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初めての夜

 宴が終わり、サマンサは湯浴みをした。入浴が好きな彼女はアスラン王国でも毎日入浴する習慣があると知ってほっとしたが、入浴後に浴室の隣にある塗油室で全身をマッサージされながら香油を揉みこまれた。彼女は何の香りかわからず、マッサージをしてくれた使用人に尋ねるとジャスミンとの事だった。彼女はアスラン語を習得してきたが、母国語にない言葉はやや曖昧だった。今度花も見てしっかり覚えようと思いながら寝衣へと着替えた。

「それでは自室までご案内致します」

 相変わらず無表情のミライが淡々とそう告げた。

「夫婦の寝室ではないの?」

「夫婦の寝室はこの別館にはございません。自室にてセリム殿下を御待ち下さい」

 用件を言うとミライは歩き出した。サマンサは遅れないようにその後ろを歩いて行く。ポーラもその後ろを黙々とついていった。

「それではおやすみなさいませ」

 サマンサが部屋に入るのを確認すると、ミライは一礼をして扉を閉めた。少しポーラと話をしたいと思ったのだが、閉められた扉を開けるのも躊躇われ、彼女は小さくため息を吐くとソファーに腰掛けた。慣れないジャスミンの香りだが、何故か不快ではない。不思議な香りだと思っていると扉をノックする音がした。

「セリム殿下がおみえです」

 聞き慣れない声にサマンサが返事をすると扉が開き、セリムが室内へと入ると扉は静かに閉まった。彼女はどう対応するのが正しいのかわからないまま、とりあえずソファーから立ち上がろうとすると、彼は優しく微笑んでそのままでいいという手振りをした。

 サマンサが再び腰掛けると、セリムも向かいのソファーに腰掛けた。

「二年前は言葉もわからないのに急に腕を掴むという失礼な事をして申し訳なかった」

 セリムは頭を下げた。まさか謝罪の言葉が出てくるとは思わずサマンサは慌てた。

「頭を上げて下さい。あの時の事はもう気にしていませんから」

 確かにサマンサは二年前、急に手首を掴まれて怖いと思った。しかしその件に関しては翌日謝罪を受けているので彼女は水に流していた。

「あの時はケィティ語を暗記しただけだったから、自分の言葉で謝罪をしたかった。本来ならサマンサの母国語で謝るべきなのだろうけれど、習得していなくて申し訳ない」

「それもお気になさらないで下さい。嫁ぐ国の言葉を覚える事は当然ですから」

「ありがとう。サマンサは本当に優しい女性だね。私もサマンサに相応しくなれるよう精進するつもりだ」

「そのような事……祖父からセリム殿下は立派な方だと伺っています」

「王太子として振る舞うのと、一人の男性として振る舞うのは違うと思う。二年振りに会ってとても綺麗になっていて驚いたよ」

 宴の時、妙に顔を見つめてくると思っていたのだが、あれは驚いていたのだろうかとサマンサは思いながら、どう対応していいのかわからなかった。彼女は王女なので褒められる事には慣れているが、本気もお世辞も全て笑顔で受け流していた。しかし結婚相手に軽く流すわけにもいかず、正しい対応が思いつかなかったのだ。

 サマンサが悩んでいるとセリムは微笑んだ。

「船旅は順調だったと聞いたけれど、船酔いは大丈夫だった?」

「最初の数日は辛かったのですが、徐々に慣れました」

 海が大きく荒れる事のない船旅だった。しかし初めて船で長旅をするサマンサには、揺れていないも同然だとジョージに説明を受けても揺れているとしか思えず、船酔いをしてしまった。総司令官であるジョージは定期的に演習として軍艦に乗っているので船酔いはしていなかったが、彼女はライラと数日間苦しんだ。そして何故か初めての船旅なのに平気なポーラが、二人の世話をしたのである。

「こんなに遠い所まで来てくれて本当にありがとう。サマンサがここで幸せに暮らせるように何でも対応するから、遠慮はしなくていいよ。この部屋は気に入って貰えた?」

「はい。まるで母国のようで驚きました」

「レヴィ王国の商人達と色々相談をしたけれど、私はケィティまでしか行った事がないから、これが正しいのかわからなくて不安で」

「お気遣い頂き本当にありがとうございます」

 サマンサはアスラン王国に骨を埋める覚悟で嫁いできたので部屋もアスラン風で良かったのだが、純粋にセリムの心遣いが嬉しくて微笑んだ。

「船旅は軍艦だったと聞いた。きっと寝心地もよくなかっただろう。今夜はゆっくり休むといいよ」

 サマンサはセリムの言葉の意味を、どう受け止めていいのかわからず彼を見つめた。結婚式はなくとも初夜なのは変わらない。それとも夫婦の寝室がないのだから初夜もないのかもしれない。彼女はアスラン王国の風習についても学んできたが、初夜については確認していなかった。しかし彼女の部屋にあるベッドはクィーンサイズで天蓋付である。王太子妃用だとしても一人で寝るには大きすぎる気がした。

「私の国では夫婦の寝室があったのですが、こちらにはないそうですね」

 サマンサは思い切って聞く事にした。わからない事は最初に聞いておかなければ、一生聞く機会を逃して困るかもしれない。もし間違った質問だったとしても、まだ嫁いだばかりだから仕方がないと流してくれるだろうと彼女は判断した。

「寝室はないね。各個人の部屋に寝台はあるからそれで問題ないだろう?」

「そうですね」

 サマンサはセリムの説明ではこの国に初夜がないという事でいいのか判断出来なかったが、はっきりと言葉にするのは躊躇われた。女性がそのような事を口にしていいのかも判断出来なかったのだ。

「だけどこのベッドと我が国の寝台では作りが違う。このソファーもそうだけど、レヴィ王国の物は柔らかい。調度品の雰囲気も違うし、海を隔てる事でこれほど違うとは思わなかった」

「違うと言われましても、私はこの部屋以外を見ていないのでわかりません」

 サマンサは困った表情を浮かべた。確かに浴室も雰囲気は違ったし、宴の雰囲気も違った。しかし個人の部屋としてはこの部屋しか見ておらず、アスラン風がそもそもどういうものなのかが、彼女はわかっていなかった。

「興味があると言うのなら私の部屋へ案内するけれど」

「えぇ、是非お願いします」

 サマンサは微笑んだ。彼女はセリムとの距離感を測りかねていたので、この機会を逃したくなかった。彼は頷くと立ち上がる。

「あの扉で繋がっているから、いつでも入ってきていいよ」

 セリムはそう言いながら扉へと向かって行く。サマンサも立ち上がり彼の後に続いた。その扉は昼間、一体どこに繋がっているのだろうと思った扉だった。

 セリムが扉を開けると、そこはサマンサの部屋と同じ広さの部屋だった。だが雰囲気は確かに違う。彼女は何故彼がベッドと寝台を言い分けるのか不思議だったのだが、この部屋にあるベッドのマットレスはとても薄い。同じベッドとは思えないからアスラン王国に昔からある物を寝台、レヴィから輸入した物をレヴィ語そのままでベッドと呼んでいたのかと納得した。

「寝ていて身体が痛くならないのですか?」

「昔からこういうものだから慣れている。だけどベッドを取り寄せてよかったと思うよ。サマンサは多分こちらでは寝られないだろう?」

 サマンサは返事に困った。彼女はあの薄くて堅そうなマットレスの上では寝たくないと思った。しかしそう答えると、永遠に夫婦生活をしないと宣言するような事にならないだろうかと考えた所で、はたと気付いた。

「それではセリム殿下もこちらのベッドで一緒に寝ますか?」

 サマンサは言葉にした後、失言だったと後悔した。彼女はただ柔らかいベッドの方がいいという意味だけで言ったのだが、これでは結局初夜に誘っているようなものだ。しかし彼女がどうするべきか悩むより前に、セリムが慌てて首を横に振った。

「いやいやいや、大丈夫。私は自分の寝台で熟睡出来るし、むしろこちらでないと熟睡出来ないと思うから」

 サマンサは熟睡出来ないという意味を、どう捉えていいのかわからなかった。しかし戸惑っている彼女の様子を、視線が定まっていないセリムが気付くはずもない。

「だけど、私がサマンサに相応しくなったら、その、いつか、一緒に寝てもいいだろうか」

「私達は夫婦なのですから、いつでも構いませんけれど」

「いやいやいやいや、いつでもはよくない。サマンサを傷付けたくはない。私はサマンサと心を通わせたい。それまではそういう事は一切したくない」

 セリムはサマンサの瞳をじっと見つめた。彼女は心の中を見透かされそうで視線を外したかったが、それをしてしまえば、自分がまだ彼の事を男性として意識していないと答えてしまうようで出来なかった。その様子を悟ったのか彼はふっと笑って視線を外す。

「サマンサを困らせたいわけではない。だけどこれからサマンサに色々と言ってしまうと思うから、迷惑な時はそう言って欲しい。まだお互いよく知りもしないのにと思っていると思う、いや、私自身もそう思う。それでも言葉でどう表現していいのかわからない程、サマンサに惹かれている。本当はもっとしっかりした自分を見て欲しいと思っていたのに、もう既に失敗している気もするけど、そこは長い目で見て欲しいと言うか……」

 セリムは一気にそう言うと視線を伏せた。どうやら振る舞おうと思っていた態度が崩れてしまったようだ。そんな彼の態度が妙に可愛く思えてサマンサは思わず笑みを零す。

「セリム殿下の誠実な想いはわかりました。それではおやすみなさいませ」

「え? あ、あぁ、おやすみ」

 サマンサは優雅に一礼すると自分の部屋へと戻り、困惑している様子のセリムに微笑んでからゆっくりと扉を閉めた。そしてそのままベッドへと潜り込んだ。

 サマンサは運命とはどういう事なのかずっと悩んできたけれど、セリムもその意味もわからずそう言っているだけだと知って安心した。焦らずゆっくり向き合えばわかるかもしれない、それまでは別々で寝ても問題ないだろう、そう思ってゆっくりと瞳を閉じた。

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