゾクの仕事だし、発酵にはノム爺の魔法、時間なら魔女さんがイジってくれるから一瞬だ。
早回しでも丁寧に、定期的に様子を見て作れば綺麗な薄い黄色の酒ができた。
「綺麗な、色……」
「土のグラス使ってたから色味わからなかったんだろ?どう?」
「わかんない……カゾク、一緒に飲も!」
――カツン。
透明なコップがぶつかり、軽快な音が鳴り響く。
泡たっぷりで薄黄みがかった酒を煽り、シュワシュワと焼くように炭酸が喉を通って胃に落ちていく。
その喉越しの良さはなんとまあスッキリとして、優しい口当たりと麦の香りは仕事後の疲れを癒やしてくれるのだろう。
この為の一杯。
ああ、この味だ。
「これ……これだよ、これ!奴っさんのお酒!!」
『おい、紅コウ』
「あん?」
グラスを掲げたら懐かしい声を聞いた気がした。
振り向けば、半透明だけど年老いた奴っさんの姿が見えた。
『俺の麦畑は、黄金の麦畑だ。最高の輝きを放つ、唯一無二のな。お前は……この畑を継ぐんだ』
「……おうよ、アタイに任せときな!奴っさんの手伝いをずっとやって来たんだ。この麦で奴っさんよりもうんめぇ麦酒、作ってやるよ!」
『おう、応援してるわ』
にかっ、と奴っさんが笑った気がした。
奴っさんの姿は砕けるようにぱらぱらと消えていって……魔女の手に欠片が収まっていく。
「……この麦もいずれ、生活に必要になるのでしょうね。新たな土地にこの麦も芽吹かせましょう」
紅純
鬼の娘。子供の頃はたんこぶと思われていた角が年と共に成長し、人ではないと捨てられた。
それを麦酒を作る男に拾われ、手伝っていたが男は病に倒れ、紅純は大切な麦畑を焼かれ焼死…ではなく肺が黒煙により真っ黒になって酸素欠乏症により死んだ。
ノッツォモッツォ
ノーム種の小人で土魔法を巧みに扱う老人。
眉毛も髭も白くてふっさふさ。まるで赤ずきんの小人のよう。
土魔法で畑仕事、体力仕事は紅純とカゾクに任せっきり。
カゾク
漢字言語の国で生まれ、独特の言語を話すために紅純のことを紅と呼ぶオーガ族。
額から伸びた一本角は立派で、一族の誇りだと思っている。
力仕事が好きで出番があれば大工をやりたい。




