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この結婚は運命か否か  作者: 樫本 紗樹
おまけ (Web拍手SS再録)

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王太子オルハン 前編

 アスラン王国第一王子オルハンは子供の頃から病弱であった。それでも賢く、無理をしなければ国王は務まるであろうと彼は立太子された。

 第二王子は三歳で亡くなり、第三王子も十五歳で亡くなっている。

 彼の同母弟である第四王子セリムは成長していたが、武術に秀でていた為、軍人にと推す者が多かった。第五王子エイメンも問題なく成長していたが、こちらは側室の王子であり国王が首を縦に振らなかった。



 オルハンに結婚の話が持ち上がった。従妹であるゼフラである。しかしゼフラは昔からセリムの事が好きなのを彼は知っていた。

 オルハンは別段この従妹に興味はなかったし、ゼフラから結婚の話を断ってくれるだろうと思っていた。しかし彼女はそれを受け入れたのだ。


「大丈夫よ、オルハン。私がオルハンの妻になると知ったら、セリムはやっと自分の気持ちに気付いて私を奪いに来てくれるわ」

 オルハンはゼフラの思考のおかしさに笑いが込み上げるのを必死に隠した。セリムはゼフラの事を女性として見ていない。セリムは素直で嘘を吐けない。自分の気持ちを隠す事など出来るはずがないのだ。それなのに何故好きな男性の性格がわからないのか、彼には不思議だった。

 ゼフラを妻とする事にオルハンは抵抗があった。だから彼は先に釘を刺す事にした。

「もしセリムが行動を起こさず、ゼフラと私が夫婦になったとしても、私はゼフラを女性と見ていないから抱かないよ」

「それで結構よ。私もオルハンを男性として見られないから抱いて欲しくなんかないわ」

 オルハンは言質は取り一安心した。女性なら誰でも抱きたいと言う男性がいるのはわかっているが、オルハンはどうもそれがわからない。元々病弱で体力に自信がない彼は、睡眠時間を十分に取る事を一番に考えていたのだ。

 結局、セリムはこの結婚に対して何も言わず、軍人となり国境付近の戦場へと出立してしまった。オルハンとゼフラの結婚は彼の伯父のである内務大臣の力もあって、半ば強引に進められた。

 オルハンは結婚前に宣言していたようにゼフラを抱かなかった。彼女もそれを特に責めたりしなかった。



「オルハン殿下、ゼフラ様のあの態度は宜しいのでしょうか?」

 オルハンの身の回りの世話をしている使用人アイシャが不安そうに尋ねた。

「ゼフラが私が亡くなればいいと思っていると言う話?」

 ゼフラはどうしてもセリムと結婚したいようで、オルハンが亡くなればセリムに嫁げると思っているらしいという話は彼の耳にも届いていた。だが彼はここまで思い込みが激しいと、いっそ清々しくて文句を言う気になれなかった。

 しかしアイシャは申し訳なさそうな表情をオルハンに向けた。

「失礼致しました。私はオルハン殿下の事をとても素敵な方だと尊敬しています。使用人にもとても優しいですし、何故ゼフラ様がオルハン殿下の良さを理解しないのかわからなくて」

「ありがとう。ゼフラは昔からあの性格だから私は気にしていない」

「オルハン殿下はこのままで宜しいのですか? 側室を娶られてはいかがでしょうか」

 アイシャはオルハンの事を本気で心配している様子で見つめた。彼は柔らかく微笑む。

「側室を娶る気はないよ。無責任に子供を作りたくはない」

「無責任など。オルハン殿下は優秀な方ですし、是非その血を繋ぐべきです」

「子供を一生守れる自信があればいいのだけれど、多分私の命は長くはない。子供が成人するまでは持たないだろう」

 オルハンは無理をしなければ何とかなると言われていたが、最近徐々に体が重くなってきた事を彼自身ひしひしと感じていた。主治医にも体調管理には気を付けるようにと注意を受けたばかりである。

「そうですか。それではせめてオルハン殿下の負担が減るように懸命にお世話をさせて下さい」

「あぁ、宜しく頼む」

 アイシャは色々な事に気が付く。彼女が身の回りの世話をしてくれるから公務に集中が出来ると、オルハンは心の中で感謝をしていた。



 それから一年。オルハンの体調は急変した。主治医の見立てではもって後一年だろうという事だった。

 オルハンは弟であるセリムが王太子になれるように公務のかたわらで下準備をし始めた。側近であるハサンにも、自分が亡くなった後はセリムを支えるように言い含めてある。

 オルハンはふと、ゼフラが自分の急変を喜んでいるだろうかと気になった。ゼフラには何の気持ちもないけれど、彼女の望み通りになってしまうのは悔しい。せめてセリムにいい人が見つかり、結婚するまでは何とか命を延ばしたいと彼は願った。



「オルハン殿下。体調はいかがですか?」

 アイシャが不安そうにオルハンに尋ねる。彼は安心させようと微笑んだ。

「大丈夫。今日は熱も下がったし、王宮へ行けそうだ」

「無理は宜しくありません。昨夜まで高熱が続いていたではありませんか」

「心配してくれてありがとう。しかし、セリムに跡を継がせる土台を作るのは私の最期の仕事だから」

「最期だなんて、そのような事を仰らないで下さい。医者の見立てが間違っていて、あと何十年も生きられるかもしれないではありませんか」

 そう言いながらもアイシャの表情は歪んでいる。オルハンの事を一番傍で見ていた彼女は、彼の身体が持たない事は十分承知しているのだろう。

「長生き出来たなら自分の為になる事だから悪くはない。とにかく今日は王宮へ行くから支度を」

 オルハンの声色は強かった。アイシャは悲しそうな顔をしながらも、彼が王宮へ行く支度を整えた。



 とある夜。アイシャはいつものようにオルハンの寝る支度を整えていた。

 オルハンがゼフラの寝室に行かない事は、この別館の使用人なら誰もが知っている話である。しかしアイシャは支度を整えた後、部屋を出ていかず彼の横に来ると跪いた。

「オルハン殿下。本当にその血を残されないおつもりなのでしょうか」

「私が残さなくても弟がいる。アスラン王国は続くから心配しなくていいよ」

「私はアスラン王家を心配しているわけではありません。オルハン殿下を心配しているのです」

 アイシャの瞳は不安に揺れている。

「誰もが自分の子孫を残したいと思っているわけではない。私は要らないと思っている」

「それではせめて誰か愛しいと思う方を傍に置かれてはいかがでしょうか? ゼフラ様なら私が説得してみます。このまま御一人のままだなんて寂しいではありませんか」

「寂しいかどうかは私が決める事。君が口を出していい事ではない」

 オルハンは冷たくそう言った。アイシャは彼に長らく仕えている。誰かを傍に置きたいと思っていない事は承知しているはずなのである。

「失礼致しました」

 アイシャの肩が小刻みに震えているのを見て、冷たく言い過ぎてしまったかもしれないとオルハンは反省をした。

「怒ってはいない。今日はもう下がっていい」

「はい、失礼致します」



 その後アイシャはオルハンにより懸命に仕え、彼女の存在が彼の中で徐々に大きくなっていった。



「オルハン殿下。薬湯をお持ち致しました」

 そう言ってアイシャはオルハンの机にグラスを置く。

「気持ちは嬉しいけれど、君の給金は自分の為に使うものだ。この薬湯は高いだろう?」

「私は一日でも長くオルハン殿下に仕えたいので、これは自分の為なのです」

 真っ直ぐな瞳でアイシャにそう言われオルハンは困った。ゼフラは彼が一日も早くこの世を去る事を願っているのに、彼女は長生きして欲しいと願う。

「そうは言っても私が亡くなった後はどうするつもりなのか。お金は貯めておいた方がいい」

「オルハン殿下がいらっしゃらない生活は想像出来ませんので構いません」

 オルハンはアイシャの言葉に戦慄した。まるで自分がこの世を去った後自らの命も絶つと言われているように感じたのだ。

「働き口を探すから君はここを出て幸せを探した方がいい」

 オルハンの言葉にアイシャは悲愴な表情を浮かべた。

「嫌です。オルハン殿下、お願いです。どうぞ私を解雇しないで下さい。余計な事はもうしませんから」

「ここにいるのは君にとって辛いだけだろう。今のうちに去った方がいい」

「オルハン殿下に会えない方が辛いです。差し出がましい事はもう致しませんから、どうかここに置いて下さい」

 アイシャは瞳に涙を浮かべている。オルハンは優しく彼女に微笑んだ。

「君はまだ若い。広い世界を見れば気持ちも変わる。君は幸せになるべきだ」

「そのような事はありません。オルハン殿下のいない世界に幸せなどありません」

 アイシャの涙はとうとう溢れ出した。オルハンはそれを袖で拭う。彼女の想いを嬉しく思うが、彼には彼女の気持ちに応える時間がほとんど残されていない。

「私と君では身分が違う。それはわかっているだろう?」

「承知しております。ですが想う気持ちは罪になりません。どうか最後まで一緒にいられるよう御慈悲を……」

 アイシャはその場で崩れ、顔を両手で覆っている。必死で泣くのを止めようとしているのだろう。

 あえて自分の気持ちに気付いていない振りをしてきたが、これ以上は難しいかもしれないとオルハンは腹を括る事にした。

「アイシャには幸せになって貰いたい」

「私はオルハン殿下の側にいる事が幸せなのです。寵愛を賜りたいなど身分不相応な事は申しませんので、どうか今のまま傍に置いて下さい」

「私は君を妾にはしたくない。私の理性が勝っている間に去った方がいい」

 使用人の女性に手を出す事は良くある話である。だがそれは決して女性を幸せにしない。側室に迎えたとしてもゼフラがいる以上、辛くなるのは目に見えている。

「それなら是非、私を妾にして下さい。オルハン殿下の血を繋がせて下さい」

「いや、もし君が身籠ったとしても私はあとどれだけ生きられるかわからない。私ではその子を守れない」

「守って頂かなくても結構です。私がオルハンという男性の子供が欲しいだけなのですから」

 アイシャは先程まで泣いていたのが嘘のような強い眼差しでオルハンを見ている。彼は困ったように視線を窓に向けた。外はまだ明るい。午後三時を過ぎた頃だろう。

「長い間この部屋にいると何か言われる。そろそろ戻った方がいい」

 オルハンの言葉にアイシャは明らかに落胆した表情を浮かべた。彼は彼女に柔らかく微笑む。

「夜までまだ少し時間がある。落ち着いて考え、それでも気持ちが変わらなければ今宵ここに来るといい」

「ありがとうございます。それでは一旦失礼致します」

 アイシャは今までオルハンが見た事のない満面の笑みを浮かべて一礼すると部屋を出ていった。

 オルハンは椅子の背もたれに身体を預けながら小さくため息を吐いた。ハサンに依頼する事が増えた為、彼の嫌そうな顔が安易に想像出来たからである。

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