シオン(使徒)の帰宅
僕は約束通り、陽が落ちてから、長尾さん達の護衛を務めるつもりだったけど。
その前に、大事な用事があった。
翌日、あえて学校を休み、店を早めに開けて備えていたのだが……十分に余裕があったはずなのに、なんと「彼女」は、午後に入ってすぐ帰宅した。
澄んだ鈴の音がしてドアが開き、ボストンバッグ一つを持つ少女が、パタパタと駆け込んでくる。
そのままそこらの席へバッグを置くと、迎えに出た僕に抱きついてきた。
「ただいま! レイさんっ」
「……お帰り、シオン」
「あいたかった……やっとあえたです!」
「そんな大げさな……せいぜい十日ほど留守しただけだろ?」
思わぬ強さでぎゅっと抱きつかれ、僕は戸惑う。
この子は篠原詩音といい、よんどころない事情で僕の使徒となってしまった女の子だ。ちなみに、修学旅行を終えたばかりとはいえ、まだ小学六年生で、十二歳である。
これでも助けた二年前はまだ十歳だったのだから、随分と大きくなった方だと思う。
なにしろ、以前と違ってちゃんと胸の膨らみを感じる。
「最短、思春期のどこかで成長が止まるんだったかな……僕は今現在でも成長継続中だから、ちょっと見当がつかないけど」
「心の中で考えたこと、そのまま口にしたらわからないですよ~」
くすっとシオンが笑った。
「わたしは、レイさんと並んでも恥ずかしくないくらいには成長続けたいです――て」
シオンの笑顔が消えた。
ようやく身を離してくれたところで、小さな鼻をスンスンさせ、盛大に顔をしかめてしまう。幼いとはいえ、彼女もまたヴァンパイアの能力は持っている。
「長尾さんはわかるとして……違う女の人の香りがします」
見る見る心配そうな顔で僕を見る。
……見た目はともかく、シオンは僕の使徒だ……人間だったけど、吸血したことで、そうなってしまった。
そして、使徒はマスター(この場合は僕)に恋慕するなんて話を、ノーラさんに聞いたことがある。実は僕は、その話をあまり信じていなかったけど、今はちょっと心配になってきた。
僕はわざとシオンを抱き上げ、カウンター席まで運んであげた。
「ココア入れるから、その間に事情を話すよ」
――言葉通り、かいつまんで話した。
しかし、全然納得してもらえなかった。
シオンは驚くほど青ざめていて、僕を見る目が潤んでいた。もちろん、感動したとか、そんな平和な理由じゃない。
「わたし……捨てられるんですか?」
「いや、そんな馬鹿な!」
僕は心底驚いてシオンを見返した。
「君は僕の家族も同然だろ?」
「……でも、その先生は恋人候補なんでしょうっ」
う……なんか言葉がキツいな。
まさかと思ったが、やたらと距離感が近かったのは、本気でその……マスターたる僕に入れ込んでいたせいなのだろうか。
未だに半信半疑だけれど。
「恋人候補というのは少し語弊があるよ。僕的な心情を素直に白状すれば、先生が僕のモンスターぶりを詳しく知れば、諦めるだろうと思ったんだ」
正直に話したのに、本格的にシオンが泣き出し、しまいにはカウンターの椅子から飛び降りて、店を走り出てしまった。
「レイさんのばかっ」
なんて全力で叫ばれて。
途中でどうやって開店を嗅ぎつけたのか、ホームズ氏が来店したのだが、シオンと衝突しそうになって慌てて飛び退いていた。
……止めてくれればいいのに。
「これは……参ったな」
僕が難しい顔で唸ると、なぜかホームズ氏が大きく頷いた。
「今のうちに慰める方法を考えた方がいいね。シオン君は本気だよ」
相変わらず、尋常でなく話が早い。
「なにに?」
真面目に訊いたのに、ため息をつかれた。
「レイ君が自覚しない限り、教えてあげても無駄だろうと思った通りだったね」
ステッキをカウンターの隅へ立てかけ、ホームズ氏は早速、自分のお気に入りである、(僕から見て)左隅の席へ座った。
「自覚というと」
珍しく恐る恐る尋ねると、ホームズ氏は粋な仕草で肩をすくめ、言い放った。
「僕は理解したくもないが、君に恋愛感情を持っているということだよ……僕に指摘されるようじゃ、かなり鈍いと言わざるを得ないが」
「……可能性は考えたことありますけど、まさかと思ったんですよ!」
僕はココアのカップを、ホームズ氏の前に置いた。
「奢りです。その代わり、店番頼みますっ」
「いや、僕はコーヒーが」
「後です、後っ」
不満そうなホームズ氏を放置して、自分も店を出た。
ああ、昼間に出歩くのは嫌なのにっ。




