94手間
目を覚ますと目の前にカルンの寝顔、微笑みながらその顔をそっと撫でるとカルンが起きないように寝台から出る。
真っ暗な部屋の中、カーテンの隙間からほんの少しだけ漏れる光で、もう間もなく夜明けだと分かる。
といってもこの世界、空が白んでから日が昇るまでが結構長いのだが…。
カーテンを少しめくり外を覗けばまだまだ暗く、ちょうど夜が明け始めた頃の様だった。
夜は月光も街灯すらもなく星明りだけ、ここ数年で夜空に月を見たことが無いから、たぶん衛星は存在しないんだろう。
そんな状態なのだ、夜の暗さは推して知るべし。大抵の人は夜明けと共に起き、日が沈むと共に寝ると言う実に健康的な生活をしている。
ランプや明かりの魔具に使う燃料代も結構バカにならない、日が沈んでも起きているのは一部の富裕層か自ら明かりを生み出し維持できる宝珠持ち、あとは食堂やら宿の人くらいか…意外といたわ。
と言っても外の暗さを見るに、メイドさんたちもまだ起きていないだろう。
「さて、どうするかのぉ…」
勝手に朝食をとるのも何だし、さりとて寝直すにも…と考えているとふと思いつき、手早く動きやすい服を着る。
「この街にいる間は、スカートが義務よ!」とお母様に言われているが、用途が用途な為、見逃してもらおう。
「ふぅ、やはり朝は冷えるのぉ…」
裏手の扉から外に出ると、温暖な気候とは言え朝の冷たい空気を感じる。
その朝独特の清涼な空気の中、向かうのは修錬場。
体を動かしてない…わけでも無く、むしろ酷使してる方だが、ここに来たのは…まぁ、何となくだ。
「やはり誰もおらぬのぉ」
ここでメイドさん達が護衛術を磨いてるのだが、やはり本分はメイド、まず屋敷の事を終えてからここに来るので、今はガランとしている。
その誰も居ない一角、木製の台から吊るされた、お情け程度の手足が付いた細長い寸胴の様な人形、所謂サンドバック…中身は藁の様なものが詰まっているからストローバックか?
それの前に立って徐に構えをとると、とりあえず殴る蹴るの打撃を加える、中に藁以外のものが入っているのか意外と重い。それを殴る度、ボンッボンッと何かが破裂しているような音を立て藁人形が跳ねる。
「朝から精が出ますな、セルカ様」
「ライニか、なに早く起きすぎての」
段々と興が乗ってきて、体を振って高速のなんて所で、背後から声をかけられ手を止める。
「そうでしたか。屋敷を見回っておりましたら、裏から出られるのを見かけたものでしたから」
「なるほど。どうじゃ、ここに来たのも何かの縁じゃしの、手合わせなぞしてみんかえ?」
「魅力的なご提案ですが、この老骨めではセルカ様のお相手はとてもとても務まりませぬ」
そういって懐からそっと手鏡を取り出し、ワシの顔を映す。
そこには魔手を使用したときに出る、血の様に紅い線が顔に走っていた。慌てて右腕を見るがそこに魔手は無く、代わりに顔にあるものよりも複雑に走る緋色の線が浮かんでいた。
右手を握ったり開いたりして、異常が無いか確かめてみるが、特に問題は無い様だった。
「失礼を承知ながらお止しましたのも、このままではその人形がはじけ飛びそうでしたので…」
「ぬ、それはすまんかったのぉ」
「いえ、お楽しみの所をお止めして、申し訳ありませんでした」
「ワシも、こうなっとるとは気づかんかったでの、気にするでない」
「お心遣い感謝します」
ふぅっと息を吐きだすと、右腕の線は巻き戻したかの様に宝珠へと収まっていく。
再度、右手を握ったり開いたりして感覚を確かめる。さっきのは何となく魔手が顕現するギリギリの様な感じだった。
近ごろは魔手の威力が過多すぎるので、場合によってはさっきの状態を利用するのも手かもしれない。
「セルカ様、朝食までもうしばらくございますので、一度お部屋に戻り汗を流してきては如何でしょうか?後ほど部屋にお呼びにあがります」
「ふむ、そうじゃの。そうさせてもらうとするかの」
「かしこまりました」
部屋に戻り、シャワーを浴び終えれば手持無沙汰となってしまう。ライニが呼びに来ると言ったがまだそれほど時間もたっていない。
カルンもまだ寝ている、さりとてもう一度運動などして汗を流すわけにも行かない。
「庭にでも行ってくるかのぉ…」
部屋を出て丁度よく通りすがったメイドに、ライニが探して居たら庭にいると伝えてくれと言付けを頼むと、その足で庭へと向かう。
庭に出ると、初めて来た日に行った花壇などがある一角へと向かう。
「おはようなのじゃ、セイルお兄様」
「あぁ、セルカか、おはよう」
目を瞑って腕を組み、ガーデンチェアに腰を掛けていた先客に声をかけると、ゆっくりと目を開け組んでいた腕を解き挨拶を返してくる。
「どうしたのだ?こんな朝早くに」
「なに、早くに起きすぎてのぉ…。すやぁっと寝ておるカルンを、起こすわけにもいかぬとここに来たわけじゃ」
「そうか」
一言残し、再度目を瞑り腕を組んで静かになってしまう。
「ところでセルカよ」
「んぅ?なんじゃ?」
ワシもガーデンチェアに座り、しばらくぼうっとしていると、おもむろにお兄様が口を開く。
「いやなに、最近体調はどうかと思ってな」
「はて?特に問題はないがの?」
「そうか、それならいい。急に吐き気がしたり、すっぱいものを食べたくなったら、遠慮せず言ってくれよ?」
「んんん?」
その内容から言いたいことは分かるのだが、お母様やライニなら兎も角、お兄様がそこまで気にするのがよくわからない。
義妹を気遣う優しい義兄だと言えばそれまでだが、そう思っていたのが顔に出たかは知らないが、ため息と共に再度セイルお兄様が話し出す。
「すまない、変な事を言ったな。かわいい弟に子供ができるのはうれしい、うれしいんだが…兄さんが…ケインが父さんと母さんの言葉を気にしていてな」
「と言うと…ワシに子が出来たら、カルンが次期当主とか言っておったあれかの?」
「あぁ、そうだ」
「しかし、あれは発破をかけるための冗談のようなものじゃろ?」
「そうなんだがな…実際過去に、長男が当主を継いだはいいが全く子が出来なくて、結局子がいる次男に家督を譲らされた話があってな」
「それで気に病んどるということか…」
「そうなるな…、父さんや母さんもすごく楽しみにしてる手前、兄さんに子供ができるまで待ってくれとは流石に言えないし、正直自分も楽しみなんだ。兄さんも楽しみにしてるとは思うのだけれども、次期当主という肩書はなかなか重くてね」
セイルお兄様が、やれやれと頭を振る。
「なるほどのぉ…とは言え心配する必要は無いと思うがの」
「それはどうして?」
「正直に言えば、ワシもカルンとの子は早うほしい。けれどものワシは長命種の上に獣人じゃ、なっかなか子は出来ぬと思うんじゃよの」
下腹部をそっと撫でながら、セイルお兄様の疑問に答える。
「そうか…それなら安心と言うのは悪いな。と言っても、あとは兄さん次第だが」
「そうじゃの、子ができにくいとは言ってもさすがに百も二百も待てんからのぉ」
「セイル坊ちゃんにセルカ様、ご歓談のところ失礼します。朝食の準備が整いましたのでお呼びに上がりました」
二人して笑いあっているところに、丁度良くライニが呼びに来た。
「そうか、うむ。すぐに向かうのじゃ」
腰を上げ屋敷へと向かう。
「あぁ、でも兄さんまで結婚したら、自分の肩身がますます…はぁ」
背後から聞こえる悲しい独り言は聞こえなかったことにして、食堂へと向かうのだった。




