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この結婚は運命か否か  作者: 樫本 紗樹
本編

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20/58

五日目の夜

 サマンサはテーブルに地図を広げていた。それはテオから貰った二大陸の大きな地図である。大陸としてはアスラン王国がある大陸の方が大きいが、誰も支配していない砂漠が広がっていたり、民族の集落しかない地域があったりで、レヴィ王国より大きな国はない。アスラン王国でさえレヴィの一部であるケィティ自治区より経済規模は小さいだろうとテオから聞いていた。それでは何故この結婚話を進めたのかと彼女は祖父に尋ねてみたものの、他に相手はいなかったとしか答えて貰えなかったのである。

 ジョージとライラはアスラン王国を視察した後、他の国も見て回る予定と聞いている。ライラはアスラン語だけでなく、カエド語、サムルク語も日常会話なら問題なく話せる程勉強をしていた。サマンサは数日間しか使わないであろう言葉を覚える義姉が不思議で仕方がなかったが、アスラン王国の現状を知った今は自分も学んでおけばよかったと後悔をしていた。勿論、別館から自由に出られない彼女が他国語を覚えた所で使えるかもわからなければ、そもそも他国の民族がアスランにいるかさえわからない。

 サマンサが地図を見ながら考え事をしていると、セリムが部屋に入ってきた。彼は地図を見ながらソファーに腰掛ける。

「こちらでは見ない地図だけど、レヴィの物?」

「いいえ、祖父から貰ったものです。レヴィの地図はこちらの大陸まで載せていませんから」

「こちらも向こうの大陸まで載せている地図はまずないな。海図なら別にあるだろうけど」

 そう言いながらセリムはアスラン王国以外の国に視線を落としていた。

「セリム殿下が軍人だった頃はこの辺りにいらっしゃったのですか?」

 サマンサはカエド王国との国境辺りを指差した。

「あぁ、一時はここまで侵入されたけど、時間をかけてここまで戻した」

 セリムも指で動かす。しかし地図が結構な縮尺の為セリムが動かしたのはほんの少しで、サマンサにはいまいちその状況が大変だったのかがわからなかった。

「この地図だとわからないね。取ってくるから待ってて」

 そう言ってセリムは立ち上がると自分の部屋へ向かい、暫くして戻ってきた。そして持ってきた地図をサマンサが広げていた地図の上に広げると、先程と同じように指を動かした。今度は縮尺の度合いが違い、彼女にもそれが結構危なかったという事がわかった。彼がここまで侵入されたと指した場所は王都から左程離れていなかったのである。もう少し侵入されていれば戦争に負けていただろう。

「際どい戦いだったのですね」

「あぁ。この頃に母上が亡くなり父上が政務に集中出来ず、兄上が議会をまとめて何とか持ち返したんだ。そう言えば時期が重なる」

 セリムが何か思い当ったような表情を浮かべた。サマンサもそれを見て一つの可能性に気付く。

「王妃が将軍の娘に代わったのでサムルクはカエドへの支援を弱めた。それでも銀を回収したいので完全には支援を辞めなかった。その結果一進一退が続き、お互いが疲弊する悪循環が生まれ、しかもその間にアスランでは国王陛下を支えていたオルハン王太子殿下が亡くなった」

 サマンサは将軍の娘というのがどれ程の権力を持つのかがわからなかった。将軍が国の中枢にいる人間ならば、王女ほどではなくともある程度影響は及ぼせそうである。また息子であるエイメンが王位に就けばサムルク有利の条約を締結などの動きも出そうで、それを阻止する為にわざわざセリムを戦場から呼び戻して立太子をしたのかもしれない。だがタラールが甥を王太子にしたいという考えだけで引っ張ってきた可能性も捨てられない。彼女は地図を見つめたまま一気に思考を巡らせていた。

 一方セリムはまだ何も言っていないのにサマンサが全てを言ってしまったので、困ったような表情を浮かべた。

「サマンサを守ろうなんておこがましかった。サマンサは自分で理解して、どう振る舞えば自分が安全なのか決められそうだ」

「私は考える事しか出来ません。襲われればそれまでです」

 サマンサを狙おうなどという愚かな者はレヴィ国内にはいなかった。だから彼女は護身術を覚えてもいないし、外出時の護衛も儀礼的で護衛役の者はいつも気楽にしていた。それ故、自分の命が狙われているかもしれないと言われても襲われる状況がどうにも想像が出来ず、万が一襲われた時は対応出来ないだろうと思っていた。

「この館は厳重警備をしている。必要ならサマンサ専用の護衛も用意するけれど」

「護衛を増やすのは得策ではないと思います。私は何も知らない、それでいいと思います。いざとなった時はメルトを貸して頂ければ――」

「サマンサを守るのは俺だ。メルトを頼らず俺を頼って欲しい」

「しかしそれはハサンをはじめ皆が納得しないのではありませんか?」

「家を守るのは妻の役目、その妻を守るのは夫の役目だ」

 セリムは珍しく力のこもった目でサマンサを見つめている。彼女は彼が守ってくれても、それを更にメルトが守りそうだと思ったが、ここはそれを言うべきではないと思って微笑んだ。

「そうですね。万が一の時は宜しくお願いします」

 セリムは嬉しそうに頷くとアスラン王国の地図を畳んで、再度サマンサが広げていた地図に視線を向けた。

「サマンサが暮らしていた王宮はこの辺り?」

 セリムはケィティのすぐ北辺りを指していた。サマンサは訂正しようと指を伸ばす。

「いいえ、もう少し北です」

 そう言いながらサマンサが指そうとした時に、セリムの指にあたってしまった。彼はその事に驚いて慌てて手を引っ込めた。彼女は急に手を引っ込めた理由がわからず視線を地図から彼へと移すと、彼は少し頬を紅潮させていた。

「あ、いや。何だか落ち着かないし、今日は色々話して疲れたから今夜はそろそろ寝る。おやすみ」

 そう早口に言ってセリムは立ち上がると逃げるように自室へと消えていった。サマンサはおやすみなさいと言うのも忘れて暫く動けないでいた。ただ指が少し触れただけで落ち着かないとはどういう事だろうか。以前市場で手を繋いでくれなかったのはアスランの風習は建前で、そもそも出来なかったという事だろうか。

 サマンサは舞踏会で数えきれないくらいの貴族男性と踊っている。手を触れる事くらい何ともないと思っていたのだが、セリムがあまりにも過剰反応をしたので、彼女も少し恥ずかしく思えてきた。彼女は広げていた地図を丁寧に折りたたんで引出しにしまうと、ベッドへと潜り込んだ。

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