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レオと青の宝玉  作者: 上原 青
第一章
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第一〇話 忙しい日(二)


 午前中の突発事で、混乱した気持ちのまま宿舎に戻った。


 今日の巡察隊は、午前中に出発ずみだ。王宮大門から目抜き通りを下り、大寺院広場から東通りか西通りへと進み、王都の南端で数刻駐留した後、来た道を引き返して帰るのが通例だ。

 今日のわたしの受け持ちの、巡察隊の経路はどちらだろう。それに、誰が隊長をつとめているのだろう。窓口の係員に聞くと、彼は帳簿をのぞいて答えた。

 「本日の巡察隊は、歩兵第二師団、第一大隊のガース曹士が、隊長代理になっていますね。昼前に鷹の広場に到着後、午後に戻る予定ですから、大寺院広場から東通りを通れば、必ず落ち合うでしょう。」

 歩兵の曹士が、巡察隊の隊長代理。ふと、嫌な予感がした。宿舎の食堂で軽食でも食べてから午後の巡察へ、とも考えていたが、急いだほうがよさそうだし、午前の件での気持ちの動転もあって、そんな気分になれなかった。


   *


 昨日、友だちと私服で歩いた町を、近衛兵の制服でたどり直すのは、妙な気分だった。

 大門から目抜き通りを南下し、ひとり大寺院広場に出ると、正午過ぎの広場はすさまじい混乱のさなかだった。巡礼者、商人、小間使い、僧侶、行者、職人や生活者、その他得体の知れない人たちが、まるで無秩序に行き交い、ときどき、その間をむりやりに割って、荷車が進んでゆく。

 わたしが一歩歩くごとに、目の前を誰かが通り過ぎ、背後が他の人で塞がれる。動き続ける人混みの中を割りこみながら、次の一歩を進めるしかない。四方八方とも人だらけで、見通しがまるで利かない。人の気ぜわしい怒号やロバの悲痛ないななきで耳がふさがれ、方向感覚がおかしくなる。

 やや右手のはるか頭上まで見える、大寺院の尖塔だけが頼りだ。


   *


 ようやく東通りの入口にたどり着いて一息つくと、その先には、それ自体が市場のような大通りが続いていた。

 通りの真ん中には、露天商や屋台が軒を連ね、その脇を歩行者が行き交っている。これが東通りで、いわば生活者のための目抜き通りだ。

 通りのさらに左手つまり東側は、旧市街地の居住区域であり、さらにその向こうに、王都を拡張して造った、新居住区が広がっている。王都に暮らす大部分の臣民は、この東通りを、最大の売り買いの場としているのだ。


 軽食や野菜を売る屋台に混じって、薔薇や千寿菊、茉莉花などを売る花屋の露天商が、通りの景観を美しく飾っている。通りの両側に並ぶ建物も、一階は見渡すかぎり、小売りの商店ばかりで、その建物の上層階は、だいたいが、中産階級用の狭い居室になっている。

 上層階の窓のごく小さなせり出しに、可愛らしい鉢植えの花を置いているのが目につく。そうかと思えば、その同じ建物の下、大きなひさしが張り出した飲食店の奥では、男女問わず昼間から薄暗い店内で酒を飲み、だらしない姿を見せていたりするのだ。


 町全体が生活の匂いでつつまれており、雑多に彩られ、たくましく賑やかな町並みを、わたしは嫌いではなかった。この区画の人たちは活気に溢れ、その目には抜かりない野心の炎や、享楽を追い求める貪欲な輝きが見えた。大寺院広場ほどではないが、人の賑わいは相当で、すれ違う人にぶつからないよう気をつけながら、早足で東通りを抜けた。

 時折、屋台から美味しそうな軽食のにおいが漂うが、立ち寄れないのが恨めしい。昼食を抜いたのが失敗だった。通りを抜けきるころには、すっかりお腹が空いてしまった。


   *


 東通りの終点にある「鷹の広場」は、王都南側の守りの要衝で、差し渡し二町ほどの円形広場である。この辺りまでくると、広場周辺の建物は、かなり背が低くなっており、人の行き交いもぐっと減ってくる。鷹の広場のさらに南側は、治安の悪い一帯となっている。


 ところで、巡察隊はどこにいるのだろう。見回してもそれらしき集団はいない。すれ違ってしまったということはないだろう。広場の南側を見ると、一見したところ無秩序な人だかりに見えた集団が、よく見れば歩兵とおぼしき一群だと気づいた。


 胸騒ぎをおぼえながら近づくと、はたして、人だかりは巡察隊で間違いなかった。

 彼らは、鷹の広場の南側に口を開けた、ごく細い路地の入口あたりに、野次馬のように人垣を作っていた。南側の路地は、きわめて見通しが悪く、その向こう側には、何の特徴も看板もない、粗末な木造りの建物が乱雑に並んでいる。わたしは知識として、この向こうにあるのが歓楽街であることを知っていた。

 人垣の向こうで、誰かが言い争いをしているような声が聞こえる。


 兵士たちがわたしに気づくと、人垣が二つに割れた。その先を見ると、一人の中年兵と、若い女性が言い争っているのが見えた。

 二人は、いまにも掴みかからんばかりの勢いで、互いを罵り合っている。取り巻いている歩兵たちは、わたしに気づいてばつの悪そうな表情をする者、薄ら笑いでわたしの顔を見る者など、さまざまだ。

 そうこうしている間に、女性が兵士に向かって唾を吐き、中年兵が女性を殴ろうとした。すんでのところで、周りの兵士が、怒った中年兵の腕を止めた。

 この状況に割って入らなければならないのかと思うと、気が滅入ったが、任務なのだから仕方がない。


   *


 わたしは二人に近づき、大きな声で言った。「二人とも、止めてください。とりわけ、兵が臣民に暴力を行使することは、固く禁じられています。」


 ここでようやく、中年兵がわたしに気づいた。彼は一瞬ひるんだが、すぐにわたしの方を睨んで言った、「この女が俺に言いがかりをつけてきた。兵士の名誉を毀損するのは、犯罪だ。あんたも、この女が俺に唾を吐くのを見ただろう。」

 「そいつがあたしを侮辱した!」と、女性が叫んだ。かなりの薄着で、髪は乱れており、言葉が少したどたどしかった。「あたしを馬鹿にして、あたしを買うと言った、あたしは奴隷じゃない、あたしは王都の臣民だ!」

 「ええい、聞き取りづらい言葉でしゃべるな。万が一お前が奴隷じゃなくても、だから唾を吐いていいとは、法は定めてないんだ。」

 「唾を吐いたら、なんだ」

 「唾を吐いたら、名誉毀損になるんだ」

 「なんであたしが名誉毀損だ」

 「唾を吐いたからだろう」


 頭が痛くなりそうだったが、つとめて冷静に言った。

 「巡察では、個々の兵士に、現行犯の抑止しか認められておらず、刑罰の執行権を与えていません。殴ることは名誉毀損の抑止行為ではないので、彼女の行為が名誉毀損に当たるかどうかと、あなたが彼女に殴りかかることは、関係がありません。

 速やかに隊列を作ってください。この件の始末は、後ほど行います。」


 これを聞いた中年兵が、今度はわたしのほうへ向き直った。

 「あんた、巡察隊の午後の隊長か。階級は何になる?」

 「曹士です。」

 「俺も曹士だ。あんたと同じ階級である以上、あんたは俺に命令する立場にない。」


 この中年兵が曹士とは。もしやと思い、「ガース曹士ですか?」と聞くと、彼はにやりと笑った。

 「午前中の巡察は俺が統率した。何の問題もなかった。若い娘がこんな界隈まで来てご苦労だが、ここから先も、あんたがやるべきことは何もない。」

 「今まさに、やるべき事ができつつあるのですが。」

 「お前は俺に命令できる立場にないと言っただろう!」ガース曹士が声を荒げた。「歩兵がみな兵卒と思うなよ。」


 そう言われ、改めてガース曹士を見た。

 年の頃は四〇歳くらいだろうか、周りの兵士と比べると、かなり年上だ。太り気味で、髪や髭、制服の着こなしが少し乱れている。努力や研鑽を、人生のいつの時点かでやめてしまった人に特有の、どことなく澱んだ雰囲気を感じた。

 そういえば、歩兵師団の昇級制度は、兵卒、兵長、曹士ときて、曹長以上の階級に昇るためには、実戦で武勲を挙げる必要がある。武勲は二〇代で挙げるのが普通で、三〇を超えて昇級できなければ、後方支援専門になるか、事務職に配転するか、退役することが多い。

 そう考えると、彼は、戦績を挙げないまま、長いあいだ歩兵師団に居座ってきた、かなりの古参兵と言えるだろう。


 そして、この時のわたしは、午前の件で落ち込むやら、お腹が空くやら、いさかいのくだらなさに呆れるやらで、かなり投げやりな気分になっていた。

 そこでつい、思ったことをそのまま口にしてしまった。


 「その歳で曹士、ですか……?」


   *


 曹士の顔色が変わった。

 同僚の兵士の腕を振り払い、言葉にならぬ吠え声を上げて、わたしに飛びかかった。周囲の兵士たちが目を丸くして凍りついたが、彼の動きは、特段に機敏でも周到でもなかった。

 身体に染みついた動きで上体を沈め、襲撃に備えた。子供のころ、父が教えてくれた合わせ技の一つだ。何も考えなくても、身体が自然に動いてくれる。


 体をかわしながら彼の足を払い、同時に右手を腰の剣にかけ、左手は彼の右肩を掴んで引く。彼は足を払われて体を崩し、肩を引かれて回転しながら、仰向けに倒れてゆく。私も曹士の身体の勢いで体を回転させつつ、空中で、彼の上にのしかかる体勢になる。抜いた剣先の峰を、彼の肩を掴んだままの左拳に当てて、刃線を彼の首筋に定め、剣の柄を握った右手に体重を乗せて、地面を殴り抜くように振り下ろす。

 子供の頃、戦争ごっこで、わたしは細い枝を剣に見立てて、よくこの技を使った。やられた相手は喉をしたたか打たれ、悶絶したものだ。


 と、刹那のうちにはっと気づいて、左手の力を緩め、右の拳を地面に当たる前に止めた。体重を乗せた右手を無理に止めたので、身体がこわばり、息がぐっと詰まった。


   *


 二人を中心に、その場が凍りついた。


 わたしは曹士の上に乗り、彼の喉元に刃を乗せている。地面とほぼ水平になった刃が、曹士の喉に押し付けられ、皮がすこし切れて血が出ている。 わたしの下で仰向けになって、斬首されかかっている曹士は、驚きと恐怖の表情で、指一本動かせない。周囲の兵士たちも、いさかいの相手の女性も、引きつったような表情で固まっている。

 本物の剣でやってみて分かったが、この技は、一撃で確実に相手を絶命させるための、実戦向けの殺人術だった。気づくのがあと一瞬遅れていたら、曹士の頭と胴体は、泣き別れになっていただろう。

 父はなんというものを、実の娘に教え込むのだ。


 しばらく刃筋を動かさぬまま、つらつら考えた。


 思い返せば今朝、エルム嬢は、王子が荒事を好まないと忠告した。その忠告を受けた当日に、荒事も荒事、よもや同僚の首を落としそうになるとは。わたしの粗暴は父仕込みの、幼い頃から身に染みついたものとしか言いようがない。


 それにつけても、典礼はなかなか覚えない、任務中に白昼夢は見る、無意識に荒事におよぶ、こんなことで、王子の警護が務まるとはとても思えない。うすうす感じてはいたが、わたしは、近衛兵に向いていないのではないだろうか。

 今は、新人ということで色々と見逃してもらっているし、わたしも懸命に職務遂行しているつもりだが、遠からずきっと、化けの皮がはがれて大失態を犯すだろう。

 そうして、その後を想像すると、打ち首となるか、実家へ追い返される自分の姿しか、目に浮かばない。


   *


 長いため息を吐いて立ちあがり、曹士の首から剣を外して鞘に収めた。曹士は腰が抜けたらしく、若い兵卒二人が、彼に肩を貸した。それから先は、誰も一言も口をきかず、魂の抜けたような、秩序だけは保たれた一行が、午後の町を通り過ぎた。

 巡察隊はそのまま、わたしを先頭に、とぼとぼと東通りから大寺院広場を経て、王宮へ戻った。

 


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