ホームズ氏の助言
店に戻ると、ホームズ氏がコーヒーなど啜りながらまだ悠然と新聞を読んでいて、正直、僕は羨ましかった。
僕らの姿を見ると、彼は気楽に片手を上げ、言ってくれた。
「お帰り。客の方は皆無だったよ~。気楽な留守番だったな」
「ははは」
笑うしかない。
ホームズ氏はげんなりした様子の僕らを見て、ちょっと肩をすくめた。
「その様子では、『首尾のほどは?』と訊くのはイヤミかな?」
「まあ、説明くらいはしますけどね」
僕はカウンターの内側という定位置へ戻り、ダニーと先生も元の席に着いた。
口数が少ないのは、割と真剣に逃げたせいで、疲れたせいだろう。
奢りのつもりで、僕は今いる人数分だけコーヒーを淹れ、それぞれの席の前に置いた。その頃には説明も終わっていて、ホームズ氏は不思議そうに僕を見た。
「君達はなぜか全員、店の中にいない以上、野次馬の中に犯人がいると思ったようだが、その根拠は?」
「――えっ」
僕は一度だけ声を上げ、そしてホームズ氏の言わんとするところを理解した。
「そうかっ。なにも犯人の居場所を野次馬達の中に限定する必要はないんだっ」
声に出した途端、先生もダニーも等しく顔を上げた。
「でも、建物内にいない以上は」
言いかけた先生に、ホームズ氏が首を振る。
「さあ、そこだよ。建物はなにも、その中華料理屋だけじゃないはずですよ、お嬢さん。人はどうしても、眼前の光景にごまかされやすいものですが、今回の場合、野次馬がそれに当たるでしょう。大勢いるから、いかにもそこに犯人が交じっていそうに見える。女の子がそこにいない以上、実際は、偶発的に集まった野次馬に過ぎないのに」
「あ……そう言えば、あの中に女の子は見当たらなかった気が」
同じく、先生も気付いたらしい。
「改めて、この場合の条件を挙げると――」
ホームズ氏が説明しようとして、ふいに横を見てうんうんと頷く。
「わかっているさ、君。これは別に推理ってほどじゃない。簡潔に説明するとも」
僕らには見えないワトソン氏に保証した後、本当にずばっと説明してくれた。
「問題の人物は、なぜか中華料理屋に拘っているようだから、あくまでもその近所だと限定しよう。能力を引き起こすのは主に店内だが、今回のように外に被害が広がる場合もある。しかし、ダニー君の言う通り、霊現象じゃないと仮定するなら、やはり条件は限られる。すなわち、君らを見ることができる場所で、なおかつ店の至近にある建物だ」
「犯人に遠隔視の能力とかあったら? どうなります?」
先生が真面目な顔で質問した。
「もちろん、その場合は根底から条件が変わるが、今回のケースでは、その可能性は薄い。なぜなら僕は、君達が出かけた後に地図で確認し、怪しい場所を既に見つけていてね」
ホームズ氏は涼しい顔で種明かしをした。
「いま、その場所を君達にも見せよう」
そう言うと、薄い革製の鞄から、小型のタブレットを出し、マップを表示させた。
現代のホームズは、なかなか多彩である。
どれどれと、僕を含めた負け組三名が、彼の周囲に集まる。
「ほら、ここが君達が向かった中華料理店だよ。周囲にある建物を、よく観察してごらん?」
そこまで言われれば、僕らでもわかる。
というか、不甲斐ないことに、実は僕は到着するなり、その建物に(だけ)は気付いていた。つまり、店の背後にそびえる、灰色のコンクリートが不気味に目立つ建物である。
高さで言えば、店を見下ろす丁度いい位置に屋上があるかもしれない。あそこからこっそり覗けば、僕らごと全部、まとめてすっきり見える。
「……児童養護施設が裏にあったのか」
ダニーがトドメに答えを述べた。
「スナイパーの存在にようやく気付いた、新兵の気分ですよ」
ぶすっと彼は付け足した。
ここぞとばかりに先生がイヤミを言う。
「影踏みさんがいてくれてよかったわね、自動販売機で顔潰れずに済んだし」
「あれはっ。いざという時にはちゃんと止めて――」
「まあまあ、ダニー。そろそろ帰宅して休んだ方がいい。アプローチを変えるにしても、日を改めよう」
いい加減、店じまいしたかった僕は、喧嘩になる前に止めた。
「……そうですね。言われてみれば、もう夜も遅い」
ダニーは珍しく素直に頷き、学生服の上衣を着た。
「マスター、今日はすいませんでした」
「ダニーもお疲れ様」
「さて、では我々も」
コーヒーの残りを飲み干し、ホームズ氏も立ち上がる。
……いつも思うが、最後に手にする黒塗りのステッキがなかなか似合っている。多分、バリツとかで使うんだろう。
それは置いて、ダニーとホームズ氏(とワトソン氏)が店を出たのに、しれっと先生が座ったままなのが気になる。
「……閉店ですけど?」
「お返事聞くまで、動きませんっ」
打てば響くように言い返された。