遠慮をしない関係
夕食を和やかに終え、入浴後いつものように家政婦長にマッサージをされた後、サマンサは自室へと戻ってきていた。そしてテーブルの上に置かれている手紙に視線を移す。セリムと出かけている時に届けられたその手紙の差出人はエイメンだった。
返事が来なかったので諦めたかと思っていたのだが、もしかしたらセリムの様子がおかしい事をどこかで知ったのかもしれない。二人で食事でもどうですかと、まるで彼に露見した事を気にしていない内容だったのだ。サマンサはこれを今夜見せるか悩んでいた。折角話が纏まった所に水を差したくはない。だが今夜を逃すと誤解を招きそうで、それでまた彼が妙な態度になるのも嫌だった。
サマンサがソファーに腰掛けたまま悩んでいるとセリムが入ってきた。結局手紙はテーブルの上に置いたままで、彼はすぐにその手紙に気付いた。
「それは?」
「これは後でもいいのだけれど」
「いや、先がいい。見てもいい?」
きっとセリムは差出人が誰なのかわかっているのだろうと、サマンサは頷いて手紙を差し出した。彼はそれを無言で受け取るとソファーに腰掛けて黙々と読んだ。
「いつ届いたの?」
「ケィティ料理店へ行っている時よ」
「どうするつもり?」
セリムは無表情だ。サマンサは困ったように微笑む。
「断ろうと思っているの。前回でエイメン殿下がセリムさんの事を王太子として認めていない事はわかったし、つまらないから」
「つまらない?」
サマンサはレヴィ王国でのお茶会でも本の感想を言い合う事はしていて好きなのだが、エイメンとは感性が違うのか納得出来ない解釈をしてくるので、正直苦痛だった。
「作り笑顔をしながら話を合わせるのは楽しくないし、食事もこちらの方が美味しいわ」
「食事は仕方がない。テオに相談してサマンサの口に合うように料理人達に調整して貰ったから」
サマンサは初めて聞いたその話に驚きの表情を浮かべた。そう言われると宴で出された料理とは味が違うような気はするが、あの時はただ座って食べるという風習の違和感しか覚えておらず、あまり味を思い出せない。
「最初はレヴィの料理人を雇おうかとも思ったのだけれど、アスランに馴染んで欲しかったから料理人に無理を言って、融合してよりよい物を追求して貰った。別館の皆は今の方が美味しいと言っている」
「気遣ってもらってありがとう」
「これは当然の事。サマンサには不自由な思いをさせたくはない。もし何か困っている事があったら遠慮なく言って欲しい」
「私が今困っているのはセリムさんの妙な態度だけよ」
サマンサはセリムの瞳を真っ直ぐ見つめた。大抵の人はどういう思いで行動しているのか彼女は汲み取れるのだが、彼の事はどうにも掴めない。今まで周囲にいなかった性格のせいなのだろうと彼女は判断していて、それ故に彼の事をもう少し知りたいと思い始めていた。
「妙かな。俺は普通にしているつもりなのだけど」
「急に会議の話ばかりするのが普通なの?」
「それはエイメンに出来なくて俺に出来る事は何かと考えた時に、これしかないと思ったから。それに今でも前線では仲間が必死に戦っている。だから俺はここでこれ以上無駄な血が流れないように一緒に戦っているつもりというのを知って欲しかったんだ」
サマンサは毎日繰り返される進捗しない話を、つまらないと思ってしまった事を恥じた。セリムは元軍人として王太子として戦争を終わらせる為に毎日会議に臨んでいる。進捗しない現実に憤りを感じているのは彼自身なのだ。
「セリムさんの気持ちを理解していなくてごめんなさい。戦争に関する話は今後しっかりと聞くわ」
「無理をしなくてもいい。女性にそのような話をする俺が悪い」
「いいえ、私が悪いの。戦場で戦っている人達がいるから、私はこうして平和に暮らせるのだもの。私も戦争について考えて、セリムさんの妻として一緒に戦いたい」
「ありがとう。サマンサはレヴィで軍事資料を読んでいたの?」
セリムに期待を含んでいる視線を向けられ、サマンサは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ごめんなさい。そういうのは読んだ事がないの。女性が読む物ではないと誰も見せてくれなかったから」
「レヴィは政治に女性が参加しないというから仕方がないよ」
「でも政治経済は色々と学んでいるわ。だから軍略はわからないけれど、戦争にはお金がとてもかかる事はわかるし、基本的に赤字という事も知っているわ。そういえば兄夫婦にお願いもしたの」
セリムはサマンサの言いたい事がわからず首を傾げた。
「サムルクへ行くと言うから王妃殿下の実家の情報が欲しいと伝えたの。日程を知らないから返事がいつかはわからないけれど」
「どうしてそのような事を?」
「情報を集めるのは鉄則だもの。義姉はサムルク語が話せるし、二人とも機転がきくから多分調べてくれると思うの」
「ジョージ閣下にそのような事をお願いしてもいいのだろうか」
セリムの表情は申し訳なさそうだ。義理の兄に間者のような事をさせるのに抵抗があるのだろう。サマンサはにこやかに微笑んだ。
「兄は私のお願いなら聞いてくれるわ」
「兄弟仲が良いんだね」
「仲が良いのは上の兄の方なのだけれど、人として信頼出来るのは兄ね」
「上の兄とは王太子殿下だろう? 信用出来ないのか?」
「王太子としては完璧よ。人としてはどうかと思うけれど」
「小さい時にいじめられていた?」
サマンサは笑った。
「まさか。上の兄は私の事をとても大切にしてくれたわ。ただあの人は愛し方が歪んでいるの。義姉はそれを受け入れているから丸く収まっているけれど、傍から見れば恐怖よ」
「例えばどういう所が恐怖なの?」
「そんな事に興味があるの?」
サマンサは眉を顰めた。多分会う事がないであろう義兄の恐怖の部分を聞いても、面白くないだろうと思ったのだ。
「サマンサが恐怖と思う事は知っておきたい。俺にも該当するなら直さないといけないから」
「その心配はないわ。兄は義姉の行動を常に人を使って監視している所が恐怖なのだもの。セリムさんは私を監視する?」
一国の王太子の行動とは思えない事実に、セリムは表情を歪めたくなる所を何とか耐えて首を横に振った。
「出来るだけ一緒にいたいとは思うけれど、俺と一緒ではない時までは干渉しないよ」
「良かったわ。私はお互いを尊重し合える関係に憧れているの。だからセリムさんは遠慮をしないでね。エイメン殿下と会って欲しくないのなら、そう言って」
サマンサは笑顔のままセリムをじっと見つめた。彼は困ったような表情を浮かべる。
「サマンサのやりたい事を邪魔したくはない。でも、本音を言えば嫌だ」
「それなら断るわ。明日からはまた機織りをしたいから」
サマンサは本を読んでいた数日間は機織りをしていなかったので、やり方を思い出すのに少し時間がかかるかもしれない。だが、既に家政婦長と糸の色の相談は終わっている。
「家政婦長も紫色は敷布には向かないというから、別の色にしようと思うのだけれどいいかしら」
「サマンサが織った物なら何色でもいいよ」
「濃淡の違う青で柄を織ろうと思うの。家政婦長は桃色を推してきたのだけれど、桃色は流石におかしいから」
家政婦長はサマンサが次に織る敷布は彼女のベッド用だと思っていたので、部屋の雰囲気に合う色を提案したのだが、彼女はそれを汲み取らなかった。別館の使用人達は二人が一緒に寝ていない事はわかっている。それはセリムの部屋の掃除担当者が寝台を見れば寝たかが一目瞭然だからであるが、彼女はそのような事に気付いていなかった。
「もし断り難かったら理由は俺が嫌だと言ったからにするといい」
「ありがとう。それが効果的だと思うからそうする」
「効果的?」
「個人的には納得いかないのだけれど、エイメン殿下はどこかセリムさんを見下している雰囲気があるわ。私がセリムさんを選んだとわかればきっと面白くない。それで何か行動をしてくれるといいのだけれど」
「サマンサはエイメンより俺を選んでくれるの?」
「当然だわ。セリムさんは何を考えているのか時折わからないけれど、会議の件のように聞けば教えてくれるとわかったから、気兼ねなく暮らせそうだもの」
サマンサは微笑んだ。常に周囲に気を遣い、言葉を選びながら生きてきた彼女にとって、気兼ねなく暮らせるというのは、いい意味で言っている。しかしセリムにはそうは聞こえず視線を伏せた。
「どうしたの?」
サマンサは不思議そうな顔をしてセリムの顔を覗きこんだ。彼は彼女の手を取る。
「俺はサマンサが好きだ」
「どうしたの、急に」
「言葉で伝えた事がなかったから」
セリムの視線はまっすぐサマンサをとらえている。彼女は今まで感じた事のない視線に戸惑ったものの目を逸らす事は出来ず、二人は暫く見つめ合っていた。彼女が必死に頭の中でどう対応するのが正しいのか考えていると、彼はふっと笑って視線を外した。
「サマンサの望み通り、これからは遠慮しないようにするよ。おやすみ」
セリムは手を離すと立ち上がり、何事もなかったかのように自室へと戻っていった。サマンサは今まで見た事のない彼の態度をどう受け止めていいのかわからなかった。先程までの態度が彼女に遠慮をしたもので、今しがたの態度が本当の彼なのだとしたら、明日からどういう態度になるのか上手く想像が出来ず、暫くソファーに腰掛けたまま動けなかった。




