ハイブリッドはヴァンパイアに嫌われる
見覚えのある道路脇に到着すると、もはや惨憺たる有様だった。
どうやら幼女ニーナは、真っ先に中華料理店のスライドドアを破壊したらしい。
歩道にガラスの破片が散乱していて、その近くには例のおばさんと新たに見るおじさんの二人が頭を抱えてしゃがみ込んでいた。
店からわずか数メートルの場所であり、もっと遠くへ逃げようと試みているようだが、立ち上がった途端に、物が飛んでくるらしい。
今回はテレビ局は来ていなかったが、相変わらず野次馬が集まりつつあった。
僕は呆然と立つダニーに話しかける前に、中華料理店の裏手に建つ、灰色のビルを見上げた。
「……いたな」
「見えるの!?」
目を細めて同じ方向を観察してた先生が、声を上げる。
「見えますとも。先生はよく忘れますが、僕はモンスターですよ?」
「外では、歩夢ちゃんと呼ぶ約束よっ」
抗議されたが、今は無視した。
それより、あの建物の屋上で、身を伏せるようにしてこっちを見ている幼女の方が気になる。能力故か、あるいは高低差のお陰か……向こうもちゃんとこっちを認識しているらしい。
しかし僕が見る限り、お世辞にも好意的には見えない。
「――もうやめろ、君っ」
突然、ダニーが前へ出て叫んだ。
「おっとぉ」
まさかと思っていたので、僕でさえ驚いた。
そういう熱いところもあったのか。
「痛めつけたところで、君の大事な人は」
言いかけた途端、また周囲に異変が生じた。どっかの店のゴミ箱やら前とは別の自動販売機やら、そして――面白がっている野次馬連中やらが、一斉に浮き上がる。
「な、なんだっ」
「おいおい、シャレにならないぞおっ」
「だから嫌だって言ったのに!」
ダニーや僕は自分も能力を発揮して、彼女の力を打ち消すことが可能だが、彼らはそうはいかない。
通りすがりの通行人やカップルなど、無差別に浮いてしまう。
それに、中華の二人は特別扱いで、ぐんぐん空を上昇していくじゃないか!
「あ、あんたあっ!」
「だから、店なんか無視して逃げようって言ったろ!」
……空中で喧嘩してるけど。
「か、影踏みさんっ」
ついでに先生もまた浮きかけていたので、腕を掴んで下ろしてあげた。
「僕の身体に触れていてください。それで、多分浮き上がるのは防げます」
「わ、わかったわっ」
急に素直になった先生に頷いてから、僕はまだあの夫婦が上昇中なのを見て、眉をひそめた。
「本気で殺す気か?」
「冷静な突っ込み入れてないで、なんとかしましょうよっ」
ダニーは焦った様子で手を上げ、とうとう直接介入してPKを発動させた。
効果は迅速で、浮き上がってた野次馬連中は糸が切れたかのようにどすんっと尻餅をつき、他の浮遊物もあらたか落下した。
しかし、夫婦は別だ。
ダニーのPKですら押さえきれないらしく、まだじわじわ上昇していく。そろそろ、落下したら死ぬ高さだろう。
「よせっ、力の使いすぎで君も危ないぞ!」
ダニーが叫んでいるが、全くもってその通り。
多分、幼女ニーナは限界なんか無視して荒れ狂ってるな。
「マスターっ」
「影踏みさんっ」
「だから、影踏みさんはやめましょうってば」
あと、どうしても出るしかないのか。
うんざりしたけれど、さすがにこれ以上傍観していると、誰か死にそうだ。
「平穏な日々は遠いな……」
愚痴りつつ先生と共に前へ出て、小さく声に出した。
「――霧よっ」
言下に、この辺り一帯「以外」の場所に、濃密な霧が立ちこめ始める。
僕らの周囲だけはわざとクリアにしておき、さらに力尽くであの中華夫婦を下ろした。下ろすスピード速すぎて、危うく路上に叩きつけかけたけど。
「ひぎゃあっ」
「なんだなんだ、いでえっ」
粗っぽかったせいか、どこか痛めたらしい。
夫婦で喚いているが、これも無視。
「あんまり使わないからなあ、こんな力」
ヴァンパイアと人間のハイブリッドのお陰か、僕は双方の種族の長所を、限界まで引き継いだ。
つまり、人間が使えるあらゆる力は、僕にも使用可能なのだ。たとえそれがサイコキネシス(PK)のような、人がごくごくまれに持つ、可能性に過ぎない能力でも。
無論、ヴァンパイアの能力は言うに及ばず。
この特性のせいで、既にハイブリッドの存在を知るヴァンパイア達に、かなり嫌われているらしい。原則的に、ヴァンパイアと人との間に子供は生まれないはずなのに、その原則に反する存在であることも、理由だろう。
よって、今回は周囲の野次馬にも、ただで帰ってもらうわけにはいかない。
出し惜しみできないのだ。
「ダニー、またカメラを頼む」
「わかりましたっ」
そっちはダニーに任せ、僕はにわかにこちらに注目し始めた連中をざっと見回す。
「全員、その場を動かないこと!」
途端に、そろそろと近付こうとした連中がその場にへなへなと座り込み、呆然と僕を見上げた。他の人達も同じことで、その場から動かなくなる。
「あの人達、どうしたの?」
尋ねた瞬間、先生が僕の顔を見て息を呑む。
僕の瞳が真紅に染まっているからだろう。
「やりたくないけど、ヴァンパイアの邪眼を使いました。悪いけど、後で彼らの記憶も消します。面倒ごとはご免なので」
先生に説明した瞬間、叫び声がした。
『邪魔しないでーーーっ』
鼻血垂らしたパジャマの女の子が、僕の急造結界内に入ってきた。
「君の能力は、かつてより進化しているらしいが……それでも、力の使いすぎだよ。その調子じゃ、そのうち脳内の血管まで切れるかもだぞ」
「うるさいっ」
幼女ニーナは不機嫌に一喝した。
戦闘継続の覚悟らしい。