9.二人の巫女
オサがムラを立った夜のことだ、カヤのところに仮面の男が現れた。
「カヤ、この顔を覚えているか?」
しかし仮面を外した男に見覚えはない。
「このムラのオサ、何を今更……」
「ではこうしたらどうだ」
男は顔を肘で拭った。たちまち細い目と頬の傷が現れた。
「お、お前はトキ!」
「そうとも、お前を妻にしようとした男さ」
「よくも、両親、いやムラ中を……」
「お前のせいだ、カヤ。俺を拒んだ報いだ」
キツネびとの崇拝している蛇の様に、執念深いトキにカヤはぞっとした。
「なあ、カヤ悪い事は言わん、わしの妻にならんか。お前の望む贅沢は全て叶えてやる。巫女はホノに任せておけばいい、術が失敗すれば殺される様な巫女にいつまでもお前をさせてはおかぬ。妻になりわしの子を産まぬか」
柱の陰でホノがそれを聞いていた。
「トキ様は私を利用しただけ、それなのに私はオサを簡単に裏切ってしまった」
ホノはその場にいたたまれずに立ち去った。
「よく考えろ、まあどっちみち、お前はわしのものになるのだがな、ハッハッハ」
トキは高笑いを残して去っていった。
その日の夕方の事である。ホノがカヤを訪ねた、巫女同士に言葉はほとんど必要ない。ホノはオサの計画とそれを逆手に取った、トキの企みをカヤに告げ、心から深く詫びた。
「ホノ、よく話してくれました。あなたは立派な巫女。このムラにはあなたが必要です」
カヤはそうホノに声をかけた。ユマがそれを聞いている事を二人は気付かなかった。
「ふん、牢の中のカヤに何ができる。兄者を殺した後でどうせホノは殺すつもりだ、ユマ抜かるなよ」
その頃、一度は息を吹返したニツはマナを救った後、再び混沌の中に落ちていた。さすがにキツネびとの毒矢は強力な毒だった。丸一晩の間、一睡もせずにマナはニツに添い寝をしてその身体を温めていた。調合した薬を煎じた後、口移しでニツの喉に流し込んだ時、ようやくニツは深い息づかいを始めた。
「おババ、おババ!」
マナは、素っ裸のまま屋敷を飛び出し、庭の隅にある「ほこら」に呼びかけた。「オオヒメトヨ」は「タマハラ」とともにこの世を去ったがそれと同時にこの「ほこら」に祀られている。マナにはトヨの声がいつも聞こえた。
「ニツが息を吹返した。もう大丈夫ね?」
「おやまあ、しようのない娘だねぇ。巫女が男に惚れても哀しいだけなのにねぇ……」
「私はいいの、たとえ明日神殿に呼ばれようと、それまでは誰にも邪魔させない」
「おまえを見ていると、私にも昔、勇気があったら、ついそう思ってしまうよ」
「おババにも、そんなことが?」
「おや、私だって娘の時代があったのさ」
「オオヒメトヨ」は神殿の扉の前で名を呼び続ける若者のことを思い出した。
「あの時神殿の扉を開けていれば、ふふっ、今更詮ないことよ」
二人のことを思い、おババは優しく声をかけた。
「娘が産まれるといいね、マナ」
「それより、これからどうしたらいいの、今からキツネびとのオサを処刑するみたいなの」
「今後のことはニツに任せなさい、ニツがこのムラを救ったのだから、皆は納得するでしょう」
「よせ!」
オサに向けられた弓矢の前にニツは進み出た。
「オサを生かし、オオヒメカヤと交換させる事に決めた。異存はないな!」
驚いたのは、キツネびとだった。オサはニツに笑いながら言った。
「残念ながらニツ、カヤは戻らない。それにムラには既にわしの代わりがいるのだ」
「ムラびとたちがそれでも、お前に生きて戻って欲しいと思ったとしたら」
「そんなムラなら、もう一度俺は力を込めて鍬を振るうさ、ハッハッハッ」