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7. 鎮魂歌は誰がために

 ヴァンパイア・ウルフは、恐るべき吟遊詩人を前にしながら笑った。数々の手練れの 人狼ワーウルフ を失い、己のみになったにもかかわらず。余程の自信がそうさせるのだろうか。この怪物の言うときとは、それを裏づけるほどのものなのか。


「さあ、貴様と我にふさわしい場所で戦おうぞ!」


 そう言うや否や、ヴァンパイア・ウルフは跳躍し、天井を突き破って外へ出た。ウィルもそのあとを追い、赤毛の火球が作った穴から飛び出す。


 外は、すでに日が落ち、夜になっていた。月が雲に覆われているため、星明りだけが頼りだ。しかし、ヴァンパイア・ウルフはもとより、ウィルも夜目が利いたので、互いの位置を確認するのに不自由はなかった。


「ここがそうか?」


「そうだ」


 教会の屋根の端と端に立ち、両者は対峙した。角度のきつい屋根の上は、人間のウィルにとって足場はよくない。いつでも片手を屋根につけるよう、極端な前傾姿勢になった。


 そのような不利を見て取ったか、ヴァンパイア・ウルフは悠然と屋根の上を駆けた。


 それに対し、ウィルは――


「どうした、吟遊詩人? あまりの高さに足がすくんだか?」


 易々とは動けないウィルの正面から、ヴァンパイア・ウルフは跳びかかろうとした。そのヴァンパイア・ウルフに向け、ウィルは右手を突き出す。


「ブライル!」


 炎の矢である 烈火鬼弾ファイヤー・ボルト が発射された。だが、ヴァンパイア・ウルフは、それを跳躍によって躱す。そのまま攻撃に転じた。


「これで終わりだ!」


 鋭い牙がウィルの頸部を狙ってきた。その一撃は白く美しい吟遊詩人のうなじをいとも容易く噛み砕くことが可能だろう。


 だが――


 不意に、夜目が利くはずのヴァンパイア・ウルフの視界が暗転した。何も見えない。ヴァンパイア・ウルフはうろたえた。


 それはウィルの仕業であった。正確にはウィルの黒いマントによって、その視界を塞がれたのである。わずか一瞬の出来事だった。


 マントに包まれたヴァンパイア・ウルフはもがき、ウィルという標的を見失ったばかりか、着地までも失敗してしまった。傾斜のきつい屋根を転がり落ちそうになる。寸でのところをかろうじて鋭い爪を立てることによって転落を免れた。


 一方、ウィルは──


 動きを止めたヴァンパイア・ウルフへ、逆手に持ち替えた《光の短剣》を突き立てていた。刃の根元まで、マントごとヴァンパイア・ウルフの肢体を深々と貫く。


 伝説の怪物もここまでか。爪を立てていたヴァンパイア・ウルフの前肢が突っ張り、その後、ふっと力が抜けた。


 ウィルは無言で《光の短剣》を引き抜く。


 マントをどけると、口からだらしなく舌をはみ出させ、白目を剥いたヴァンパイア・ウルフがいた。微動だにしない。ウィルはブーツの爪先で軽く蹴った。


「おい、下手な芝居はやめろ」


「………」


「お前たちが不死に近いのは知っている。この程度で死ぬわけがあるまい」


「バレていたか」


 死んだはずのヴァンパイア・ウルフが喋った。


 仕留めて安心したところを襲いかかるつもりだったのか。しかし、ウィルにすべてを見透かされ、死んだふりは通用しないと知ったヴァンパイア・ウルフはゆっくりと身を起こした。


「何でもお見通しだな、人間よ」


 面白そうにヴァンパイア・ウルフが言った。これまで戦ってきた人間の中で、これほどの歯応えを感じた者はいない。一度は自分を封印した 司教ビショップ でさえも、この黒衣の吟遊詩人には及ばないだろうと思われた。


 だからこそほふり甲斐がある、とヴァンパイア・ウルフは戦いに喜びすら感じていた。さぞかし、この者の血と肉は美味に違いない、と。


 そのような感情を高ぶらせる相手に対し、ウィルの表情はまったく変わらなかった。


「オレは吟遊詩人だ。ありとあらゆる伝承や物語には通じている。今のはオレの知識が正しいかどうか、試させてもらった」


「では、満足だろう。我が不死の肉体であると分かって」


「不死だと? オレはそんなことを言ったつもりはない。()()()()()。そう言ったはずだ」


「同じことよ」


「いや、違う。なぜならば、お前は()()()()()()からな」


 ウィルは決して譲りはしなかった。不敵な人間だと、ヴァンパイア・ウルフは鋭い眼光を向ける。


「同じだと言っている。貴様の武器が通用せんのは、さっきも見た通りではないか。得意の魔法もそうだ。多少の傷など、すぐに回復するのだからな」


 ヴァンパイア・ウルフの言葉通り、ウィルがつけた傷は驚異的なスピードで塞がっていた。人狼ワーウルフ も似たような能力を持つが、その比ではない。


「確かに普通の攻撃では、お前の息の根を止めることは不可能だろう。だが、古来より不死の怪物を退治する話というのは多い。つまり何かしら方法はあるということだ」


「下らんな。人間の作り話というものは」


「どうかな?」


「ならば、その身に刻んでやろう。我の真の力を! ──見るがいい!」


 闇を作り出していた雲が音もなく引き始めた。それに連れて現れた美しき月輪がモンタルンの村を、そして朽ちかけた教会を照らし出す。まるで世界が変容したかのようだった。


 これこそがヴァンパイア・ウルフの待ったときである。雲の合間から、ようやく姿を見せた満月が、新たな死闘の幕開けを告げていた。


 屋根は 舞台ステージ。役者は二人いた。


 姿なき観客は役者二人を取り巻き、静かな視線を送っていた。


 ヴァンパイア・ウルフは咆吼をあげた。


 いにしえより伝わる満月と狼の伝説。


 長い間、土の中に埋められて薄汚かったはずの体毛が銀色に生え替わり、眼が爛と妖しい光を放ち始めた。四肢もひと回り大きくなり、ウィルの方へと一歩、力強く踏み出す。さらなる魔獣への変貌であった。


 常人であれば、その姿と発せられる威圧感を前に逃げ出すであろう。いや、動けるのならば、まだいい。最悪、金縛りのようになって、無抵抗のまま殺されるのがオチだ。


 ウィルは《光の短剣》を片手に、低く構えた。この吟遊詩人には立ち向かう強い意志と覚悟がある。


 魔獣ヴァンパイア・ウルフは赤い口を開けた。


 再び上がる咆吼。


 ウォォォォォォォッ!


 次の刹那、屋根は吹き飛び、ウィルの身体は木の葉のように宙を舞った。強烈な衝撃波のようなものが炸裂したのである。それが魔獣ヴァンパイア・ウルフの咆吼の仕業であることは言うまでもなかった。


 ウィルは空中で辛うじて身を捻り、再び屋根の端に着地した。膝をついたのは致し方あるまい。普通なら気を失って屋根から落下し、首の骨を折っていたとしてもおかしくないところだ。むしろ、屋根の上に留まることの出来たウィルの体技に驚嘆すべきであろう。


 魔獣ヴァンパイア・ウルフは、すぐにも二撃目を放つ体勢を取っていた。


 ウィルは立とうとするが、思った以上にダメージが大きいのか膝をついたままだ。


 それを嘲笑うかのように、魔獣ヴァンパイア・ウルフは間合いを詰めた。


「立てぬか。フッ、まあ、それも無理あるまい。本来なら気絶してしかるべきところだからな。だが、これで最後だ!」


 死の 咆吼ハウリング が美しき吟遊詩人を再び襲った。


 モンタルンの村に重低音が響き渡る。


 空気が震え、たわんだ。


 ウィルは直撃を受ける寸前、《光の短剣》を屋根に突き立て、衝撃波に備えた。しかし、攻撃はそんな生易しいものではない。ウィルの身体は宙に浮き、《光の短剣》を摑んでいた指が離れた。


 今度こそウィルは吹き飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられるかに思われた。魔獣ヴァンパイア・ウルフがほくそ笑む。


 が、それも一瞬――


 落下したはずのウィルの身体は、何と空中で静止していた。


「何と、浮遊術レビテーション か……」


 魔獣ヴァンパイア・ウルフがうめくように言った。


 浮遊術レビテーション──風の高位精霊(ジン) を召喚し、術者の身体を宙に浮かべる 白魔術サモン・エレメンタル だ。


 ウィルは風の精霊の助けを借りて再び屋根の上に降り立つと、突き立てたままになっていた《光の短剣》を引き抜いた。すると刀身の光が強さを増す。


「……気紛れな」


 何に対して言ったものか。この青年にしては珍しく、憮然とした表情を作った。そして、改めて魔獣ヴァンパイア・ウルフに視線を戻す。


「今度はこちらの攻撃も受けてもらおう」


 黒いマントを翼のように広げ、ウィルは跳躍した。魔獣ヴァンパイア・ウルフの背後を取る。しかし、それは読まれていた。


「小賢しい!」


 振り返った魔獣ヴァンパイア・ウルフの渾身の衝撃波がウィルを襲った。マントがちぎれそうになるほどたなびく。それでもウィルは耐えた。


 ウォォォォォォォッ!


 それと同時に、《光の短剣》もより輝きを強めていた。まるでヴァンパイア・ウルフの力に呼応するかのように。夜の闇が、その新しい星の誕生の如き眩い光に掻き消されてゆく。


 光は、ウィルはもちろんのこと、ヴァンパイア・ウルフをも呑み込んだ。


 そして――


 不死であるはずの肉体に、《光の短剣》が突き立てられた。


 ヴァンパイア・ウルフの眼が大きく見開かれる。信じられない、という風に。それはウィルの技量に対してではなく、己の心臓を貫いた小さな武器――伝説の《光の短剣》に向けられたものだった。


「き、貴様……その剣……は……」


「そうだ。これでやっと、お前も死ねる」


 剣先が抜かれるや、不死身であるはずのヴァンパイア・ウルフは静かに塵と化した。それは銀色の砂のように、夜風に運ばれてゆく。


 戦いの 舞台ステージ である屋根の上に残ったのは一人の美しき吟遊詩人だけ。そのウィルが手にした《光の短剣》には、もはや尋常ならざる輝きを認めることは出来なかった。






 祭壇の上には、まだ裸身をさらしたリィーナが横たわっていた。そこへ魔獣ヴァンパイア・ウルフを斃した美しき吟遊詩人が近づく。すると、リィーナは深い眠りから覚めたかのように身を起こした。


「……ウィル」


 陶然とした様子で、リィーナが言った。裸身を隠そうともしない。


「ヴァンパイア・ウルフは?」


「斃した」


 ウィルはマントを手にすると、それをリィーナの肩にかけてやった。その手が一瞬止まる。


「……むごいことを」


 吟遊詩人の呟きは、近くにいたリィーナにも聞こえたものかどうか。


 それきりウィルは背を見せて、一人、教会から立ち去ろうと歩き始めた。リィーナも祭壇から降り立ち、おぼつかない足取りでフラフラと歩き出す。


 そのリィーナに変化が生じた。肩を震わせ、筋肉が強張る。爪が、そして牙が異様に伸びた。


 突如として、リィーナは黒衣の背中へと踊りかかった。


 次の瞬間、血がしぶきを上げる。


 鮮血が途絶えると、沈黙がすべてを支配した。


 立ち尽くす影はただひとつ。


 それは──


 膝から崩折れる少女の身体を抱き留めながら、瞬きもしないウィルの目は寒々と冷え切っていた。


 ヴァンパイア・ウルフの毒牙にかかったリィーナは、まさに最後の刺客としてウィルに襲いかかったのである。彼女の肩にマントをかけてやったとき、この男はそのことを感じ取り、非情にもあやめたのであった。少女を救済するために。


 ヴァンパイア・ウルフに噛まれた者は元に戻らない。


 まるで微笑むように息絶えたリィーナの身体を担ぎ上げると、ウィルは黙したまま夜のカーテンをくぐった。


 死闘の終わりだった。






 テコムの行商人が一ヶ月ぶりにモンタルンの村を訪れたとき、二百人もの村人の姿はなく、ゴースト・タウンのような静けさだけが迎えてくれた。


 どうして誰もいないのか、と行商人はモンタルンの中を捜し回った。それこそ村の隅から隅まで。だが、結局は見つけられず、無駄骨に終わった。


 表通り(メイン・ストリート) の突き当たりにある教会だけが破壊の痕跡を留めていたが、その他の住居や店舗といったものはまったく被害がなく、はぐれ ドラゴン の襲撃があったとも思えない。


 教会の裏を調べたとき、多くの墓標が整然と並んでいた。以前に訪れたときと比べ、明らかに数が増えている。ひょっとすると消えた村人たち全員のものかも知れないと考え、行商人は怖くなった。


 新しい墓標のすべてには花が供えられていた。まだ、どれも瑞々しい。供えられて、それほど経っていないのだろう。ということは最近まで、この村に誰かがいたのか。


 自分の村にこのことを知らせようと、行商人は急ぎ、今来たばかりの道を引き返そうとした。


 すると、何処からか流れて来る竪琴の調べに乗せて、美しい歌声が行商人の耳に聴こえてきた。どうやら、ここより少し離れたところで吟遊詩人が歌っているらしい。


 ふと、逃げ帰ろうとしていた足が止まった。


 これまで行商人が聴いたこともない美声によって歌われていたのは、死者を弔うための 鎮魂歌レクイエム だった。奏でられる竪琴の音色は、まるで清らかな風のようだ。もしかすると、この村の者たちへ捧げられた曲なのだろうか。


 ──これなら、どんな魂も救われる。


 行商人はそう信じて疑わなかった。そして、一生、耳に残ることだろう。


 それは、そんなうただった。



                  <Fin>

最後までお読みいただきありがとうございました。

この西禄屋斗、心より御礼申し上げます。


なお、この作品は

RED文庫(http://red2468.g2.xrea.com/)にて

掲載した作品に加筆・訂正したものです。

内容に大きな変更などはありません。

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