兄夫婦の来訪
翌日、サマンサは家政婦長に引き続き見てもらいながら、必要な長さの布を織り終えた。
「簡単に織れるのね」
「今回は単色の平織ですから。複数の色糸を使って模様を描こうとすれば、簡単ではなくなりますよ」
サマンサは先日見学した機織りの様子を思い出した。そこでは白糸でただ黙々と織る人達と、複数の色糸を操って模様を織り出している人達がいた。彼女は見ているだけでは、どのように糸を通して模様が出来上がっているのかよくわからなかった。
「私は職人になりたいわけではないから複雑な模様を織るつもりはないけれど、簡単な模様なら挑戦してみたいわ」
「それでしたらいくつか模様をご提案致します。縞模様だけでも色々ありますから」
「そうね。でもまず慣れる為に次は白糸単色で敷布を織りたいのだけれどいいかしら」
「はい。セリム殿下もきっと喜ばれますよ」
家政婦長にサマンサは微笑みで応えた。セリム用だとは言っていないのだが、どうやら彼女が織る物は彼の物になるらしい。女性が家庭を守るのが普通のアスラン王国ではそれが当然なのかもしれない。彼女はせめて寝心地が悪くならないよう丁寧に織ろうと思った。
サマンサは使用人がセリムの部屋から持ってきた枕に合わせて、家政婦長から教えて貰いながらカバーへと加工する為縫い始めた。彼女は刺繍なら出来るのだが裁縫はした事がない。それでも手先は器用なので問題なく縫い進めた。
黙々と縫い続け、カバーが完成した頃合いを見計らったように扉をノックする音がした。
「サマンサ様、ジョージ様とライラ様がいらっしゃったのですが、お部屋にご案内しても宜しかったでしょうか?」
ポーラの言葉にサマンサは意外な顔をしながらも部屋で待って貰ってと指示をし、家政婦長にお礼を言うと枕カバーを持って自室へと向かった。
サマンサがノックをして部屋に入ると、ソファーに腰掛けているジョージとその横に腰掛けながらも室内を観察しているライラがいた。相変わらず自由な義姉に思わずサマンサは微笑みを零しながら、二人の向かいのソファーに腰掛ける。
「サマンサ、何故この部屋はレヴィ風なの?」
「セリム殿下の好意なの」
「アスラン王国の国庫は火の車のはずなのに、随分と自由になる金があるとは思わなかったのか?」
ジョージの指摘にサマンサははっとした。彼女は物の価値がわからない王女ではない。部屋に揃えられている物が、レヴィ王宮にあっても不思議ではないほど一流品なのはわかっていた。だがそれを揃える費用までは考えていなかった。
「私の持参金はこれに消えてしまったのかしら? それなら申し訳ない事をしたわ」
「まさか。もし本当にそうだとしたらサマンサの夫は能無しだ。じいさんがそんな男を選ぶと思うか?」
ジョージは少し馬鹿にしたような眼差しをサマンサに向けている。彼女は兄の事を尊敬しているが、頭の回転の速いこの兄が、たまに苛立って仕方がなかった。
「お兄様は真実を知っているのに教えてくれないのでしょう?」
「そうだな。それはセリム殿下に聞けばいい。隠すようなら身の振り方を考えろ」
サマンサは不満そうな表情をジョージに向けた。言い方がまるで隠し事をするようなら離縁しろと言っているようで面白くなかったのだ。何故自分の周りにはこの結婚を祝福していないのか、それなら何故この政略結婚の話を進めたのか、彼女には理解が出来なかった。
「それで一体何用なの? 帰国するにはまだ早いでしょう?」
ジョージとライラの視察の予定は三週間とサマンサは聞いていた。ジョージは面倒くさそうな表情を彼女に向ける。
「戦争中に落とされた橋の修復現場を確認して、そこから先には進めず一旦ここまで戻ってきた。それでサムルクに行く前にライラがサマンサに会いたいと言うから寄っただけだ」
「嫁いで少し経ったから何か話したい事があればと思ったの。ジョージに聞かれたくなかったらアスラン語でもいいわよ」
ライラは優しくサマンサに微笑んだ。サマンサは義姉の心遣いを嬉しく思いながらも、セリムの態度についてどのように接したらいいかの相談は出来ないと思った。兄夫婦は出会って間もなくお互い惹かれあっていたのを彼女は察していたので、同じ政略結婚でも状況が違うのである。
サマンサが口を開けようとした時、扉をノックしてポーラが室内へと入ってきた。彼女は手際よく紅茶を淹れると三人の前に差し出した。
「こちらの水に合わせて檸檬の輪切りを入れているの。同じ茶葉なのに違う味だけど、これはこれで美味しいから飲んでみて」
サマンサに勧められてライラは紅茶を一口飲む。
「少し爽やかな感じになるのね。檸檬はレヴィにはないわよね?」
「ケィティになら輸入品として市場にあるけど、王都までは日持ちしないと思う」
「これも日持ちしないの? アスランからの果物は何故そうも日持ちしないのかしら」
「いや、二週間持つからいい方だと思う。船便の速度が上がれば王都までは運べるだろうけど、現状は厳しいだろう。乾燥させるか砂糖漬けに加工すれば運搬可能だろうが」
ライラは怪訝そうな表情をジョージに向けた。
「前から思っていたけど、ジョージは何故色々と詳しいの?」
「軍人にとって重要課題のひとつが食の確保だ。日持ちさせる為にどう加工するかは切っても切れない問題でもある」
ライラは冷めた目でジョージを見つめた。サマンサも義姉と同じ視線を兄に送る。確かに軍を派遣するにあたって武器と食料がなければ始まらない。しかし総司令官が食の加工についてまで考えるのはおかしいし、そもそも檸檬は戦場に持っていく物でもない。
「檸檬の加工話はいいわ。それよりサムルクへ行くなら少し調べて来て欲しい事があるのだけれど」
「何?」
「アスラン王国の現王妃がサムルクの軍人の娘という事なのだけれど、その軍人がサムルクにとってどれほど中枢にいる人か知りたいの」
「政治に口を挟む事にしたのか?」
ジョージが鋭い視線をサマンサに向けた。彼女はそれを冷めた表情で受け止める。
「自分の命を守りたいだけよ。レヴィがアスランを侵略すると言われているらしいのだけど、視察の時に何か聞いた?」
「あぁ、その噂は聞いた。俺が自由に歩いているから多少は仕方がないだろう」
「何の為に商人の恰好をしているのよ。軍人という事を隠していないの?」
「視察中は軍服を着ていたんだよ。軍服を着ていないと俺がどうみられるのか、サマンサは知ってるだろう?」
ジョージの言葉にサマンサは頷いた。彼はサマンサと似ておらず見た目が王族らしくない。むしろ平民のようであるが、軍服を着れば雰囲気が軍人に変わるのだ。
「今日以降は商人の恰好しかしない。じいさんに借りてきた商売道具もあるし」
そう言ってジョージは足元に置いていた鞄に視線をやった。
「薬を持ってきたの?」
「いや、薬は知識がないと難しいから宝飾品を持ってきた。説明はライラが滞りなく出来る必要があるからな」
テオは薬を販売している。ジョージは母国語しか話せないので商売をするならライラが交渉しなければならない。そしてライラは宝飾品に詳しいので、商人のように話す事が出来るだろう。
「サムルクで宝飾品は売れるの?」
「行ってみないとわからない。サムルクは戦争をしていないから金を持ってる人間はいるだろうし、上手くいけばその軍人の所まで行けるかもしれない」
自信ありげに微笑を浮かべるジョージにサマンサも微笑んだ。彼は平凡な顔ながら人を惹きつける魅力を持っている。二十三歳という若さで総司令官をしているだけの資質があるのだ。たまに苛立ちはしても他の誰よりも信用出来る、彼女の自慢の兄である。
「それなら期待しているわ」
『ねぇ、本当に大丈夫? 政略結婚で不安な事はない?』
ライラはケィティ語でサマンサに話しかけた。アスラン語では控えているポーラが理解出来てしまうと思って、ケィティ語を選んだのだろう。サマンサはライラに微笑む。
『彼はとても優しく接してくれているわ。ただ夫婦というものがまだ見えてきていないけれど』
『それは私も見えてくるまで少し時間がかかったから、ゆっくりでいいと思うわ』
『えぇ、本当に気遣ってくれてありがとう』
ライラは出立前のサマンサの不安そうな表情も感じていた。今回も何か感じたのだろう。彼女は義姉を安心させようと、持ってきた枕カバーを手にした。
「私、機織りをしたの。それをセリム殿下の為に枕カバーにしたのよ」
「機織り? その布を織ったの?」
「えぇ。織機がこの館にあったから教えて貰ったの。初めてにしては上出来でしょう?」
サマンサはライラに枕カバーを差し出した。ライラはそれを受け取って見つめている。ジョージも横目でそれを見た。
「この国は王太子妃も織機を使うのか?」
「やる事がなくて暇なの。女性同士の付き合いもないらしくて、何をしていいのかわからないのよ」
「サマンサ、刺繍を入れてみたら?」
ライラはそう言いながらサマンサに枕カバーを差し出した。彼女はそれを笑顔で受け取る。
「そうね。真っ白で味気ない気もするし、何か刺繍してみる」
二人のやり取りを聞きながらジョージは懐中時計を取り出し時間を確認した。
「ライラ、満足した? そろそろ出ないと今日の宿に辿り着けない」
「わかったわ。ごめんね、サマンサ。ゆっくり出来なくて」
「気にしないで。何か情報を掴めなくても帰る前にはまた来てね」
「勿論よ。それでは、またね」
ジョージは立ち上がりライラに手を差し出した。彼女はそこに手を添え立ち上がると、彼の腕に手を回す。そしてライラはサマンサに手を振ると二人は部屋を出て行った。
サマンサは兄夫婦に憧れている部分があった。二人は政略結婚をして二年半経った今でも、可能な限り一緒に出歩いている。お互いが常識にとらわれず、けれども平和の為という同じ目標に向かって生きている様は羨ましかった。彼女もいつかセリムとそのような関係か築けるだろうかと、暫し扉を見つめながら考えていた。




