第五王子と元侍女
エイメンは歳がひとつ上という事以外は、全てにおいて自分の方が勝っていると思っている兄を廃したいと思っていた。アスラン王国では王子が生まれた順で王位継承権の順位が決まり、順に王太子になる。能力の如何も母親の出自も問われない。彼の母親は隣国の軍人の家系であり国内での影響力は弱かった。しかし長らく続いているカエドとの戦争に親族が参加しており、年々力をつけてきている。あと必要なのは肩書に文句のない娘を娶る事である。
セリムが婚約したと聞いた時、相手はオルハンに薬を売っていた商人の孫娘という話だった。しかし調べてみると商人の孫娘という事は間違いないのだが、商人の娘がレヴィ国王の側室なので孫娘はれっきとした王女だと言う。偶然を装い会ってみると、見た目も美しく賢そうな雰囲気の女性だった。彼女は兄には勿体ない、自分の隣こそ相応しい、そう彼は思った。
エイメンは初対面の時にサマンサも王女とはいえ所詮女でしかないと感じた。彼女は彼の顔を暫く見つめていた。彼は自分の顔が女性受けする事を身を自覚している。別大陸の女性にまで受けるとは想定していなかったが、悪い気分にはならなかった。彼は兄が彼女を気に入っていると言う話は聞いていたが、彼女はそうでもないとも報告を受けていた。だから彼女さえ手に入れれば、兄は勝手に自滅して王太子は自分の所に転がってくる、そう思って行動をする事にした。別館へ訪ねた時、セリムは明らかに不満そうだったが、彼女は常に笑顔で接してくれた。セリムに内緒で昼食をと誘えば、侍女一人だけを連れて訪ねてきた。彼女も読書家らしく、しかも育った大陸が違うはずなのに同じ本を何冊か読んでいて、楽しい時間を過ごせたと思えた。
だからこそエイメンは、先日サマンサから届いた手紙の内容に納得がいかなかった。セリムからもう行くなと言われたので、訪ねる事は出来ませんとの謝罪だった。兄に止められたとしても気にしなくてもいいと思うのだが、大国の王女は使用人の目も気になるのかもしれない。そう判断しようとしても、あまりの引きの良さに彼は再び彼女の動向を確認しようとし、その報告の手紙が先程届いた所である。
セリムがより積極的に自分の気持ちを表現し、サマンサもまんざらでもなさそうだと書かれたその報告は、エイメンにとって全く面白くなかった。手紙を持ってきた使用人に当たりたい気分になったが、上に立つ者の態度としては相応しくないと思って耐えた。しかし使用人は主の不満をひしひしと感じ、部屋の隅で固まっていた。
「ミライはどういう行動をしているのか」
低いエイメンの声に使用人は身体を強張らせる。そして恐怖が声に乗らないよう慎重に口を開く。
「引き続きゼフラ様との交流を保ちながら、別館にて仕事をしていると聞いています」
「ゼフラは何故あの日、この屋敷の近くにいたのだ」
「別館へセリム殿下を訪ねる途中だったとの事です」
エイメンは不満そうな表情を隠そうともしなかった。使用人は自分に害が及ばないようにと願いながら必死に息を殺す。重い沈黙が室内に訪れた。
エイメンは奥歯を噛みしめた。自分の思い通りにならない事が腹立たしくて仕方がない。彼は五男であり王位継承権など本来なら縁のない話である。しかし次男は三歳の時に流行病で亡くなり、三男は軍人となり戦死した。長男は元々病弱で長生き出来ないのはわかっている。四男さえ廃することが出来れば、玉座は勝手に手に入る。
先に廃するべきはセリムだと思い、エイメンの母もそれを承知で自分の身内を戦場へ友軍として参加させた。次男のように戦死してくれれば御の字。争っている間に敵味方が入り混じる事は珍しくないから、最悪そのどさくさに紛れればいい。しかしセリムは無駄に素早く勘が良かった。更に護衛のメルトも腕が立ち、周囲の気配を常に監視して隙がない。戦場でセリムをこの世から葬り去ることが出来ないままオルハンが死んでしまった。死ぬのを待っていたはずのオルハンに対し、死ぬべき時は今ではないと苛立っても、死人はもう生き返らない。しかもオルハンは死期を感じていたのか、次はセリムだと言わんばかりのお膳立てがされており、王妃になっていた彼の母が夫にセリムは優秀な軍人だから戦場に残して我が子を王太子にと言ったのも聞き入れては貰えなかった。
エイメンもオルハン相手なら黙っていた。兄弟の中で唯一、彼にだけは勝てないと思っていたし、実際もうこの世にいないので一生勝てない。しかしセリムは違う。剣の腕が立つだけで、議論をするならば負かす自信がある。玉座に相応しいのは自分の方だと思うのに、サマンサの態度はそうとは思えなかった。
王位継承権を放棄する気はあるのかという質問が、エイメンには引っかかっていた。もしサマンサが彼に心を寄せているのだとしたらそのような質問は出てこない。だが放棄はしませんよねと確認の意味とも思える。彼はセリムの結婚について、どういった約束がなされた政略結婚なのかを調べようとしたが、結局わからなかった。国家機密にもあたる内容だからか情報は厳重で、たとえ王子だとしても政治に口出しを許されていない彼に教えてくれる人はいなかった。本当の情報を知っている人間がごく僅かで、それはセリム派のみなのだろう。
エイメンはおもむろにペンを手に取ると手紙を書き始めた。
「手紙の配達を」
「承りました。どちらまででしょうか?」
少し声色が落ち着いたものの表情は険しいまま手紙を書いているエイメンに対し、使用人は相変わらず恐怖による緊張が伝わらないように必死に返事をした。
「一通は兄に。もう一通はタラールへ」
「エイメンは一体何がしたいのだろう」
夕食時、四人で食卓を囲みながらセリムはため息を吐いた。夕食前に弟から届いた手紙には、また夕食を共にしたいと書かれてあった。
「余程サマンサ様が気に入ったのかもしれませんね」
ハサンは何気なく言った。しかしその瞳には早く身体の関係を持てという訴えが潜んでいる。勿論ハサンも先日エイメンの所へサマンサが出かけた事、それはセリムが了承していた事を知っている。セリムはその訴えに気付かなかったふりをして食事を進める。
「エイメン殿下は素の私を知れば興味を失うと思うわ」
サマンサは別館の中では素のまま過ごしていた。レヴィ王宮では一部の人の前でしか素でいられなかったのに、この別館ではたった二週間で誰にでも好かれる王女の演技を捨てた。セリムは徐々に彼女の素の笑顔と作り笑顔の差を理解し始めているので、あえて笑顔を作るとその心の奥を彼にだけ晒しているような気になり、それが妙に恥ずかしくて彼女は笑顔を作る事をやめたのだ。そしてその変化をハサンもメルトも特に何も言わずに受け入れていた。
「そうかな?」
「そうよ。あの人は多分自分の意見を肯定してくれる人が好きだと思うわ。私のように自分の意見を持っている女性は苦手だと思う」
「エイメンは賢いから自分の意見に自信を持っているし、誰もが納得するものなのだろう」
サマンサは冷めた視線をセリムに投げる。ハサンも似たような視線をセリムに向けている。セリムはそのふたつの視線に気まずくなり助けを求めるようにメルトを見るも、彼は黙々と食事をしていて視線を上げる気はなさそうだった。
「自分の意見に自信を持つ事は決して悪くはないわ。だけど、自分が絶対に正しいと思って他の人の意見を聞かないような人は、上に立ってはいけないの。そしてエイメン殿下は人の意見を聞かないと思うわ」
「サマンサ様は何故そう判断されたのですか?」
ハサンが興味深そうな表情を浮かべながらサマンサに視線を移した。
「本の感想は本来読者が百人いれば百通りの解釈になるの。だから意見交換をする時は同じ意見で盛り上がる、違う意見を聞いてそういう解釈もあるのかと感心する、そういうのが楽しいのよ。だけどエイメン殿下は違う。解釈はこれのみ、他の意見は聞かない。しかも私と感性が違うから反応に気を遣うわ」
「我が国は識字率が低いので、読書家であるエイメン殿下と同じ本を読んでいる人がまず少ないのです。ですから意見を述べ合うという環境がなかった弊害でしょう」
ハサンの言葉にサマンサは納得して頷いた。彼女には話し相手がいたが、エイメンにはいなかったと思うと、自分の態度は正しくなかったかもしれないと反省をした。しかし足繁く図書館に通っているのなら、よく会う人もいるだろうと思って彼女は気付いた。
「そう言えば図書館は立派な造りだけれど、人は職員以外にいなかったわ」
「本を集めるのが先々王の趣味で、先王は興味がなかったのでそれを国民に開放したのですが、識字率が低いままでは通う人に限りがあります。現にセリム殿下も進んで通ってはいませんでした」
「ハサン、余計な事を言わなくていい!」
セリムが慌ててハサンを睨む。しかしハサンは気にせずにスープを口に運ぶ。そのやりとりにサマンサは微笑む。
「嫌々読むのは時間の無駄よ。それなら自分のやりたい事に時間を割いた方がとても有意義だと思うわ。読書した者の方が賢いとは限らないもの」
「理解のある女性が妻でセリム殿下は幸せ者ですね」
ハサンは嫌味口調でそう言ったが、それを感じ取らなかったセリムは嬉しそうに微笑んだ。
「失礼致します」
給仕は少し離れた場所でそう言うと食卓に近付き、食べ終わったスープ皿を下げる。そして別の給仕が肉料理を各自の前に並べた。その給仕の中にはミライも混ざっている。ミライが聞き耳を立てながら無表情で給仕をしている間も、メルトを除く三人は楽しそうに会話をしていた。




