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この結婚は運命か否か  作者: 樫本 紗樹
本編

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24/58

六日目の夜

 サマンサは刺繍を終えた枕カバーを横に置き、ソファーに腰掛けていた。そして今夜の夕食時のセリムの態度が納得出来ずに考えていた。

 運命の二人なのだからエイメンが何を言おうと無駄だと余裕で構えている、それならまだわかる。しかしその余裕はサマンサには感じられなかった。むしろエイメンとの会話を邪魔しないように黙々と食べているように見受けられ、その態度は正直彼女にとって面白くなかった。

 サマンサはふと左手薬指に視線を落とす。指輪はそこにない。夕食前は着けたままにしようと思っていたのだが、セリムの態度を見て入浴前に箱に戻したのだ。彼女は彼の態度がどうにも理解出来ず、必死に思考を巡らせた。

 いつものように使用人の声がした後セリムが室内に入ってきた。彼は無言のままサマンサの向かいのソファーに腰掛ける。彼女は彼の出方を見ようとあえて口を開かなかった。彼も暫く無言で、部屋に静寂が訪れる。彼女はただじっと彼を見つめていた。

「どうかした?」

「それはこちらの台詞です。私に何も言う事はないのでしょうか」

 無言の視線に耐えかねたセリムが先に言葉を発したものの、サマンサの声色は冷えていて、彼の瞳には困惑が滲んだ。

「いや、私からは特に何もない」

「本当に何もないのですか? 今夜の夕食で何も感じなかったのですか?」

 サマンサはエイメンに対し当たり障りのない態度で通した。しかし勘違いする人も出る、やや思わせぶりな態度である。彼女はわざとそういう態度で接したのだ。エイメンが自分に興味を持っているのならば、相手の思惑通りのような関係を築き、自分の欲しい情報を引き出せばいい。また、セリムの反応を見たかった。

「エイメンと楽しそうに話していたね」

「楽しそうに見えたのでしたら、セリム殿下は洞察力に磨きをかけられた方が宜しいと思います」

 サマンサの言葉にセリムは不思議そうに彼女を見つめた。

「どういう意味だろうか」

「そのままの意味です。私にとって今夜の夕食は別段楽しくありませんでした」

 エイメンがレヴィ語を使ったのは一度だけ。多分習得しきれていないのだろう、それ以降はずっとアスラン語だった。だからセリムも何を話していたかはわかるのだ。エイメンが自分の知識をひけらかしているのを、サマンサは内心つまらないと思いながら聞き役に徹していた。彼女の知識は幅広く、エイメンの話す本で得たような内容は特に面白くないのだ。

「だけど笑顔で話を聞いていたよね」

「あのような作り笑顔に騙される男性が多い事が、私は昔から疑問でなりません」

 サマンサはレヴィ王宮で暮らす為に、笑顔を絶やさない事を心がけていた。様々な陰謀が渦巻く王宮で身を守るには、何も知らないけれど愛嬌があって憎めない王女、それが一番だと思っていたのだ。実際彼女の本来の姿を知っている人間は少ない。そして彼女はその姿をセリムには見せていた。アスラン王国で自分の身を守るにはそうした方がいいとの判断だったが、彼の素を見るにはまず自分も素を晒さなければいけないとも思っての行動だった。

「作り笑顔?」

「えぇ。私は別に常に笑っているわけではありません。楽しい時は素で笑いますけれども、楽しくない時はその場の雰囲気を壊さないように笑顔を作ります。今夜の夕食は後者です」

「工場を見学していた時の楽しそうな雰囲気は?」

「それは素です」

 セリムは納得いっていないような表情をした。サマンサの素と作った表情の違いがわからないのだろう。しかし彼女もそれがすぐにわかるとは思っていない。簡単に見破られるような笑顔を作っているつもりはなかった。

「セリム殿下は最初、私に相応しくなれるよう精進すると仰せでした。また妻を守るのは夫の役目でもあると。今夜の態度はその答えだと思って宜しいのでしょうか」

 サマンサの声は決して相手を非難しているようではなく、淡々としていた。表情は別段作っておらず、ただ疑問を呈しているだけだった。

 しかしセリムには責められているようにしか感じなかった。自分の不甲斐なさを指摘されているようで居心地が悪く、サマンサの視線を受け止めきれず俯いた。

「自分が王の器ではない事はわかっている。精進した所でサマンサに相応しくなれるとも限らない」

「それでは私がエイメン殿下に奪われても構わないのですか? 嫌だと泣き叫んでも助けて下さらないのですか?」

「嫌ならば何があっても助けるよ。だけどそのような態度ではなかっただろう?」

 サマンサはもどかしくなった。作り笑顔だと説明をしたのに理解してくれない。セリムがどうしたいのかも彼女には見えてこない。王宮で何十人と独身貴族達に期待を持たせつつ、決して一線を越えさせなかった彼女であるが、目の前の男は希望を持とうともしない。

「私が嫌な顔をすれば場が持たないではありませんか。エイメン殿下を煽っても仕方がないと思っての行動です」

 会話の主導権を握ろうとしてもセリムが会話に乗ってこない以上、サマンサはエイメンの話を聞くほかなかったのである。

「私の顔を立てての事?」

 セリムはやっとサマンサの行動の意味を理解した。彼女は不機嫌そうな表情を彼に向ける。

「兄弟仲がいかほどか存じ上げませんけれど、こちらはあくまで招待した側なのですから、エイメン殿下に楽しい時間を提供する事は最低限必要なのではありませんか。それともアスランでは招いた客と無言で食事をする事がしきたりなのでしょうか」

「いや、サマンサの言う通りだ。この別館で誰かを招待する事もなかったから、当然の事を失念していた。すまない」

 セリムは頭を下げた。サマンサも別に三人で楽しい会話が出来るとは思っていなかった。それでもエイメンの話に興味がある振りくらいしてくれてもいいのにと、たまに彼に視線をやったものの、完全に無視されていたのだ。

「今夜の会話で私はエイメン殿下とは合わないとわかりましたので、今後極力会わないように取り計らって頂けると助かります」

「いや、だけどエイメンは勘違いしたのではないだろうか」

「私はエイメン殿下に期待をさせるような言葉は申しておりません。興味深く話を聞くふりをしただけです」

 サマンサはにっこりと微笑んだ。エイメンの自尊心を満足させる為に話を聞いただけであり、そこに感情の動きはない。勘違いするように仕向けただろうと言われると否定はしないが、勘違いした方が悪いと彼女は思っている。

「視察の時と態度は明らかに違ったはずです。わかって欲しいとは申しませんが、出来れば誤解はして欲しくありません」

「わかった」

 本当にわかったのだろうかと、サマンサは不安そうな表情でセリムを見た。その意図を理解して彼は頼りなさそうに微笑む。

「大丈夫、サマンサにとってエイメンが運命の人ではない事はわかった。そして私では不釣り合いな事もわかっている」

 サマンサは眉を顰めた。彼女はセリムが自分と不釣り合いだとは思っていない。何故そこに話が繋がったのかわからなかった。彼は力なく微笑む。

「私には権力も知識もなければ財力もない。この部屋にある物もテオが孫娘への生前贈与だと融通をしてくれた。私はサマンサがここにいてくれればそれだけで嬉しいけれど、サマンサと会話をする度にこれではいけないとも思う。国の事は何とでもなる。滅びてしまうならそれまでだ。サマンサが責任を感じる事はない」

「つまり口煩いので出て行けという事でしょうか」

 サマンサの冷えた物言いにセリムは慌てた。

「そのような事は思っていない。サマンサほど素敵な女性は幸せになるべきだ」

「セリム殿下が私を幸せにする気がないのでしたら、出て行けと言っているのと同意だと思いますけれど」

 セリムは黙り込んでしまった。サマンサは言い過ぎたかもしれないが、自分の発言は間違っていないと思った。彼女は彼と夫婦として歩もうと思っているのに、彼は違うのかと思うと腹立たしくて仕方がなかったのだ。いくら自分に自信がないとしても、まだ一週間も経っていない。諦めるには早すぎるとしか思えなかった。

「本当に出て行って欲しいとは思っていない。サマンサの幸せを邪魔したくないだけだ」

 暫くの沈黙の後のセリムの言葉は、サマンサを苛立たせただけだった。自分の事を思っての発言なのだろうとは思うが、方向性が間違っている。そしてそう言った所で受け入れて貰えないと彼女は感じ、彼女は言葉を発する事が出来なかった。

「気分を害して悪い。おやすみ」

 セリムはそう言って立ち上がると自分の部屋へと歩き出した。サマンサは横に置いていた枕カバーを掴み彼に向けて投げつけると、見事彼の背中に当たった。彼は何をされたのかわからず足を止めて振り返ったが、彼女は彼に背を向けていた。彼は寂しそうな表情を浮かべながら視線を足元へと動かし、枕カバーを視界に捉えた。彼は屈むとそれを拾い上げる。

「これは?」

「不要なら捨てて下さい」

 サマンサはセリムの方を見ないまま冷たく告げた。喜んでくれたらいいと思っていた感情も今は消え、ただ自分のした事が馬鹿みたいに思え、枕カバーを視界から消したくて投げつけただけだった。

「サマンサが織ったの?」

 サマンサは問いに答えるように小さく頷いた。

「そう。ありがとう。おやすみ」

 サマンサはセリムが自室へと入るまで動かなかった。そして扉の閉まる音がして数秒後、深いため息を吐いて項垂れた。いつもの自分ならもっとうまく立ち回れるはずなのにと後悔しても遅い。本当なら枕カバーは手渡しするつもりだった。そこで彼の手を握り締めて、触れ合う事に慣れて貰おうと思っていたのだ。

 サマンサは力なく立ち上がるとベッドへ身体を投げた。明日どのように接すればいいのかわからない。彼女は現実から逃げるように目を閉じたものの、なかなか寝付けなかった。

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