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レオと青の宝玉  作者: 上原 青
第一章
19/68

第一九話 鳥の呼び声


 次の日、わたしはすぐに職場復帰した。


 復帰初日は、大事をとって王宮警護にあたり、王宮の内外をうろうろしたが、とくに問題がないと分かると、すぐにまた、宮内警護に戻された。

 エルム嬢も、わたしの表情が晴れやかなのを見て、すぐに安心してくれた。


 その後、東宮の宮内警護の割り当てが、以前よりいっそう増えたことも、わたしには幸いだった。

 いつの間にか、武技の教官役を言いつけられている教練日以外は、ほぼ宮内警護に集中してあたるようになり、王宮警護も王都巡察も、あらかたなくなってしまった。わたしがロロ王子の傍でお仕えすることを、当のロロ王子から強く望んでいただいたらしい。

 宮内警護も、夜勤はなく、ほとんどが日中に集中した。つまり、王子がお目覚めになっている間、わたしはほぼずっと、近くでお仕えをする役回りになった。


 こうなると、一日の任務が終わっても、明日またすぐ王子に会える、という確信が持てる。夜、宿舎の部屋で一人過ごすとき、胸の隅にちらりと、不吉な予感の影がよぎることは、幾たびかあった。まるで細い橋の上から、暗い深淵を見下ろすような目眩に襲われそうになったが、そのたびに、この強い確信が、わたしを迷いから引き上げてくれた。


 それでも、王子のお傍でお仕えする際には、常時の帯刀とは別に、懐中に短剣を忍ばせた。もちろん、王子を害するためではない。わたしが万一、自身の乱心を抑えられなくなったときに、自刃して果てるためである。


   *


 東宮の中でも、若干の変化があった。

 ロロ王子は、これまで滅多に、寝室から出ることがなかった。しかし、典医の一件の後、王子はたびたび、わたしが待機する広間まで、おいでになるようになった。心なしか顔艶(かおつや)がよく、時折は遠慮や堅苦しさの混じらない、くつろいだ微笑を浮かべられているように見えた。

 最初は、エルム嬢に付き添われながら、王宮の外の眺めや、食事についての話などを、その場でお仕えする侍従たちも混じえて雑談する程度だった。それでも、わたしは王子を拝見する機会が格段に増えて、嬉しかった。


 そのうち、事はそれにとどまらなくなった。

 ある日、広間へおいでになったロロ王子が、唐突にわたしに仰った。


 「レオ、将棋をしましょう。」

 王子の手には、将棋盤と駒の箱があった。


 わたしは、突然のことに戸惑った。赤面しながら、「あの……、申し訳ありません。わたしは将棋の指しかたを存じ上げておりません」と答えた。

 「わたしが、レオにおしえます。かんたんですよ。」


 王子は、絨毯の上に将棋盤をおいて、うれしそうなお顔で、丁寧にひとつずつ、わたしの分まで駒を並べはじめた。丁寧ではあっても、すこし並びがちぐはぐなのが、かえって愛らしい。

 やったこともない遊びで、王子にお付き合いしてよいものか、判断に迷ったが、王子と対面できるめったにない機会でもあると考え、挑戦することにした。


 精巧な彫刻が施された、色違いの六種類一六個ずつの駒が、互いの陣地に綺麗に並べられた。ロロ王子が、すこし得意そうに、それぞれの駒の動かし方や、勝敗の決め方を教えてくれた。その様子を、エルム嬢も、さも面白そうに眺めていた。

 わたしに経験はないものの、どうやら将棋とは、盤の上で戦争ごっこを行い、先に王の首を獲ったほうが勝ち、ということは分かった。戦争ごっこならば、わたしも勘くらいはつかめるだろう。


 一通りの規則を聞いて、勝負がはじまった。


   *


 さて、いくらわたしが初心者でも、一五歳の身で、六歳の王子に負けることはあるまいと思っていたのだが、いざ勝負がはじまると、みるみるうちに、わたしは劣勢に追い込まれた。

 「あれ、この駒、逃げ場が……あれ?いつの間にこんなに囲まれて……あれえ?」


 などと言っている間に、ぐうの音も出ないほど、完璧に負けた。

 エルム嬢が声を立てて笑い、他の侍従たちも笑い出した。わたしは恥ずかしさから、変な汗がにじんだ。


 「ごめんなさい。貴女を笑ったわけじゃないんですけど、」とエルム嬢が笑いながら弁解した。「王子は長い間、身体を動かす遊びを禁じられていたので、ずっとこの将棋でお遊びになっていたんです。侍従たちもお相手差し上げていたのですが、いまはもう、大人顔負けの指し手なのですよ!

 でも、武芸に秀でたレオを、王子がこれほど簡単に手玉にお取りになるのは、なんとも痛快と云いますか。ああ、ごめんなさいね!」


 ロロ王子を見ると、王子も楽しそうに、ころころと笑っている。わたしは、ロロ王子が無邪気に、なんの憂いもなく心からお笑いになっている、その純粋さ、愛くるしさに胸を突かれた。


 こうなると、王子にとって不足のないお相手になりたいという気持ちが、むくむくと頭をもたげた。

 王子も、まったくの素人を負かし続けるのでは、面白くなかろう。なんとかして、王子を喜ばせてさしあげたい。


 「今日は、とても王子にかないませんが、しばしお待ちください」とわたしは言った。「非番のうちに、将棋の訓練をして参ります。王子がお楽しみになれるほどの指し手になれるよう、努力します。」

 「ありがとう、レオ。楽しみにまっています」と、ロロ王子がくしゃっと笑顔を見せながら、仰った。


   *


 もはや後には引けない。

 頭を使うことは、どちらかといえば、いや、言を左右にするまでもなく苦手なのだが、ともかくロロ王子のためである。わたしは、将棋の訓練をすることに決めた。とはいっても、具体的にどうすればいいのか。


 答えはまたも、身近な親友がもたらしてくれた。


 「よくぞわたしに聞いてくれたわ」たまたま休暇日が重なったデゼーと、王都北町にある、公務員用の小さなサロンへ――このサロンの存在は、以前にテーセルが教えてくれた――お茶を飲みに行った折、なんの気なしに相談したところ、こんな答えが返ってきた。

 「わたしが田舎でくすぶっていた頃、とにかく社交界には興味がなかったから、読書と将棋だけが気晴らしだったの。まあ、通り一遍の指し手には負けない自信があるわよ。わたしがレオに定石を教えてあげるわ。」


 さっそく、二人で職工街まで足を伸ばし、将棋盤と駒を一揃い、手に入れた。ロロ王子のものに比べれば、ちゃちな木製の駒だが、十分に用は足りる。

 目抜き通りを戻って、文書館近くの公園へゆくと、休憩用にと、テーブルやベンチが幾つか木陰に置かれており、その一つを占拠した。

 雨期も後半の公園は、むせかえるような緑の匂いにつつまれ、木陰の下にいても、蒸し暑さはさほど変わらない。公園の端を見ると、無憂樹の木が植え込みの中に何本か混じって、咲き残りの花が少し褪せた山吹色を見せている。

 わたしとデゼーは、テーブルに将棋盤を広げた。


 デゼーは、その日の夕方まで、わたしに手ほどきをしてくれた。彼女は、わたしの物覚えの悪さに呆れていたかもしれないが、丁寧に丁寧に、一つ一つの定石と、その意味を教えてくれた。

 ようするに将棋は、戦争ごっこといっても、自分の手番で一つの駒しか動かせないのだから、一斉に総攻撃とはいかない。手番を効率よく使って、相手に一歩先んじ、機先を制する見極めが大事なのだと、デゼーは教えてくれた。


   *


 それから先、わたしはたびたびデゼーに、将棋の指南を受けるようになった。これは見事に功を奏し、一月もすると、わたしとロロ王子の実力は、ほぼ同等にまで並んだ。

 王子は、これを大変に喜んでくれた。そして、「わたしも、もっとがんばります」と仰って、エルム嬢を通じて、文書館から将棋の教本を取り寄せはじめた。王子は、六歳にしてすでに、読み書きも大人並みにできるのだ。


 わたしとロロ王子は、互いに切磋琢磨して、将棋の腕を磨き合う仲になった。わたしが九歳も年上なので、この伯仲がわたしにとって名誉か知らないが、王子に喜んでいただけるならば、それ以上のことは心に懸けるまでもない。

 エルム嬢も、王子が自分から積極的に楽しみを見つけることで、ご体調も一層回復されてきたと、改めてわたしにお礼を言ってくれた。


   *


 雨期の残りの日々、ロロ王子とわたしは、東宮の広間で、ほぼ毎日、すくなくとも一度は将棋盤をはさんで対面した。

 蒸し暑さを和らげるために、侍従が王子の傍らに座り、大きめの扇で王子に微風を送るのだが、侍従の一人がわたしにも同じことをしようとして、大変に恐縮した。わたしは固辞したが、王子の前で汗だくになられても困りますと、押し切られた。


 広間北側の大きな格子窓から、抑えられたおだやかな光が入ってくる。その光に洗われたように静まりかえった室内で、二人向かい合って座り、将棋を指している。

 そのさまを、幾人かの侍従や近衛兵が、何も言わず、微笑みがら周りで見ている。二人に気を遣って、だれも大きな音を立てないように、静かに、ゆっくりと動いている。

 窓の向こうには、王宮北側の丘陵と山麓の森林が広がり、ときどき、鳥の声が丘を渡って、王宮にまで届く。

 王子と二人、勝負の途中で思わず顔を上げ、窓の外を見やると、さまざまな緑に塗り分けられた丘陵の広がりが、匂い立つような美しさを見せている。


 あ、あの声はヤイロチョウです、と王子が教えてくれる。

 この季節になったら、王宮にきてくれるんです。緑と青の、きれいな羽をもっているんです――――



 わたしはその瞬間、心が溶け去るほどの幸福を感じた。

 こんなふうに、穏やかに、ロロ王子のすぐ傍らで、王子と向かい合って、お仕えできる日々が来ようとは。そして、将棋での一喜一憂という他愛もないこととはいえ、王子を喜ばせてさしあげることが、このわたしに出来ようとは。

 鳥の呼び声が、わたしと王子とを、同じ一つの風景に繋げてくれる。そこには、人間の憂いを知らない世界が広がっている。


 わたしは、自分がまさに今、かけがえのない人生の宝物を受け止めているという実感を、心の一番奥深くに、二度と消えないように、染み込ませた。


   *


 ある日、そんな風にロロ王子と将棋を指している最中に、ロロ王子が思い出したように言った。

 「こんど、父上、母上、姉上と、ひしょにでかけるんです。」

 「ひしょ、ですか?」とわたしは問い返した。

 「今年は、いつもよりおそいんです。わたしは、レオと将棋ができたので、暑さはちっとも気になりませんでしたけど。」


 暑さ――なるほど、「ひしょ」とは避暑のことか。

 エルム嬢が補足した。

 「今年は、シェール王が戦ごとで長期の遠征をされましたので、雨期の避暑が例年より遅れているんです。でも、今年は久しぶりに、王子も避暑に参加されます。

 それに、今年はいつもの北方の高地ではなく、南の海のほうへ行きます。南方でも、海の近くであれば、海風で涼むことができますから。海行きは王の気まぐれかもしれませんが、王子は、海をご覧になることを、とても楽しみにされています。」

 王室は、王宮のほか、国のあちこちに離宮を持っている。そのうちの一つに、涼を取りにゆくのだろう。そうなると、何週間か、ロロ王子はこの東宮をお空けになることになる。

 不意に、心に寒風が吹き抜けた。


 そのとき、「レオは、海へいったことがありますか?」と、ロロ王子がお尋ねになった。


 思い返すと、わたしは海を見たことが、何度かある。旅行好きの父に連れられ、何度か、南方まで家族で足を伸ばした。夏の海も、冬の海も見た。ずいぶん子供の頃のことだが、ほとんど裸んぼうの格好で、日がな一日中、夏の磯に遊んだことが懐かしい。


 わたしがそんなことを答えると、王子は、「わたしは、はじめて海をみます。レオ、ぜひわたしといっしょにきて、わたしに遊びをおしえてください」と仰った。


 エルム嬢が、その言葉を聞いて続けた。

 「まあ、それはいいお考えです!レオ、私からもぜひお願いします。昨年までは、王子が避暑にほとんど参加されなかったので、儀仗第三係から近衛兵が随行することはありませんでした。

 今年は、今ごろ近衛課で、避暑への随行要員を選出しているでしょうが、王子がいらっしゃる関係で、儀仗第三係からも誰かを人員拠出しなければならないはずです。

 私も当然お付き添いしますが、侍従第四係長として、貴女を強く推薦しておきます!ロロ王子のご希望でもあると言い添えれば、まず間違いなく、ご一緒できるはずです。」



 王子と、海へ――。

 その言葉は、わたしにとって、まるで白昼夢に見る遠い時の彼方のように、ぼんやりと淡く輝いているように思われた。




(2019-06-21)

誤字報告をいただきました。詳細に読んでいただき、ありがとうございます!

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