970手間
首都大司教に案内されやって来た聖なる泉とやらは、泉の名から想像していたようなものとは少し違った。
この建物の中か外にある自然の池か何かだと思っていたのだが、連れてこられたそこにあったのは水盤と呼ばれるようなもの。
Ω型の開いたところに泉の中に入るための階段があり、その中には精々くるぶしよりやや上程度の深さしかない水とその水を受け止める水盤の縁。
縁から絶え間なく零れる水を供給するのは、階段の真正面にある大きな燭台のようなモノの上に鎮座する水晶から溢れている。
まだ陽が差さぬ篝火だけの薄暗い中で建物と同じ白い石材で造られたそれは、幻想的に映る綺麗な光景だが何と言えば良いだろうか、ホテルやテーマパークの中にある噴水を何とかの泉などと呼んでいるような、そんな肩透かしを感じる。
「あれ、でよいのかえ?」
「はい、聖なる泉の中心で両膝をついて頂き、陽が差すまで祈って頂ければ結構でございます」
更に言えば浸かる浸かるといっていたものだから肩までは、そうでなくともおへその辺りまでは水があるものと思っていたのも、ワシが肩透かしを感じる要因かもしれない。
とは言え深かろうが浅かろうがワシにはさして変わりない、やることも変わらないとなればするだけだ。
首都大司教の指示通り、階段でしずしずと泉に入り中心にくると両膝を地面につけ目を閉じ、手を組むように合わせて祈りを捧げる。
じわりじわりとローブの裾から染み込んでくる水が不快だが、それ以外はさして問題は無い。
しばらくじっとしていたのだが、なるほどそこで漸くこれが修行に用いられると言った意味が分かって来た。
ローブに僅かに染み込んだ水が容赦なく体温を奪ってゆき、足元の水は常にゆるゆるとではあるが流れているので、その場に温度を留めることは無い。
薄目を開ければ水面に映る白み始めた空、周囲を建物に囲まれている中庭のような場所なので風こそ吹いてこないが、空気は刺すように冷たく下手に冷水に入るよりもきついような気がしてきた。
それにしても、空が白み始めてから陽が差すまではかなりの時間がある、普通の人ならば凍傷にでもなるのでは無いだろうか。
ワシの背後には、万が一があってはいけないと何人も待機してはいるが、これも普段からしていることなのだろうか。
中に入って分かったが、泉の大きさ自体はだいたい人が三人並べば少々狭く感じるくらいしかない、それを考えるとそう頻繁にするような修行でもないのだろう。
そんなことをつらつらと考えていると空が段々と明るくなり、泉もそれに合わせて濃紺から空色へと色彩を変化させる。
そしてそこで漸く、ワシの背後でずっと静かに待っていた首都大司教がワシへと声をかける。
「座下、お時間となりました」
「ふむ、これで良いのかえ?」
空は明るくなったが、ここは周囲を建物に囲まれているのでまだ薄暗い。
そんなことを思い聞き返せば、お疲れさまでしたと恭しく頷かれた。
「それではすぐにこちらへ、冷えた体を蒸し風呂でお温めください」
「ほほう、これは修行なのじゃろ?」
「何も鞭打つばかりが修行ではございません、体調を崩してしまっては元も子もございませんから」
「ふむ、確かにの」
そう言って微笑む首都大司教に促され、向かった先で冷えたローブを脱ぎ入れられたのは蒸し風呂、いわゆるサウナというやつだ。
流石に宮殿のような、並々と湯を使うものはここでは出来ないと、申し訳なさそうに言われたがこれはこれで、むしろ雪国の風情がある。
暖炉とは違う心地よい暖かさに、ごゆるりとと一人にされたこともあり微睡んでいるといつの間にかぐっすりと寝ていたのか、なかなか出てこないワシに慌て、サウナの中に飛び込んできた者たちに起こされるのだった……




