冬が欲しい
不思議な作品です。温かい目でみてくださいまし。
本は読むもの、音楽は聴くもの。彼女からするとそうだろう。しかし、彼からすれば本は書くもの、音楽は奏でるものかもしれない。隣にいる人と自分がそういった関係であったとして、それはあくまでも価値観の違いである。その物体は同じであると彼は述べた。
彼の作っているものは、本か、絵か、音楽か、もしくは別のものか。そのモノを思い出そうとすると記憶にもやがかかる。そんな作品。
彼は若くしてその才能を発揮した。彼がまだ学生のころそのモノの一つは現れた。ほかの誰にも真似できないモノ。もちろんその業界の人から声がかかった。今、彼はその技術でお金を得ている。その業界では、彼は非常に有名であるようで、年上の人からサインをねだられたりも珍しくない。そんな彼も結婚し、家庭を持っている。収入は決して少なくない。むしろ多いほうだろう。家も大きい、車も外車。そんな家庭。ただ、本人は買うだけ買って興味を失ったらしい。
彼は最近笑顔を見せなくなった、と彼の妻は近所の人に話していた。これは実際の話である。彼は笑顔を見せなくなった。と言うより、感情を失ったように見える。喜怒哀楽が抜けた藁人形のようで、ただ、言葉を発し作品を作る毎日である。仕事の電話やメールを受け取り、メモし、作り、送る。流れ作業となった彼の仕事は本来の楽しみを失っているようだった。
冬が欲しい。彼の新しい作品だった。それを見た、聴いたというのか。そのモノが何なのか分からないため、五感で例えるのは困難だが、それはとにかく素晴らしい作品らしい。
「冬が欲しい。」
彼はいきなりつぶやいたらしい。
「冬って、もう一月ですよ。立派に冬ですわ、あなた。」
彼の妻は微笑んで返す。
「ああ。」
見るからに感情のない返事は彼女を心配にさせる。
「最近のお疲れでしょ。少しお休みしませんか。どこかにお出かけでも。」
彼の顔に怒りが含まれる。
「黙れ、いちいち口を出すな。」
彼はそう言ったらしい。彼は元々そんな台詞を吐くような人物ではなかった。仕事の山積みが彼を豹変させたのだろうか。それとも、冬が欲しい、がそれほど彼にとって大事なのか。
「出かけてくる。」
彼が出て行ったのは昨日の午前中。もう一日経っている。彼は元々出て行ったっきりなかなか帰ってこない人である。が、彼女は万が一を思って警察に連絡した。
彼の屍が発見されたのは、翌日だった。
雪の中に血も海を作って、彼の屍は眠っていた。どうやら、その一部始終を見ていた人がいたらしい。彼をAと呼ぼう。Aは彼の友人だったらしい。それが起こったのは夜。彼とAは偶然出会ったらしい。ここからはAから聞いた話。
「冬が欲しんだ、山田さん、ああ、美しい。」
彼は言う。彼の妻の名字は彼と同じ鈴宮。というよりAが驚いたのは彼の行動だったらしい。彼は何も無い所に話しかけていたらしい。幻覚が見えていたのか。それも、妻と別の女のか。
後々確認した所、妻の旧姓が山田だったらしい。彼女はそれを聞いて号泣した。まあ、彼が死んでしばらくしてから、彼の後を追って死んだのだが。
話は戻る。何もない空間に妻の旧姓を連呼していた彼は、冬が欲しい、冬が欲しいと言いながら歩みだす。ここは、公園。雪かきがされたあと、雪が貯められているスペースがある。その裏には坂があり、彼はそこにいる。彼の進行方向には低い柵があり、柵を超えてさらに進むと地面は消える。つまり落ちるのだ。高さは大したことはない。さらに、今は雪もある。ここで死ぬには相当なunluckyが重なる必要がある。さて、簡単に言おう。彼はそこから落ちた。自分の意思でだ。死なない、Aはそう思っていた。
なぜだろう。雪の中に剣のように長い棘状のものが大量に、鋭い部分が上を向いて敷かれていた。彼はくし刺しになった。彼の血液は雪を溶かし、彼の屍は赤に包まれた。Aは警察に連絡し、妻の彼女に連絡がきたのは、深夜の2時。日をまたいだのだった。
後日、彼女も首を吊っているのが発見された。一緒に、冬が欲しい、も発見された。タイトルの書いてある紙があったのですぐに分かったらしい。その正体は、無、だった。そんなものはなかった。彼は見えないものに、感情移入しすぎて死んだのだ。間抜けな話。幻覚に殺されたのだ。
あれから、五年。私は、彼や彼女の記憶が消えていくのを感じながら生きている。でも、あの時からずっとほしいものがある。冬だ。自分でも何を考えているんだか。でも、欲しいと強く願うのだ。ああ、欲しい。冬が欲しい、と。
どうだったでしょうか。少しでも楽しんでくれたらうれしいです。これからも温かい目でみてくださいまし。