マスター、人生を棒に振る気ですか?
僕が黙って布巾を差し出すと、ダニーは機械的に受け取って、自動人形みたいな手つきでカウンターを拭き始めたが、目は僕を見たままである。
「マスター、人生を棒に振る気ですか?」
「なによ、それっ。わたし、尽くす方なんだから!」
人の警告を忘れて、また先生が声を荒げた。
「ホームズさん、黙ってないんでなんとか言ってくださいっ」
なぜか先生がホームズ氏に振ったが……そもそもシャーロック・ホームズの原作を読めばわかるが、ホームズというキャラは、あまり女性に好意的とはいえない。
例外は、作中で彼と対等に渡り合って見せた、有名女性キャラだけだろう。
「ははは……まあ、男女の関係については、僕には永遠にわからんよ。ワトソンが結婚する時だって、『君、本気かね!?』と思って、散々止めたくらいだしね」
そのまま、新聞を盾にして、閉じこもってしまった。
まあ、シャーロック・ホームズとしては、頷ける返事だ。
ちなみに、ダニーも前世ではきっちり女性問題でやらかしているせいか、僕を「正気ですか!?」と言わんばかりに見ている。
この中坊は前世でもかなり美形だったんで、事実として知られている以上に、いろいろあったんだろう。
「上手くいくとは思えないけど、とにかく付き合ってみましょうって話だよ」
みんながこっちを見るので、やむなく僕は肩をすくめた。
「先生が好きかどうかなんて、僕にもわからない。ただ、嫌いじゃないのは確かだからね」
「そこは秘密にしてほしかったわ!」
「内緒話を持ち出すからですよ」
「なぁーんだ……人のいいマスターを揺さぶって、情に訴えただけなんですね」
「その言い方、ひどいっ」
「はい、そこまで!」
先生が本気で憤ったところで、僕は手を叩いて二人を止めた。
「ダニー、僕のことはいいから、計画を話してみてくれ。一応、僕も同行するから」
言うまでもなく、問題の幼女の話である。
店内で不毛な言い争いに加わるくらいなら、まだ外出した方がマシだ。
「いいですとも!」
幸い、ダニーは簡単に話に乗って来た。
かいつまんで説明してくれたが――全部聞いた後、僕は図らずとも先生と顔を見合わせてしまった。
「それ、実行して見つかったら、下手したら誘拐犯だと思われるんじゃない?」
「……珍しく、先生と同意見だな」
「会見の間、屋上の唯一のドアを押さえておけば、問題ないでしょう? 危ないのは、あの施設の屋上まで上がるところだけですよ。それも、僕やマスターなら余裕だ」
ダニーはコトもなげに言う。
「あの子は、こっそり屋上まで上がって来てくれるそうだから、僕らの方から施設の屋上へ会いに行く……理に適った話でしょう?」
「う~ん」
さすがの僕も迷う話である。
「それで、その子が中華料理屋でPKを振るう理由はなにかな?」
新聞を読む振りをしていたホームズ氏が、的確な質問をした。
ダニーは一瞬だけ迷った様子を見せたが、諦めたように話してくれた。
「彼女の母親はつい去年に病死したそうですが、母子家庭で死ぬ間際にはかなり苦労していたらしくて……だいぶ困窮して彼女の妹に援助を求めたそうなんです」
「もしかして、その妹があの中華のおばさん? 出刃包丁振り回してた?」
「ご名答」
苦笑してダニーは頷いた。
「母親が娘の食費にも事欠き、恥を忍んで僅かなお金を借りようと、妹(中華おばさん)に頼み込んだ時があったんですよ。ところが、あの中華おばさんは冷淡にはね除け、『二度と店へ来ないでおくれっ』てけんもほろろに追い返したそうな。偶然かもしれませんが、母親が倒れたのは、その直後のことです。やりとりを実際に見ていたあの子が恨みに思い、ポルターガイストを装った蛮行に繋がったと。実際、母親が病死した後だって、あの子の引き取りを断固拒否したそうですしね、中華のおばさん。そんな余裕あるもんかーーっだそうで」
「……そんなひどいっ」
先生が口元を覆ってしまった。
本気で目をうるうるさせているくらいで、痛く同情したらしい。
「よくそこまで教えてくれたなあ」
「僕も彼女も、同じPKという力を持つ同志ですからね」
ダニーは少し誇らしそうに述べた。
今生のダニーは、自分の能力にだいぶ誇りを持っているのだ。
「しかし、そこまで事情がわかったなら、あとはどうコトを収めるつもりなんだ?」
正直、嫌な予感がしてきた僕は、ぼそりと尋ねる。
案の定、ダニーは顔を曇らせ、懇願口調で言ってのけた。
「これまでの仕返しはもうしょうがないとして、今後は馬鹿な真似を止めてもらうよう、説得するつもりです。それで、施設からもどうにかして出してあげたいんですよ」
何かを期待するように僕を見る。
おそらくダニー的には、僕じゃなくて養母のノーラさんに期待しているのかもしれない。代わりに頼んで欲しいのだろう。
そんな無茶な願いを叶えられるのは、それこそ魔法に頼るしかないから。
「むう……ていうか、あの施設に入れられたのは、偶然なのかい?」
続けて尋ねると、ダニーは頷いた。
「そこは本当に偶然だそうで。でも、あの子は『ここへ来たということは、神さまもきっと、あのおばさんに罰を与えてほしがっているんだわ!』などと勘違いしたようで」
「なるほど、話はだいたいわかった」
僕はやむなく頷いた。
「確かにこれは、その子と会って話す必要があるね」
……ノーラさんに連絡するとしても、それからだろうな。