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レオと青の宝玉  作者: 上原 青
第一章
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第一七話 お礼と変転


 検証会議が終わった後、部屋を出てゆこうとする私に、シャーカ少尉から、明朝より直ちに職務に復帰すること、さしあたり明日は宮内警護へ向かうことが告げられた。


 「お前も色々な人に、お礼の挨拶に行くだろう。今日の残り時間は、それに充てるといい。」

 「まずは、少尉にお礼を云いたいです。ありがとうございました。」


 少尉は、自分が何かしたか、とでも言いたそうな、怪訝そうな顔をした。

 

 「今回の事件を起こしたとき、わたしを責めなかったではありませんか。ご自身の進退も掛かろうかというのに。

 落ち込んだわたしを優しい言葉で支えていただいて、本当に嬉しかったです。」


 少尉は、お前は本当に素直に礼を云うんだなと、少し照れた笑いを浮かべると、そっぽを向いた。


   *


 部屋の外では、父が待っていた。


 「父様(とうさま)、ありがとう。」

 「儂は、本当に少しのことしかしていないぞ。

 本当の立役者はな、母様(かあさま)だ。お前が帰った日の夜、母様が、二人で王都へ向かうことを強く主張したのだ。」


 思わぬことだった。父よりも母が、積極的に動いてくれたとは。

 父が、詳しい次第を教えてくれた。


 「あの日、夕食が終わって、お前が自室に戻って一刻ほどした後だろうか、母様が突然、儂の部屋に入ってきた。

 母様は怒りに肩を震わせ、目の色を変えて、近年ついぞ見たことがないほどに憤慨していた。

 一体どうしたのかと尋ねると、母様が云うのだ、


 『あの()が、泣いていました。』

 『レオが?自分のやったことを、不名誉とでも思っているのか?』

 『分かりません。しかし、まるで正体を失ったように、我が身まで引きちぎらんばかりに空を掻きむしっては、獣のごとく(むせ)び泣くのです。あれほど悲しみに狂ったレオを見たのは、はじめてです。』」


 顔が引きつった。あの時の錯乱ぶりを、母に見られていたのだ。


 「『そんなに落ち込むような事かなあ。いったい典医に何を云われたことやら。』

 『何でも構いません』と母様が言い放ってな。

 『あの娘の誇りを、ここまで傷つけた者は、誰であれ絶対に許せません。

 私は明日、大公にお目通りを求めて、貴族院からこの件について捩じ込みをかけます。貴方も軍部で、あの娘のために働きかけをなさいませ』」


 「それで、母様は、優に二十年以上の歳月ぶりに、実家の宗家に顔を出した。儂は同伴できなかったが、王宮の西側、近衛兵宿舎の奥にある中央貴族街の、とびきり奥まったところにある御殿だ。

 知っているかもしれんが、母様は儂と結婚するために、駆け落ち同然で実家を飛び出し、直接の生家はともかく、宗家とはまだ縁が修復されていなかった。

 それで、母様は宗家の族長である大公殿に跪いて許しを請い――あの誇り高い母様がだぞ――、大公殿にお前のことを請願した。

 大公殿も、駆け落ちは随分と古い事だし、もとはといえば母様の才覚に目をかけていたからこそ怒りも一入(ひとしお)、互いに誇り高いのが災いして和議の機縁も見出せなかったが、こちらから(へりくだ)って復縁を求めれば、受け容れるに(やぶさ)かではない。族縁の庇護という名目もあれば、なお好機と、宗家もこれを受けてくれた。


 それから後も、母様はお前のために、中央貴族街のあちこちに顔を出して、貴族院への働きかけを確約させると、王都へ行って三日目の、ごく早朝だったか、王都でも雨が降りはじめているというのに、自分だけ家へ帰ると言い張った。


 『今日は終日(ひねもす)雨だ、馬車が無事に家まで着くとは思えぬ。』

 『しかし、レオを家に残しています。あの落ち込みぶりでは、思い余って、万が一のこともないとは限らないではないですか。

 今、少々の雨で逡巡して、一生を悔いることにでもなれば、どのようになさいますか。』


 恐ろしいほどの剣幕でまくしたてると、母様は雨の中、無理矢理に馬車を走らせた。まあ、お前もそんなとぼけた顔をしているからには、無事にたどり着いたのだろうが。」


 母の心中をはじめて知って、呆然とした。


 雨の日に、実家に戻った母の、あの平静を忘れて血走った形相。そして、わたしが雨の庭を眺めて涙を流していたときに、後ろから声をかけて茶席を設け、不思議な話をしはじめた母の横顔。

 あれらは全て、わたしに対する叱責や支配ではなく、母の愛情であり、気遣いだった。

 わたしの狭量さや、幼い反発心のために、今まで見えていなかったものが、ようやく、見えはじめたように思えた。


   *


 近衛兵宿舎に帰って、自室に荷物を入れ直した。

 クローゼットに、近衛兵の制服をかけ直すと、安堵の息がもれた。ようやく明日から、いつもの業務に戻れるのだ。


 自室で落ち着いてみると、自分が、多くの人に助けられ、支えられていることに、しみじみ感謝した。友人、家族、上司の皆が力を尽くしてくれたことに、どう恩返しをしていいかわからない。


 これから、皆を安心させることができるような、一人前の近衛兵にならなければならない。そうして、今度はわたしの全ての力を賭けて、彼らの親切に報いる番だ。


 鎧戸を開けた窓から見やれば、山吹色の黄昏に照らされた木々と、その奥の王宮が目に入った。

 あの一角に、ロロ王子がいらっしゃる。明日からまた、あの小さく美しい主君にお仕えすることができるのだ。


 ふと、胸の奥で、黒く熱いざわめきのようなものが動いた。

 俄に不安になった。なにかまだ、自分が気づいていない、大きな不始末のようなものが残っているのだろうか。思い当たるふしはないが、だからこその不始末という気もする。

 しかし、思い出せないことを気にしても、仕方がない。今から、テーセルたちにお礼を言いにいかなければ。

 そう思うと、胸の淀みはあっという間に晴れて、心が軽くなった。


 テーセルたちに会いたくて、たまらない。彼女たちに会って、ありがとうと伝えたい、そして、無事で元気なわたしの姿を見せて、大事な友人たちを安心させたい。

 わたしの心は(はや)った。


   *


 勤務表をみると、テーセルもホーレーも、夕方で勤務を終えることとなっていたので、近衛兵宿舎一階の広間で、彼らを待った。

 薄暗い広間には、勤務を終えた者や夜勤に出る者などが時々行き交ったが、広間の隅の暗がりに立つわたしに、目を止める者はいなかった。

 彼らに早く会いたくて、気が()いたが、彼らが勤務を終える正確な時間はわからない。宿舎の入り口を見つめたまま、じっと立ち尽くして待つしかなかった。


 ふと、広間につながる宿舎の中央階段を、賑やかな音を立てて降りてくる一群に気づいた。

 振り向くと、広い中央階段を、一〇人ほどが降りてくる。

 先頭はテーセルだ。隣にはデゼーもいる。その後ろから、パーラ曹長が、儀仗第三係の先輩たちが続く。その末尾あたりに、ホーレーがついてくる。


 わたしのために力を尽くしてくれた、大切な友人たち。

 息を呑んだ。彼らに呼びかけたかったが、胸が詰まって、声をだすことができなかった。


 テーセルがこちらに気づいて、呼びかけた。

 「レオ!ああ、こんなところにいた!みんなで部屋まで行ったのに、あなたがいなかったから、ご飯でも食べてるのかしらって、探しに来たのよ。」


 彼女たちの元に駆けつけてお礼を言い、自分が無事で、この一件で成長し、一人前になった姿を見せようとした。そうしようとはしたのだが、そのどれもできなかった。




 その場を一歩も動けないまま、期せずして涙が溢れ、両手で顔を覆った。

 テーセルとデゼーが、急いで傍へ駆けつけて、わたしの肩に手を回してくれた。

 わたしは、子どものように泣きじゃくる寸隙で途切れ途切れに、ありがとう、ありがとうと、何度も言おうとしたが、まるで言葉にならなかった。

 デゼーが、わたしの頭を優しく撫でながら、良かったわねと言ってくれた。啜り泣いたまま立ち尽くす周りを、ホーレーと、儀仗第三係の先輩たちが囲んだ。


 途中から、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになって、どうにも手を顔から離すことができなくなってしまい、大いに恥ずかしかった。

 テーセルがハンカチを貸してくれて、どうにか難を逃れた。



 それにしても最近、泣いてばかりのような気がする。

 子供のころ、戦争ごっこでどんなにひどい目にあっても、一度も泣いたことがないのに、どうして今になって、涙がたくさん出るのだろうか。

 多分、近衛兵になってから、ごっこではない、本当の社会生活を始めたからだ。今わたしが過ごしている毎日は、一人の人間としての、本物の喜怒哀楽の日々なのだろう。


   *


 一行は、そのまま宿舎の食堂に向かい、食堂の職員にお願いして、簡単な祝杯を上げた。

 泣きはらした目で、友人と先輩がたに、たどたどしくお礼を言った。みんな、まるで自分の娘を見るような優しい目で、わたしを見ながら、にこにこ笑ってくれた。あるいは本当に、わたしは儀仗第三係の、手のかかる末娘のようなものかもしれない。


 今回の顛末を、皆に簡単に報告すると、今回の件が予想外の大騒動になったことに、みな驚いていた。

 テーセルは、神妙な顔で言った。

 「今回は私も、いろいろと画策して働きかけたけど、まさか御前会議にまで話が及ぶとは思わなかったわ。

 世間は奥が深いわね!まだまだ修行不足だったわ。」


 「あの学術報告書は、あんな扱いで良かったの?」とデゼーに聞くと、彼女は軽くあしらうように言った。

 「一晩で書けるような報告書だもの。どうってことないわよ。

 あんなもので、わたしのレオに対する恩返しは終わらないからね!もっともっと勉強して、いまにみんなの度肝を抜いてみせるわ!」


 儀仗第三係の先輩たちは、わたしの友人や両親の行動力に、圧倒されていた。

 パーラ曹長が感嘆の声を上げた。

 「レオ、あなたは素晴らしい親類友人をお持ちですねえ!今回は、あなたの騒動を発端に、このコハラパハード国全体が動いたようなものですよ。」

 ホーレーは、一座の賑わいを、黙ってにこにこと見ていた。


 座はそのまま夕餉となり、友人や職場の同僚との再会を、存分に堪能した。途中から、シャーカ少尉も加わった。儀仗総括も、すこしだけ顔を覗かせた。

 久しぶりに親友たちと四人で集い、先輩の面々に会うことができて、すっかり元の職場に戻ってくることができたのだ、と、しみじみ実感した。

 

   *


 楽しい時間が終わり、宿舎の自室に戻ると、少し気が抜けて、ベッドに腰を下ろした。


 明日からひさしぶりの勤務だ。念のために、明日の予定を頭の中で確認する。

 朝一番に身支度をして朝食、王宮中央棟で点呼の後、パーラ曹長と王子の居室前へ移動である。エルム嬢とすこし話をして業務日程の確認、それから、ロロ王子の朝のご挨拶をいただけるだろう。


 と、先刻に雲散霧消したはずの、胸の奥の黒く熱い疼きが、また突然に甦ってくるのを感じた。

 慌てて、自分の身体を両腕でぐっと強く抱き、ベッドの上で丸まった。


 まるで熱い鉄でも呑み込んだような違和感が、胸の奥から、腹の下の方へ、徐々に広がってゆく。ここ数日の騒ぎの途中で、熱病でももらってしまったのだろうか。いや、悪寒があるでもなく、頭もはっきりしている。せっかく明日から業務に復帰できるという段になって、一体なにが起きているのか。


 やがて、この感覚に覚えがあるのが分かった。

 実家に戻った初日、自室で、王子に会えなくなるおそれから、正気を失ったあの時に、感じた熱と同じだ。その連想で思い出す――わたしの腰に回された、ロロ王子の細く白い腕を、腰に密着した王子の胸から感じた鼓動を、宝玉のように深い青を湛えた瞳を。

 胸中の黒い塊は、いよいよ熱く大きくなった。焦りを感じて、自身をかき抱く腕に一層力をこめた。

 実家にいたときは、王子に会えなくなるという恐怖が、冷たい暗黒のように身体を冷やして、一種の危うい均衡状態を保っていた。いまやその恐れは祓われ、ロロ王子を思い出すたびに、一方的に暗い熱がいや増すばかりとなっている。


 このままでは、精神が焼き尽くされてしまいそうだと、固く目を閉じた。

 これが、かつてエルム嬢の警告した乱心などではなく、疲れと緊張から出た一時の不調に過ぎないのならば、早く眠って、こんな熱など吹き飛ばしてしまいたい。明日は近衛兵として無事に務め、ロロ王子への忠誠を立派に示したい。


 でも、そう思うほどに、ロロ王子の眼差し、あの濡れたような髪、冷たい頬が、果てしなく頭の中をめぐるばかりだった。

 


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