第一一話 業務改善
近衛兵という職業に対する、自分の能力へのわずかな期待と将来への展望を打ち砕く、惨めで忙しい一日が終わった。次の日からわたしの近衛兵生活は、さぞ味気ない先細りのものになるだろうと、心の中でなかば観念していたのだが、はたして、実際はそんなふうにならなかった。
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まず、王都巡察の際に随行する歩兵たちの態度が、まるで変わってしまった。
次の巡察任務の折に、彼らは一言も私語を発さず、黙々とわたしの指示に従うようになっていた。一行の中に、一種異様な緊張感がただよい、実に秩序正しい巡察隊が誕生した。
赴任当初の気苦労はどこへやら、その日以降の巡察隊の任務は、なんとも円滑に終わるようになった。
いったい何が起こったのだろうと、兵卒の一人をつかまえて尋ねてみた。
しぶしぶ実情を教えてくれたところでは、どうやら歩兵師団の中で、わたしは血の気が多い、要注意人物であるとの情報が出回っているらしい。
ついた仇名が、というところでつぐんだ口を、職権でなかば強引に割らせると、「狂牛」という答え。
わたしは天を仰いだ。
たしかに、同僚ともいえる歩兵と小競り合いをしただけで、相手を斬首しそうになったのは、われながら行き過ぎの感があった。相手の曹士も、よくわたしを告発しなかったものだ。
だが、まがりなりにも年頃の娘に対する仇名としては、あんまりではないか。
しかし、だ。それで歩兵たちがわたしを恐れ、結果、任務の負担が減るのならば、安い代償だ。
結局、この件については何も言わないままにしておいた。
ところが、一月も経つと、兵卒たちの従順さは変わらぬまま、彼らのわたしを見る目が、恐怖から敬意へと変わった気がする。
わたしの行状にはなんら変更点がないので、腑に落ちない。またもや兵卒の一人をつかまえて聞き出すと、今度は嬉々として教えてくれた。
まず、わたしと諍いを起こした曹士は、これを機に除隊した。面倒な古株が一人いなくなり、兵卒たちは喜んだ。これが、わたしの功績に帰せられたらしい。
それから、わたしが騎士アーンディーの娘であることが、いつの間にか歩兵師団にも知られた。
それまでよく知らなかったが、父は、戦場で多くの武勲を挙げ、英雄扱いされているようだ。その娘であるからには、剣技に長けているのは当然だ、お荷物の古参兵を厄介払いしたのも、きっと歩兵たちを思ってのことに違いない、と、そんなふうに、わたしへの評価が一転したとのことだった。
「あの寸止めは、じつに見事でした。あんな巧みな剣の扱いははじめて見ました!」
と、兵卒は言ってくれたが、もちろんこれは勘違いだ。実際は、間一髪で取り返しのつかないことになるところだったのだ。
ただ、勘違いではあるのだが、最初の仇名の件も、任務のことを考えて不問に付したのだし、今さら誤解を正すと、藪蛇のような処分を受けかねない。
今度の過大評価も、黙って見過ごすことにした。
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それから、東宮の警護も、わたしの自信喪失をよそに、宮内の王子の居室警護が割り振られるようになった。
「お披露目が恙なく終わってなによりです。少しずつ、居室警護を増やしてゆきましょう」とパーラ曹長は言った。
「それにしても、貴女でも緊張することがあるんですねえ!あの日、王子の前に出た貴女は、こう云うと申し訳ないですが、ちょっとした見ものでしたよ。」
どうやらこちらも、一種の誤解によって、事が済まされたらしい。
とはいえ、こちらは王都巡察とちがい、黙っているだけでは済まない。
周囲が誤解して、わたしを王子の近くに置いてくれても、気を一瞬でも抜けば、王子のご機嫌を損ね、あるいは王子に不敬を働きかねないと、すでに思い知っている。なにせわたしは、任務中に白昼夢を見て、無意識に人を殺めようとする人間だ。
当面、自ら近衛兵の職を辞さないのであれば、せめていっそう、王子の前では気を引き締めようと、心に固く誓った。
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ところが、そのようなわたしの悲壮な決意にもかかわらず、居室警護の任務に就きはじめて分かったのだが、宮内の警護は宮前の警護に劣らず、やることが何もない。それどころか、宮の前と違って、普段は多少姿勢を崩しても、雑談に興じても、誰も咎めない。
心中でどんなに決意を高めても、かなしいかな、空回りして緊張感は緩んでゆくばかりだ。
変わらず任務に随伴してくれるパーラ曹長に聞くと、曹長は、部屋の壁にもたれて寛いだ姿勢をとりながら教えてくれた。
「そんなものですよ。宮の中では、あまり肩肘を張らなくても大丈夫です。むしろ、周囲があまり緊張していると、王子もお心安やかになりづらいでしょう。」
王子は、体調の問題もあって、めったに寝室からお出にならないので、一日の勤務中に二、三度、お目にかかる程度だ。
王子に拝謁するとき、こちらは背筋を正し、王子はいつも、にっこりと笑っていただける。
そのほか、宮の中で出会う人は限られている。
エルム嬢は、いつも忙しそうに東宮内のそこかしこを歩き回り、他の侍従たちに指示を出し続けるが、ときどきは、わたしたち近衛兵と、立ち話をすることもある。
典医の顔はしょっちゅう見る。お身体の弱い王子の容態を診るのが日課なのだ。
エルム嬢は、「王子は典医があまりお好きでなくて」と、困った顔でぼやくが、医者が好きな子どもは、あまりいないだろう。
まれに、アルキド王妃が王子のお見舞いにいらっしゃる。そのときは、儀仗第一係が東宮の中まで入り、宮の中でも王妃の警護を続けるので、われわれが特別に行うことはない。
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宮内警護の緩さと、自分が保たなければならない緊張感との落差に悩むわたしを尻目に、どうしたわけか、二、三月の間に、わたしの日程表の上で、宮内警護の割り当てがどんどん増えはじめた。
代わりに、東宮前の警護がめっきりと減り、王宮警備や王都巡察まで減りはじめたとなれば、わたしの業務形態について、何らかの事情変更が起きているとしか思えない。
何の説明もないので、こちらから聞いてみると、シャーカ少尉が教えてくれた。
「エルム嬢から打診があってな、お前の宮内警護を増やしてくれと頼まれたんだ。」
どうしてだろう。わたしは居室警護で、とくに目立った仕事をしただろうか。
「それがな、王子がお前のことを、どうやらお気に召したらしい。お前が警護に当たっていない日は、お前がいないのかと、きまって王子がエルム嬢に尋ねられるし、反対に、お前が寝室の前にいると知れば、その日はご機嫌が良く、ご体調も少し上向くように見えるらしい。
お前、王子の前でなにか、気に入られることをしたのか?どうやったら王子のご歓心を得られるのか、儀仗第三係全体にとって、大事な問題だぞ。」
そうは言われても、心当たりはない、というのがわたしの答えだ。シャーカ少尉は、そうかと呟いて続けた。
「エルム嬢にとってみればなあ、王子のご体調が少しでも良くなることならば、なんでも試したいと、藁にもすがる思いなんだろう。なぜかは分からんが、お前が王子の近くにお仕えすることで、王子に少しでもよい影響があるのなら、な。
お前を付き合わせてしまうことになるが、任務の内訳が変わるだけなのだし、宮内警護は比較的負担も小さいだろう。悪いがしばらくは、集中的に居室警護に当たってくれ。」
不安は残るものの、任務であれば是非もない。
それはそうと、少し気になることがあった。
「あの、どうしてエルム『嬢』なのですか?」
「今さら、変なところに着目するなあ。」
「すみません。」
「いいさ、大したことでもないし」とシャーカ少尉が言った。「彼女の名前はな、エルム=プラーナと云うんだが、『プラーナ』まで呼ぶと、彼女が怒るんだよ。どうしてかは分からない。
それで、エルムと呼び捨てにするのも収まりが悪いので、なんとなく皆、嬢とつけるようになったんだ。」
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「プラーナというのは、私の郷里では良い意味じゃないんですよ。こんな名前をつけた親を恨みます。」
宮内警護中、時間が空いた折に、エルム嬢自身が教えてくれた。「ただのエルムと呼ばれるようになってから、ようやく、自分にいくばくか自信が持てるようになりましたし、自分の仕事も落ち着いてきたように思えるのです。『嬢』は、周りの人がなんとなくつけただけで、特に意味はありませんよ!」
「名前って、そんなに自分を変えられるものなんですか」
「迷信にすぎないのかもしれませんけどね、その人の、本質や因縁に合った名前をつけることで、名と体のズレがなくなるんです。
名前それ自体も、言葉の網の目のなかで、多くの含意や記憶を伴っていますものね。占い師が、よく改名を勧めるでしょう。あれも、占い師から見たその人の因縁と、名前の因縁を一致させるためなのです。
王子も、ロロ王子と呼ばれるようになってから、お身体が少し強くおなりになった。これは、王子が生まれてから毎日、お世話をしている私から見て、確かなことです。
ええ、もちろん、王子の身体が成長しただけと云う人もいます。でも、呼び名を変えたことが転機になったという実感を、無理に否定しなくてもいいでしょう。」
なるほど、名と体を合わせるという説明に、どこか得心した。そうすると、わたしの異国風の名前も、もっとしっくりするものに変えたほうが良いのだろうか。
「あら、私から見れば、レオはとても可愛らしい、貴女に合った名前だと思います」と、エルム嬢が言ってくれた。
「その異国風の感じが、貴女の、この世界に染まりきっていないような、どこか儚げな雰囲気に合っている気がするのです。別の世界との因縁を持っている感じというのでしょうか、そこが、ロロ王子と貴女が似ていると思ったところです。
それに、貴女の歳で名前を変えてしまうと、その後始末が大変ですよ!多くの人が、七歳ごろまでに改名を済ませてしまうのは、それ以降は社交の繋がりが広がりすぎて、事実上、改名が難しくなるからでもあるのです。」
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わたしの宮内警護が激増したので、エルム嬢と顔を合わせる機会も増え、互いに仲良くなった。いつもは忙しい彼女の手が空けば、雑談を交わす機会も増えた。
また、王子に拝謁する機会が増えるにつれ、徐々に、王子を冷静に観察できるようになってきた。
わたしはようやく、畏れ多くもこの六歳の男の子が、大変に気高く、美しい魂を持たれていることに気づきはじめた。
王子は常に、周囲の侍従や近衛兵に気遣いを怠らなかった。また、その青い瞳に湛えられた憂いは、自分の病弱や気の弱さが、周囲の者や自分の家族にとって、懸念や負担となっていることへの、申し訳なさの表れであることが分かった。典医の施術は大の苦手のようだが、周囲の者を安心させるためにと、泣き言を言わず受け入れていた。
わたしは、この小さいながらも慈悲深い主君にとって、なんとかお力になりたいと、真剣に考えるようになっていた。もしもお傍に仕えることで、王子を元気づけて差し上げられるならば、どこまででも王子に付き従ってゆこうと思った。