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挨拶

 午後、セリムがサマンサの部屋に訪ねてきた。

「昨夜言っていた挨拶とはどういう意味だろうか」

「どう、と申されましても、セリム殿下のご家族や周囲の方に挨拶をしたいと思っただけなのですけれども」

「私の母は四年前に亡くなっていて、同母の兄弟もいない。母方の親戚はいるが特に挨拶は要らないし、私の周囲と言ってもハサンとメルトしかいない」

「王太子であらせられるのに、お二人しかいないのですか?」

 サマンサは驚いた。王太子である彼女の兄には側近が二人と従者が複数いた。王宮の外に出る際の護衛も複数就く事が当たり前で、二人では少ないと思えたのだ。

「私は元々王太子ではない。その話は聞いている?」

 サマンサは頷いた。この国の王太子はセリムの兄だったが、二年半前病に倒れ帰らぬ人となった。彼には妻がいたものの子供がおらず、弟であるセリムに王太子が回ってきたのである。

「私は元々軍人で国境を守っていた。兄の急死で呼び戻されたものの、帝王学など一切施されていない。兄は優秀だったから渋々受け入れたが、私の事は受け入れたくないと思う者も多く、それを黙らせる為にとこの政略結婚が持ち上がったわけだ」

 サマンサは無表情で頷く。昨夜の少し頼りない雰囲気はそこにはなく、淡々と話すセリムをつまらなく感じていたが、それを表情に出さないように努めていた。

「この国ではレヴィ王国の名はあまり知られていないけれど、この二年の間に色々と技術供与を受けて少しずつ浸透し始めている」

「技術供与ですか?」

「あぁ。サマンサの兄上は今日からこの国を巡り、その技術が正しく伝わっているか様子を確認してくれる事になっている。軍人と聞いていたけれど、技術者だったみたいだね」

「いえ、兄は軍人です。幅広い知識を持っているのは間違いありませんけれど」

 サマンサは話しながらライラを羨ましく思った。自分はここに閉じ込められているのに、ライラはジョージと共にアスラン王国を巡るのだろう。彼女は決して人質ではないが、この別館から出る自由がないのならば、人質のようだと感じても致し方がない。

「話が脱線してしまった。サマンサは特に誰かに挨拶はしなくてもいいと思うから、今日はこれから私の行きたい場所へ付き合って貰えないだろうか」

「行きたい場所、ですか?」

「あぁ。王宮の外にある神殿へ行きたい。勝手にメルトもついてくると思うけど、彼はそれが仕事だから気にしないでいい」

「わかりました。この恰好のままで大丈夫でしょうか?」

 サマンサはアスラン王国の服を着ていた。レヴィで着ていたワンピースやドレスとは違い、長い布を身体に巻きつけてピンでとめるものである。今日着ているものはセリムが用意してくれていた綺麗な刺繍が施されているもので、勿論これをサマンサが一人で着られるはずもなく、必死にポーラが着せ方を覚えたのである。

「私が用意したものを身に着けてくれて本当に嬉しい。よく似合っているよ」

 セリムの表情が緩む。サマンサもそれに対し笑顔を作る。

「ありがとうございます」

「初めて会った時は帽子を被っていたよね。我が国には帽子を被る習慣がない」

「伺っております。その代わりストールを被ると聞きました。少しお待ち頂けますか?」

 そう言ってサマンサはポーラへと視線を移した。話を聞いていたポーラは一旦衣裳部屋へと入り、ストールを持って戻ってきた。そしてサマンサにストールを被せる。

「神殿までは徒歩でもいい? 十五分もかからないから」

「大丈夫です」

 セリムは頷くと立ち上がり扉へと向かって歩き出した。サマンサは手を差し出されなかった事に違和感を抱いたが、風習が違うのだと言い聞かせ、ここに閉じ込めずに外を歩かせてくれるだけいいと思わなければと、立ち上がって彼の後ろに続いた。



 アスラン王国では夫婦でも男性が女性の手を取ったりはしない。夫の少し後ろを女性が歩くのが普通である。サマンサもその風習の違いは理解している。しかしレヴィ王国では夫婦が腕を組む事は普通であり、特に彼女の一番近くにいた兄夫婦は離れている方が珍しいくらいだったので、これなら馬車で移動した方が夫婦らしかったかもしれないと歩きながら考えていた。

「サマンサ、大丈夫?」

 前を歩くセリムが振り返った。サマンサは慌てて笑顔を作る。

「大丈夫です」

「目的の神殿はもうすぐだから」

 セリムが角に立ってその奥を指差した。サマンサもその角まで歩き、彼の指差す方向に視線を向ける。そこには神殿がそびえ立っていた。

「我が国は多神教で神殿其々に神を祀っているのだけど、ここはマナータ神殿。女神マナータに感謝を述べたくて」

「感謝、ですか?」

 サマンサは一歩後ろに下がらなければと思いながらも、話しかけられるので半歩くらいになっていた。これでいいのかわからないけれど、セリムが話しかけてくるのだから仕方がないと割り切った。

「サマンサとこうして一緒に歩ける事に。それとこれから仲良く歩いて行けるように見守って貰おうと思って」

 二人は神殿の前に辿り着いた。円柱がいくつも並び、屋根を支える構造である。サマンサは母国では見た事のない作りに圧倒されていた。レヴィは無宗教だが排他的ではない。色々な宗教の存在を認め、大聖堂や教会なども存在する。ただ、国が特定の宗教を支持しない為、宗教的な建物はどうしても大きく出来ない。アスラン王国は古来より伝わる神話を元にした多神教国家であり、この神殿をはじめ色々な宗教的建物を国が維持している。

 神殿の中に入ると、そこには広々とした空間が広がっていた。サマンサは壁画の素晴らしさに目を奪われた。色鮮やかな壁画は神話の一部を表しているのか、大勢の人物が描かれている。そして神殿の行き当たりには女神マナータと思われる像が置かれていた。セリムはその前で足を止める。

「この女神は何を司っているのですか?」

「運命を司っている。私達は生まれた時に女神によって運命が定められており、それに逆らえば天罰として苦しむと言われている。私達の結婚がマナータに認められたものであれば一生幸せに暮らせる。勿論、何もしない事も天罰の対象になってしまうから、嫌われないように日々努力をする事も誓いに来た」

 セリムは優しい表情でそう語ると、女神像に向かって祈りを捧げ始めた。サマンサはどうしようか迷ったものの、瞳を閉じてこの結婚が穏やかなものであるように祈った。



 マナータ神殿を後にして、セリムはサマンサを王都ラービタタルにある市場へと案内した。そこには所狭く屋台が並んでいて人通りも多く、彼女は彼からはぐれないように必死だったが、途中で限界を感じた。

「セリム殿下、一つお願いがあるのですけれども」

 セリムは足を止めてサマンサを振り返った。彼は不思議そうな表情をしている。

「手を繋いで頂けないでしょうか? 私は街中を歩くのに慣れていませんので、人の波に流されそうなのです」

 セリムは困ったような表情をした。この市場を歩いている人達を見たからこそ、サマンサも自分がおかしな事を言っている自覚はある。この市場で歩いているのは男性同士か親子であり、夫婦と思われる男女の組み合わせで歩いている人達がまずいないのだ。

「初めて会った時は強引に手を引っ張られたではありませんか」

「あの時はサマンサを連れて帰りたい気持ちが先走ってしまって、失礼な事をしたと本当に反省している。それにあれはケィティで、ここはアスランだから」

 サマンサはつまらなさそうな表情をセリムに向けた。彼女は王宮暮らしだった為、元々歩く事に慣れていない。正直三十分以上歩いていて疲れていたが、歩く事を了承したのは自分であり、それを責める気はない。だがこのままでは本当に彼を見失って迷子になりそうで、それが怖かった。

「わかりました。それならもう少しゆっくり歩いて頂けますか?」

「それは気が付かなくて申し訳ない。私にとっては慣れた道でもサマンサは初めてなのだから、もっとゆっくり見て回りたいよね」

 的外れな事を言われたと思ったが、サマンサは聞き流す事にした。彼女の周りには気遣いの出来る男性が多く、それをさも当然と思っていたのだが、その考えをまず捨てなければいけないのだろうと思った。セリムは器用そうにも見えないし、期待をしてはいけないと彼女は感じていた。

 それでもセリムはサマンサに合わせてゆっくりと歩いてくれたので、彼女もやっと市場に目を向ける事が出来た。彼女は自国の王都の市場を見た事がないので比較は出来ないが、活気のある露天を見ればこの国は豊かなのだろうと思った。歩いているとたまに彼に声を掛ける人々がいて、その度に彼は嬉しそうに彼女を紹介していた。彼女は望んでいた挨拶とは違うと感じながらも、妻だと紹介される度に少しだけ結婚をしたのだと実感した。

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