どうしてわたし、ガウン一枚でベッドに!
「お目覚めですか? 地獄からの生還、おめでとうございます」
多少の皮肉のスパイスを利かせ、僕は低頭した。
「れ、れい……くん? 迎えに来てくれた……の」
惚けたような目つきで何を言うやら。
「心臓マッサージと人工呼吸で助けたのを、『迎え』と称するのなら、確かに」
「え、えっ……」
驚いて切れ長の目を見開く。ホント、外見は完全に大人なのに。
「じ、人口呼吸!? 本当なの、それっ」
悲鳴のような声がして、彼女が身を固くした。
動揺してるなあ。ファーストキスとは違うだろうに。
「そんなことで動じる前に、僕になにか言うことは?」
膝に抱えたまま、冷ややかに言うと、「うっ」と声を洩らし、涙目で睨んだ。
「放っておいて! わ、わたしはねっ――」
「癌でしょう? それも、もう末期だ」
途中で遮ってずばり指摘すると、彼女は大きく息を吸い込んだ。
「ど、どうしてっ」
「とりあえず、店に戻りましょう。貴女の悩みもわからないでもないけど、僕ならなんとかできるかもしれない」
少しだけ、柔らかく話しかけてあげた。相当に気落ちしているのは確かなようなので。誰だって、死にかけている時に冷たい言われ方したくないだろう。
ただし、最後の一言でまた厳しい口調になってしまったけど。
「もちろん、助けるとしても有償ですけどね!」
しっかりと宣言しておいた。
店に戻る前に、先生はまた意識を失ってしまった。
ただし、ホームズ氏はまだ店内にいて、僕達が入ってくると、口元だけで微笑した。不破先生の上半身がほぼ裸なことについては幸いにして触れなくて、大いにほっとした。
これも年の功だろうな。
「……お見事! そして、ご苦労様」
「いや、本当ですよ」
彼女をお姫様抱っこしたまま、僕は顔をしかめて頷く。
「まだこれから、先生の悩みについても聞いてあげる必要がありそうです。さもないと、遅かれ早かれ、また自殺しようとするでしょうし」
「やはり、重病だったかい」
したり顔で頷く彼に、僕は断固として申し渡した。
「というわけで、今宵はもう閉店です。あしからず」
「……やむを得ないね」
予期していたのか、ホームズ氏は肩をすくめて席を立った。
「なにか僕に手伝えることがあれば、呼んでくれたまえ」
最後にそう言い残し、店を出て行った。
その後、僕は店の明かりを落として戸締まりし、店と繋がっている住居の二階へと移った……先生を抱いて。
とりあえず、海水でびしょ濡れのままなので、やむなく残った服も脱がせて全身を拭いてあげる。まだ五月の初旬だ……風邪でも引くといけない。
「う~ん」
タオルで拭きまくっていると、先生が寝言を口走った。
「影踏みさん……どうして最後になって……あなたが」
「だから、そのあだ名はどういういわれですか?」
訊いたところで答えはないが、僕も思わず口走る。
しかし、実はあだ名のいわれは、見当がつく。おそらく昼間に外を歩く時、僕が意識して日陰を選んでいるからだろう。
だから、影踏みさんと。
……よくぞまあ、そんなところまで観察していた同級生がいたものだ。油断も隙も無い。
「それにしても、無防備だなあ」
まだ目を覚まさない彼女に呆れたが、もちろん僕は襲ったりせずに、最後は義母であるノーラさんのガウンを着せてベッドに寝かせてあげた。
「……なにか温かい物でも作るか」
ため息をつき、今度は階下のキッチンへ急ぐ。
明らかに働き過ぎの気がするし、救急車でも呼べばいいことかもしれないが……それだと、先生の悩みは解決しないだろうしな。
彼女の悲鳴は、僕が温め終わったスープと紅茶をお盆に載せている時に聞こえた。お盆を持って急いで二階へ上がると、不破先生はベッドの上で掛け布団を首筋まで掻き上げ、思いっきり動揺した様子だった。
「こ、ここはっ。どうしてわたし、ガウン一枚でベッドに!」
「寝ぼけてます?」
僕は遠慮なしに突っ込んだ。
もちろん、今までの苦労のせいだ。だいぶ余計な残業したし。
「この店に来た挙げ句、自殺するために海へ走ったでしょう? お陰で僕は、暗い夜の海へ一緒に飛び込み、したくもない遠泳をしたんですがっ。しかも、先生を抱えて」
「……影踏みさんが?」
「そのあだ名付けた奴、教えてください。本人の前で『君の名前は覚えたぞっ』と言いたいんで」
百パーセント本気の言葉だったが、先生は無視した。
盛大に瞳が泳いで、そっぽを向く。
「段々、思い出してきたわ……でも、全ては無駄なの。たとえ、今になってようやくあなたが助けてくれたとしても」
……まるで、最初から僕の助けを期待していたような言葉だと思った。