手紙
「おはようございます。セリム殿下に助けられた時はときめかれましたか?」
ポーラは瞳を輝かせながらサマンサに問いかけた。サマンサは起き上がる気分にならずベッドに寝転がっていたが、目は覚めていたのでポーラに冷たい視線を送る。
「ときめいていたら昨夜は一緒に寝たと思うのだけれど」
サマンサは身体を起こして両腕を上に伸ばした。ポーラはつまらなさそうな表情を浮かべながら持ってきた着替えをベッドの上に置いた時、ふとテーブルの上にあるグラスに気付いた。
「お酒を飲まれたのですか?」
「それはセリムさんが持ってきたの。そしてそれを置いて自室へ戻っていったわ」
サマンサはベッドから下りた。ポーラはサマンサから寝衣を脱がせて着替えさせる。
「御一人で飲まれたという事ですか」
「ソファーに腰掛けながら一人で一気に飲んで、すぐにベッドへ入ったわ」
「それは、何と言うか。サマンサ様への気遣いが間違っているような気がするのは私だけでしょうか」
ポーラの声色は非難めいている。サマンサも正直昨夜のセリムの態度は納得出来ていなかった。やっと運命かもしれないと思えたのに、あっさりと自室に引き下がられては勘違いだったのかと悩んでしまう。彼が強引な態度は取らない事はわかっていても、どうしても腑に落ちない。遠慮をしないと言っていたはずなのに、昨夜の態度を気遣いだけでは片付けられなかった。
「でも誘拐事件があったにもかかわらず一応朝まで眠れたわよ」
「ですが表情がすっきりされていません」
「それは顔を洗っていないからではない?」
そんなはずはない事はサマンサが一番よくわかっている。それでも冷たい水で顔を洗えば少しはすっきりするかもしれないとも思えた。ポーラがピンを留めて着替えが完了した後、彼女は顔を洗いながらライラに相談しようと思った。
昼前にジョージとライラがやってきた。二人は今日の昼にアスランを立つ。サマンサはアイシャに依頼していた文鎮をライラに渡した。ライラは一言断った後包みを開ける。
「百合の紋章が入っていて綺麗。大切にするわね」
「えぇ。よかったら宣伝して」
「ふふ。いいわよ。ナタリーにもそう伝えるわ」
ライラは笑顔を浮かべながら文鎮を包みに戻した。
『それと相談があるのだけど聞いてくれる?』
サマンサはケィティ語でライラに問いかけた。ライラは笑顔で頷くと横に腰掛けているジョージに視線を向けた。
「ジョージ、女同士の話をするから部屋を出て欲しいのだけれど」
「俺はレヴィ語以外なら何を使ってもわからない」
「そういう問題ではないの。ポーラ、ジョージを客間か何処かに案内して貰えるかしら」
ポーラは頷くとこちらですとジョージに話しかけた。彼は明らかに不満顔だったが、サマンサも部屋を出て欲しいという雰囲気を纏っていたので、渋々ポーラに案内されるがまま部屋を出ていった。サマンサは微笑んでレヴィ語で話す。
「ありがとう、お姉様。お兄様は言葉がわからなくても勘がいいから居て欲しくなかったの」
「安心して。絶対にジョージには話さないと約束するわ」
ライラが優しく微笑むのでサマンサもつられて微笑む。彼女にとってライラは義姉だが、実姉のような存在である。
「お姉様はお兄様の事を運命の相手だと思う?」
「え? サマンサの話ではなくて私の話なの?」
「自分の気持ちがわからなくて。だからお姉様はお兄様の事をどう思っているのか知りたいの」
「そうね、多分運命の人だと思う。愛おしい気持ちはジョージ以外に抱いた事がないもの。苛立つ事もあるけれど、ジョージのいない生活は考えられない」
ライラははにかんだ。結婚して二年半経った今も、まるで新婚のような雰囲気のある姉をサマンサは可愛いと思った。
「お兄様はずるい人だから、丸め込まれないようにしないと苛立ちが募るだけよ」
「たまに反撃するから大丈夫。サマンサはセリム殿下がいない生活は考えられる?」
サマンサはセリムのいない生活を想像した。彼がいなければここにいる必要はない。エイメンに捕まる位ならレヴィに帰りたい。レヴィ王宮での生活も悪くないけれど、出来ればここで彼と一緒に過ごしたいと思えた。
「セリムさんのいない生活はアスランではありえない、という意味では考えられないわ」
「あら。『セリムさん』と呼ぶ事にしたの?」
ライラの指摘にサマンサはしまったという表情を浮かべた。レヴィ語で話していたにも関わらず癖でセリムさんと口走ってしまった。ケィティ語と言うよりは愛称になっていたのだ。彼女は気まずそうに、これは彼の希望でそう呼んでいると説明をした。それに対しライラは微笑む。
「私がジョージを呼び捨てにしているのは彼の希望なの。だからセリム殿下の希望ならいいと思う。セリム殿下はサマンサに対して優しい?」
「優しくしてくれているわ。優しすぎてよくわからない」
「どういう事?」
首を傾げるライラにサマンサはこの三週間の事を話した。勿論誘拐やゼフラの事など、心配の種になりそうなことは避け、あくまでも自分とセリムの関係だけを伝えた。
「セリム殿下はレヴィ王宮にいない感じの人ね」
「そうなの。今まで接してきた男性とは違うからよくわからない」
「サマンサも遠慮せずに、したい事をすればいいと思うわ。抱きついても口付けても何も問題はないのだから」
ライラの言葉にサマンサは困惑の表情を浮かべる。そんな彼女にライラは優しく微笑む。
「急ぐ必要はないわ。ゆっくり歩めば自分の気持ちもわかると思う。私も最初は素敵な人という印象だけで、その後色々な一面を見て、気付いたら好きになっていたから」
「どこで気付いたの?」
「そ、それは内緒。サマンサでも教えられないわ」
ライラは少し頬を紅潮させて首を横に振った。
「お兄様は口が上手いのよね。丸め込まれたの?」
「違うわよ。ジョージが格好良いから好きになったの」
サマンサは冷めた目でライラを見た。軍服を着ていなければ、その辺の平民に混じっても背が高い人くらいにしかならないであろう兄を、格好良いと表現する女性はライラしか出会った事がない。彼女も兄の事は信頼しているが、顔が格好良いとは思えない。軍人としての立ち居振る舞いは格好良いのかもしれないが、生憎彼女は兄の軍人姿をよく知らない。そしてセリムの事を格好良いかと聞かれると、それも答えられない。
「好きな相手なら格好良く見えるのかしら? 私はセリムさんの事をそうは思えないのだけれど」
「それは人それぞれよ。私の両親はとても仲が良かったけれど、母が父の事を格好良いと言っているのは一度も聞いた事がないわ」
サマンサは視線を伏せた。結局自分の中にある気持ちが何なのか、ライラと話していてもわからない。どうしたらこの気持ちがわかるのか、彼女にはわからなかった。
「悩むくらいなら口付けをしたら? 私はジョージとしかした事がないからわからないのだけど、エミリーが言うにはそれで相性がわかるらしいわよ」
「何故エミリーとそのような話をするの?」
「エミリーはずっとカイルとの結婚を悩んでいたのに、ある日吹っ切れたの。口付けが今までの誰よりもよかったと言うのが理由」
エミリーはライラの侍女である。そしてサマンサがカイルの事を諦めた後、彼に勧めた女性でもある。実際二人は半年前に結婚をしているものの諸事情があって公にはしていないので、ポーラは彼の結婚相手が誰かは知らない。
サマンサは手を口元に当てて考えた。一度頬に口付けされた後は、そのような素振りをセリムは見せていない。口付けをするなら自分からするか、して欲しいと言わなければならないだろうが、どちらも難しい。お酒が入れば出来るかもしれないが、それでは記憶に残らないので判断のしようがない。
「口付けはどういう雰囲気でするの?」
「それは私に聞かれてもわからないわよ」
「お兄様はしてくれないの?」
「ジョージはすぐにしてくる……って私の話はいいでしょう?」
サマンサは兄の意外な一面を知って表情を歪めた。甘い雰囲気が一切似合わないジョージでは想像も出来ないが、目の前のライラは何かを思い出したのか恥ずかしそうにしている。彼女はこれ以上ライラに話を聞くのはやめておこうと思った。
「雰囲気がわからないけど検討してみる。ありがとう、お姉様」
「ううん。そうだ。エミリーから手紙を預かっているの。危うく忘れる所だったわ」
ライラは足元に置いていた荷物を開けると一通の手紙を取り出した。サマンサはそれを受け取る。
「出立前に貰った手紙の返事らしいわ。何が書いてあるのか知らないけど返事は要らないそうよ」
サマンサは出立前日にエミリーに手紙を渡していた。ポーラを教育してくれたエミリーへの礼として、彼女はカイルにエミリーを幸せにしなさいと命令をしていたのだ。その件と幸せになって欲しい旨を伝えた。彼女はその手紙を穏やかな気持ちで書く事が出来、自分の中に彼への未練が一切ない事を確認したのだ。
「わかったわ。後で読んでみる」
サマンサは笑顔を浮かべた。この手紙の中にもしかしたら解決策が書いてあるかもしれない、そんな気がした。




