表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/27

心外だな? 僕が人殺し経験ないと、本当に思うのかな? 


 唇を引き結んでナイフをぎゅっと握りしめ、ニーナは中華おばさんの方へ歩み寄る。


 そこで僕は、わざとらしく「最後なんだし、おばさんも何か言うことがあれば、発言していいですよ」と許可してやった。

 夫婦二人だとステレオになってうるさいので、おばさんだけ。


 すると――許可した途端に、いきなりおばさんから涙声がほとばしり出た。



「待っておくれ! ほ、本当は、罵倒するまでもなく、うちにはお金なんかなかったんだ! 仮に貸す気があったとしても、店ですら赤字なのに、無理だったんだようっ」



「嘘よっ」


 ニーナが低い声で言い返す。


「あの時、散々ママに悪口叩きつけたじゃないっ。子供まで連れて借りにくるなんて、恥さらしなっとか! 他にもずっと悪口ばっかりっ。あの晩、ママはずっと泣いてたんだからっ」

「……そ、それはっ」


 旗色が悪くなったばかりか、当時を思いだしたのか、おばさんを見つめる夫の目が厳しくなった。

 なにか文句が言いたいようだが、もちろん、口をパクパクさせるだけだ。周囲の野次馬も、おばさんをじっとり睨んでいる。


「あ、あたしはどうしても素直な物言いができないだけさねっ。正直に無いって言えばよかったんだけど、どうしても言えなかった! だいたい、本当にうちは困窮してるんだってば! まだ店のローンだって終わっちゃいないし……やめてええっ。助けてっ」


 ニーナが無言でそばまで近付くと、とうとう言い訳の種が尽きたのか、おばさんは頭を抱えてしまった。

 もっとも、僕の命令が生きているから、できるとすれば、そのくらいがせいぜいだろう。


 薄毛の夫の方は、祈るように手を合わせてニーナを拝んでいる。

 そっちを睨んで、ニーナが渋々宣言した。


「あなたは助けてあげる。厨房でむずかしい顔して腕組みしてただけだから。……本当は、それでも許せなかったんだけど」

「そ、それはずるいんじゃないかいっ」


 おばさんの方が喚いたけど、ニーナは「うるさいっ」と喚き返した。


「ひっ」


 慌ててまたおばさんが頭を抱える。

 やはり、おばさんへの怒りは強いらしい。


「ほら! とりあえずは、一人助かっただろ?」


 僕が小声でダニーと先生に言ったが、二人揃って非難の目で見てくれた。

 ……これだから、人間は。


 ともあれ、ニーナは夫は許せても、まだまだ中華おばさんは許せないらしい。本命なので当然だが。

 そのうち、「ママを殺したも同然だもんっ」とか自らを鼓舞するようにナイフを振り上げる。


 そこで僕はようやく声をかけた。




「そうそう、言っておくことがあるのを忘れてたよ」

「今更、なによっ」

「君のために、ぜひ教えておいてあげる」


 僕は罵倒を気にせず、言ってやった。


「まともな人間は、人を殺すと自分が死ぬまで、それが重荷になるよ。……以後、絶対に安眠できなくなる。夢にまで殺した相手の死に顔が浮かび、汗まみれで何度も飛び起きる経験が待っているのさ。もう心から笑うことも生涯ないだろうね。殺すのは結構だが、そのことを忘れないでおくことだ」

「こ、殺したこともないくせにっ」


 大いにびびった顔つきながら、ニーナが辛うじて言い返した。



「……心外だな? 僕が人殺し経験ないと、本当に思うのかな? これでも結構、敵が多いんだけど」



 断言口調で答え、ニーナを見つめ返す。

 さすがに息を呑んでいたが……そのうち無言でおばさんに向き直った。


「ま、ママだってきっと」

「――望んでるもんか、自分の娘が人殺しすることなんか」


 すかさず僕が後を引き取る。


「う、うるさいうるさいっ。ぜったいに仕返しするんだからっ」


 頑固なニーナはぷるぷる震える手で辛うじてまたナイフを持ち上げた。


「後生だから、助けておくれっ。あたしが悪かったようっ。殺さないで殺さないで殺さないで殺さないでぇええっ」


 気の強いおばさんも、最後は涙声で繰り返すだけになった。

 ニーナはもう答えず、何度もナイフを持ち替えて身構えたが、実際には振り下ろさない。先生が小声で「止めましょうよっ」と意見したが、僕は無言を通した。


 緊迫した時間が過ぎ、ニーナの肩が派手に震え出す。

 おばさんはもう涙声で祈ることしかしてないが、まるでその声に背中を押されたかのように、ニーナの腕が下がり……やがてナイフが手から滑り落ちた。


 この瞬間、明らかに周囲から安堵のため息が洩れた。


 そこで僕はようやく大股で近付き、ナイフを拾い上げてポケットにしまった。

 いざという時はダッシュで奪うつもりだったが……まあ、本人の決断に任せて正解だったようだ。


「殺人仲間にはなり損なったけど、それでよかったと思うよ」


 静かに言い聞かせ、僕がニーナの肩に手を置くと、途端に彼女は堰を切ったように泣き出した。

 ……まだ、後始末が控えているっていうのにな。


 それでもため息を堪え、僕は泣き止むまでニーナを抱き締めていた……ヴァンパイアだろうと、たまには相手を気遣うこともある。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ