15.鬼巫女
それは「オオヒメカヤ」に伝授された鬼巫女「ヒメカ」の奥義「アマテラス」であった。舞いが終わった時には、マナの手には鬼巫女「ヒメカ」の白く細い腕が握られていた。
「神以外に私を自由にできるのは、生涯ニツただ一人。天照らす神の御霊で祓いたまえ、清めたまえ!」
声を上げる暇も無く、トキもオオカミ人も黒い闇からぬっと出てきた腕に掴まれて消えてしまった。
「ニツ、この子が最後まで戦えと私に……」
マナは腹をなでながら、潤んだ青い目でしばらく彼の落とされた谷底を見続けていた。
次の日、オグニに駆けつけたキツネびとたちが次々とムラを復興させていった。
「わしたちのムラに移ってきた方が速いぞ、マナ」
「オサ、マナ様がこの場を離れる訳がないでしょう」
「ああ、それもそうだなホノ。ここでは不思議なことに皆の汗まで輝きが違う、皆も信じているのか……」
「ニツはきっと生きているわ」
その言葉に二人は言葉もなくうなずいた。
「そうだ、おババが生きているとは本当なのか。マナ?」
「はい、ババ様は縄文巫女『オオヒメサヤ』の血を引くものだとおっしゃっていましたが、実はその巫女『オオヒメサヤ』だったのです」
「信じられんが……」
「術を使って、気ままに眠ったり起きたりされている様です。「ヒメカ」という鬼巫女とは双子だともおっしゃっていました」
「やれやれ、『アマテラス』などまで使いおって、もう少し寝ていようと思っていたのに、起こされてしまった。マナはどれだけ鬼巫女に近づく気だい……」
懐かしい、しゃがれ声が背後から聞こえた。
解放された全ての奴婢は、命ずる者もないのにも関わらず、ムラをもう一度作り始めた。付近のムラから干し肉が持ち寄られ、数日のうちにオグニは元通りになった。ホノは男を産みキツネびとのムラの新しい母となった。
そろそろイネが実り始める夏の終わりのことだ。
「とんぼも色づきムラに戻ってくるのね」
マナは、ニツが投げ込まれた川の辺で見つけた、赤とんぼに向かってそう言った。
「マナ、またこんなところかえ。腹を冷やしてはならんぞ」
「ババ様、見て。赤とんぼが帰ってきた」
「今日も、巫女舞いをしたのか?」
単衣を見ておババはそうつぶやいた。マナは既に巫女としての役は解かれていた。それでも毎日巫女舞いをして、ニツの事を待っているのだ。あれから既に三月経ち、マナ以外はもうニツの事を口にしなくなった。
「もちろん、ニツは生きている。あっ、ババ様、産まれる……」
大変な事になった、マナの息が弱くなった。
「これは、困った、逆子だねえ」
マナが毎日欠かさず巫女舞いをしたからかもしれないとおババは思った。
「残念だが、子供は諦めよう……」
そう誰もが思った時、産屋に突然入ってくる数人があった。マナがうわごとを口走った。
「ニツ、ああ、戻ってきてくれたのね……」
「ほぎゃあ、ほぎゃあ……」
産屋に元気な赤子の声が響いた。その声の後、マナにはあのカヤの声が聞こえた様な気がした。
「まあ、あなたに似てお転婆になりそうね」
産屋から屋敷に戻ると、マナは涙声でこうつぶやいた。
「長い間ご苦労様でした……」
そう言うとマナはしばらく声もださずニツの腕に抱かれた。ニツは生きていたのだ。