空を舞いたい。
瘴気に包まれた空。
光射さぬ大地。
自分が生まれる前は空の朱に染まる大地が綺麗だったという。
今は見る影もない。
私の知る空は紺碧色の霧に包まれ、毒に塗れた世界。
一節には、ニンゲンという種族がキカイというものを使って毒を撒いたのだという。
一節には、海で大蛇と水馬が喧嘩したからだという。
一節には、南の毒の島が燃えて空に広がったからだという。
どれが本当かは分からない。
だけど自分は本当の空というものを知らない。
いつか空が晴れたら、自分は綺麗な空を舞いたい。
「……あら、いらっしゃい」
「……ここは?」
目を開ける。
気付けば知らない場所にいた。
一色だけの真っ白で何もない空間に居るのは初めてだ。
しかも声をかけて顔を覗かせる何かは不思議な姿をしている。
何だこの生き物は。何だこの場所は。
「……ああ、混乱してしまっているのね。初めまして、私はオフィーリア。貴方は?」
「わ、私……?私は、ミンテンス……」
「ミンテンス……素敵なお名前ね。見たところ、鳥人かしら。立派な嘴に羽毛の肌……大きな腕は翼になっているのね。足先の鈎爪も立派だわ」
何かはジロジロと自分の体を見る。
どうやら自分の姿が珍しいのか……?
こちらとしては長く世界樹の枝で生活してきた自分達以外の存在が珍しいのだが……。
「……失礼ですが、あなたは?」
「あらごめんなさい、夢中になってしまったわ。私は魔族。見た目は……人間とほぼ同種よ」
「マゾク……ニンゲンという種族も聞いたことしかないが……」
「あらそうなの?鳥の種族は皆引きこもりたくなるのかしら……?」
「え?」
「こちらの話よ。いらっしゃい、ここはフラウテスの楽園と呼ばれる場所。貴方は前の世界で死に、ここへ流れてきたの。死ぬ時に何かを願わなかった?」
真っ白な肌と衣服に細い腕、黒い髪は長く足は衣服の裾で見えないが太さはあるのに小さい。
よくそんな足で立てるものだ。
そんなことよりも自分が死んだと言われた衝撃の方が大きい。
「待ってください、私が……死んだ?ちっとも記憶にありません!一体何故……!?」
「ちょっと待ってて」
オフィーリアというマゾクは目を瞑ると広げた両腕に突然大きな書物を出してきた。
いや待て、どこから出してきた?
何もなかった場所から浮かんできたように現れた!
なんとも不思議な光景だ。これが他種族というものなのか?
「んー……世界に溢れた瘴気……充満する毒素……なるほど、貴方の死因は毒殺……正式には、空気中に溢れていた毒が体に溜まりに溜まって限界を迎えた……中毒症状ね」
「毒……確かに瘴気が蔓延した空でしたが……」
「空を飛びたくても飛べなかった貴方は世界樹が生える大地へ向かったのね。そこには瘴気を生む毒花が覆い茂っていた。瘴気の出元でより濃い瘴気を吸ったことにより亡くなっているわ」
「そん、な……」
事実を聞いて愕然とし、自分を見失いそうになった。
どうしてこんなことに。
死んでしまっては元も子もない。
それから世界はどうなった?
皆はどうなった?
私達の世界樹は……
「当然のことだけど、世界は死んでしまった。貴方に帰る家は残されていないわ」
「そんな馬鹿な!だって私は……――」
「――だけど貴方は、生きていた」
「え……?」
「貴方は、願いを持った。だから、この場所で生き返った」
オフィーリアの闇より深い目が自分を覗く。
どこまでも深く、底のない闇が目の前に広がっている。
そんな風にも見える。
不安は全て一瞬の恐怖で拭い去られ、冷静な自分が帰ってくる。
生き返った。
そうか、自分は生き返ったのか。
「ここは死に際に願いがあれば叶えてあげられる墓所、フラウテスの楽園よ。貴方は私の声に導かれたの。……朗報、貴方の世界は壊れてしまったけど……この世界には別の世界樹がある。貴方の翼を休める場所として不平はないはず」
「この世界にも……世界樹が……」
「ええ。きっと彼女も、貴方を気に入るはずだわ」
オフィーリアに連れられ外に向かう。
外に向かえば……深森に埋まっていた。
外はどんな景色かと思い馳せていたのに。
「落ち込むのはまだ早いわ。今からこの森を抜けた先に、貴方を案内するわね」
心を読まれたか、オフィーリアの後をついていく。
しばらく進むと森が晴れ、青い空を背景に畑や花畑が広がっている。
「これが……青い空っ!」
一面に真っ青な空が見えている。
なんと美しい景色だろうか、心が躍る。
そして体が何かを訴え、導かれるままに大地を蹴った。
「――」
オフィーリアが何を言ったのかは聞こえない。
それよりも羽毛を撫でる空気が、翼を切る風が、こんなにも気持ちいい。
腕を大きく広げて羽ばたき、全身に風を感じることがこんなにも素晴らしい。
空は何処までも真っ青で、緑豊かな景色が続いている。
それがなんて幸せな事だろう。
「む、あれは……!」
少し進んだ先に巨大な樹木がある。
見間違えることは無い。
強大な生の力を放って、自然の一部として大地に君臨する唯一無二の神……<世界樹>だ。
「本当に、世界樹が……!」
「あら、新しいお客様?ふふ、いっしゃい」
「……っ!ど、どこから!?」
「ここよ、ここ」
何処からか女性の声が聞こえて辺りを見回すも、それらしき生命はいない。
寧ろ目の前に聳える大樹の枝が声に合わせてわさわさと揺れた。
「ま、まさか、世界樹!?」
「ふふふ、そのまさかです。私はイルミンスール、貴方は?」
「わ、私はミンテンスです……!」
種族ごと住処とさせて貰っていた世界樹がまさか話すだなんて、衝撃でしかなかった。
しかし優しくもおっとりとした話し口は全てを包み込むようで安心させてくれる何かがある。
同時に母のような強さも感じられ、確かに世界樹と言われれば納得せざるを得ない存在感だ。
「ご挨拶は済んだわね?ミンテンス」
「む……?」
先程のマゾクの声が聞こえて下を見れば世界樹の麓にオフィーリアが居た。
表情から何かを訴えている。
そういえば空に目を奪われ、血のままに飛び上がってしまったんだった。
「すまない、オフィーリア。つい体が勝手に……」
「貴方は『30年の生の中でこんなにも青い空は見たことが無かった』……でしょ?鳥は大空を駆ける者、当然の反応だとは思うわ。そこで……来たばかりのミンテンスに良いお話があるのだけど」
「良い話?」
オフィーリアは一度目を瞑るとじっくりとまた目を覗いてくる。
だけど今回は不安や嫌な感じはしない。
何かを頼む目だ。
「この世界は自給自足、各々が生きる為に仕事を求めて生きているわ。物が欲しければ物々交換、食事をするのも他の住人と顔を知るべきね。そんな貴方に、お似合いのお仕事があるの」
「働かざるもの食うべからず。自然に生きる者として当然だな。それで、お似合いの仕事とは?」
「家はこのイルミンスールのどこかに住んだら良いわ。イルミンスールも嬉しいでしょうから。実はね、この世界には4つの町があって、ここはそのうちの一つ……つまりこの世界の空は4つあるのよ」
「空が、4つ……!?」
「その全てを、飛んでみたくないかしら?」
「そっ、そんなの……」
何故か口籠ってしまった。
良い話にしか聞こえない。
簡単に乗って良いのだろうか。
だけど、欲望には勝てない。
「とっ、飛びたい……」
「貴方へのお仕事はこれ」
目の前に白い紙を紐で巻いたものを差し出された。
仕事とはまさか……。
「この世界を飛び回って、4つの空を巡り様々な種族と顔を合わせられる素敵な素敵な郵便屋さん。やってみない?」
手渡された巻物を手に取る。
何も無いようでいて、じわりと温かい何かを感じた。
これを空を巡って届ける。
そんなの、そんな楽しそうな事、断れる訳がない。
「……この人生、何も楽しいと思えることは無かった。生きる事は苦しくて、辛いばかりだった。面白そうじゃないか、楽園・フラウテス……良いだろう、私が責任を持って職務を果たそう」
「ふふ。オフィーリア、素敵な住人が増えたわね」
「ええ、ジュリアにも伝えてあげて。イルミンスールは…彼をお願い」
「分かったわ、任せてちょうだい」
新たに来た鳥人は空を巡る。
青い空を、西日の空を、曇天の空を、夜の空を。
高く、速く、どこまでも。
二足歩行可能な鳥人。ベースは鷲。
異様に太い太腿部により強力な蹴脚能力と大きな翼で長く飛べる。
物を持って運ぶことは出来ないので肩掛け鞄の使用、或いは足に何かを掴んで飛べる。
重い物を運ぶのは苦手。




