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この結婚は運命か否か  作者: 樫本 紗樹
本編

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40/58

それぞれの思いと思惑

「えぇ。頬に口付けをされていましたよ。しかもセリム殿下の首に腕も回していました」

 翌朝、ポーラはあっけらかんと答え、サマンサは顔を両手で覆った。彼女は自分の記憶がない事が信じられなかった。

「何という事をしたのかしら。これでは王太子妃失格だわ」

「何処が失格なのですか? 夫の頬に口付けをするのが咎められるのならば跡継ぎは産めませんよ」

 ポーラは呆れた表情をしながらサマンサの身体に布を巻きつけていく。

「でも私は酔った人なら誰にでもしてしまうのでしょう? ポーラも迷惑をかけてごめんね」

 サマンサは手を顔から離してポーラに謝った。ポーラはぐっと布を締めてピンで固定するとサマンサを見る。

「それは違います。サマンサ様は抱きつき癖があるだけで、口付けは多分セリム殿下だけですよ」

「そうなの?」

「ただ抱きつき方が凄いのですよ。全然離してくれないので私も困りました」

 サマンサはその事を一切覚えていない。そうなると他の侍女や兄にも抱きついている事になる。サマンサは項垂れた。

「もう絶対にお酒は飲まないわ」

「それがいいと思います。エイメン殿下をカイル様と勘違いして抱きついていたら大問題でしたからね」

「それはないと思うわ」

 サマンサはきっぱりと言い切った。ポーラはサマンサに鏡台の前に腰掛けるように勧め、サマンサはそれに大人しく従う。ポーラは鏡台の引き出しから櫛を取り出した。

「何故はっきり言い切れるのですか。記憶がないのですよね?」

「ハサンの言う通りならエイメン殿下に喧嘩腰だったわけで、殴る事はあっても抱きつかないわよ。そもそもカイルと思い込んでいるなら絶対に抱きつかないわ」

 ポーラはサマンサの腰まである綺麗な金髪に櫛を通しながら首を傾げる。

「カイル様はサマンサ様の初恋の方ですよね?」

「そうよ。でもそれはもう終わっているの。私はカイルの結婚相手を知っているから彼女にも悪いし、本能的にしないと思う」

「つまりセリム殿下を愛しているので本能的に頬に口付けされたという事ですか?」

 サマンサは鏡に映るポーラを睨んだ。しかしポーラはサマンサの髪を梳くのに必死で鏡を見ていない。

「何故そうなるのよ。別に恋愛感情はないわ」

「いい加減認めたらいかがですか」

 ポーラは櫛を引出しに戻して横目でサマンサを見る。サマンサはポーラを睨む。

「認めるも何も違うと言っているでしょう? ときめかないの」

「サマンサ様が誘拐されそうになり、それを颯爽とセリム殿下が助けてくれて、それでときめいたら認められるのですか?」

 ポーラの例え話はサマンサには聞き覚えのある内容だった。しかしそれは兄夫婦の話であり、ポーラが知るはずもない。

「その話の元は?」

「昨年見た演劇です。とても盛り上がったのをお忘れですか?」

 レヴィ王国で有名な劇団が王立劇場で公演をするという事で、サマンサは義姉ナタリーに誘われて一緒に王族席で観劇をした。その時ポーラも侍女として後ろに控えていたので観劇していたのだろう。だが彼女はあまり真剣には見ていなかった。

「隣でナタリーお姉様が感動していたのは覚えているけれど、話の内容までは覚えていないわ」

「よくそれでときめきたいなんて仰せになりますね。実際の所、恋愛感情がどういうものなのか、わからないのではないですか?」

 ポーラはサマンサの髪を編み込みながら鏡に映る主を見る。サマンサは視線を逸らした。

「それは、そうかもしれない」

「とりあえずセリム殿下と同衾されたら宜しいのではないですか」

「どっ……、な、何て事を言うのよ!」

「夫婦なのに別々で寝ている方がどうかと思いますけれど」

 サマンサは視線を彷徨わせる。政略結婚だからそういうものだと思って嫁いできた。しかし彼女は初日のように一緒に寝ますかとは言えないと思った。

「でも無理よ。一緒は困るわ」

「それがもう意識しているという事ではないですか。どうとも思っていない相手なら広いベッドですから離れて寝ればいいだけです。何かされると思い、そしてそれが嫌でないから困るのでしょう?」

 ポーラはサマンサの髪を整え終えて最後に髪飾りを留める。ポーラが鏡を覗くと、そこには動揺を隠しきれていないサマンサが映っていた。

「どうとも思っていない相手でも一緒には寝られないわよ。好きでもない人が隣にいたら落ち着かないわ」

「それですと好きな相手も落ち着かず、好きでなくても落ち着かず、一生一人で寝る事になりますけれど」

「そ、そうね。それでいいのではないかしら」

「よくありません。何の為にアスランまで来たのですか」

 サマンサは一瞬困った顔をした後、思いついたようにポーラを振り返った。

「持参金。それだけで価値があるわよ」

「それは流石にセリム殿下が可哀想です。サマンサ様は覚えていないのでしょうけれど、酔った勢いでセリム殿下に一緒に寝ましょうと言いましたからね」

「本当に言っていたの? セリムさんは嘘を言わないとは思ったけれど」

 サマンサは瞳を閉じて額に手をやった。ポーラは冷めた視線を送る。

「好意がなければあの発言はないと思うのですけれどね。とりあえず化粧をしたいので、その手を下ろして頂いて宜しいですか?」



 その日の午後、エイメンの部屋には使用人とミライがいた。

「兄の側近?」

 エイメンの声色は不満そうである。自分が誰と間違われたのかが気になっていたのだが、兄の側近では別段近くもないと思えたのだろう。

「はい。ですがサマンサ様の雰囲気から察するに、多分近しい人だと思います」

「何故そう思うのか」

「サマンサ様の言葉が崩れました。近くない方でしたら敬語を使うと思います」

「それは酒のせいだろう。兄に対しても崩れていたではないか」

「夕食の時のサマンサ様はここ数日敬語を使われません。呼びかけに殿下も用いられませんし、お二人の距離が縮んでいるようです」

 ミライの言葉にエイメンは表情を歪めた。怒りと悔しさが混じっているその表情は、控えていた使用人の表情を強張らせた。一方ミライは無表情のままエイメンの前に立っている。

「何と呼んでいるのだ」

「『セリムさん』と。どうやら向こうの大陸の言葉を使っているようです」

 エイメンはレヴィ語を少し勉強しているが、その言葉が思い当たらず訝しげな表情をした。彼はケィティ語を知らないのである。それ故に親密な呼びかけのように感じた。

「いつから変わった?」

「こちらに出向かれる前辺りだったかと思います」

 エイメンから怒気が発せられた気がして、無言で控えていた使用人が全身を強張らせる。しかしミライはそれでも無表情のまま、何も感じていないかのようにしていた。

「つまりここへ訪ねてきた事は兄に内緒ではなかったと」

「私はそこまではわかりかねます。流石に夜、お二人で何を話されているかまでは調べられません」

「どうして侍女を辞めたのだ。侍女なら控えていられただろうに」

「サマンサ様は勘が鋭いように見受けられましたので、側にいて見破られるくらいなら距離を置いた方が長くあの別館にいられると判断致しました」

 淡々と話すミライにエイメンは鋭い視線を向ける。

「つまりまだ気付かれてはいないわけだな」

「はい。そのような雰囲気はございません」

 一向にエイメンの視線に怯まないミライに対し、彼は視線を外した。

「わかった。引き続き別館で二人の動向を調べるように」

「差し出がましいかとは思いますけれど、サマンサ様とセリム殿下を引き離すのは難しいのではないでしょうか」

 エイメンは再びミライに鋭い視線を向けた。

「兄は王には相応しくないがサマンサ様は王妃に相応しい。私が王に相応しい事もサマンサ様であればそのうち気付く。それだけの話だ」

「さようでございますか。そこまで思い至らず申し訳ございません」

 ミライは深々と頭を下げる。エイメンは苛立つのを隠そうと努力をした。

「わかればいい。ミライは今まで通りゼフラの手先の振りをしながら別館で情報を集めるように」

「かしこまりました。それでは失礼致します」

 ミライはもう一度頭を下げると、エイメンの部屋を出て行った。エイメンは傍に控えていた使用人に視線を移す。使用人は驚いて僅かに身体を仰け反らせた。

「ミライは何を考えているのかわからない。他にこちらに靡きそうなのを探すように」

「かしこまりました」

 使用人は一礼すると部屋を出ていった。エイメンは苛立ちながら椅子に背を預けた。

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