960手間
招いた男は挨拶された時以降、ワシに会うことは無い。
身分が違うというのも理由だが、いや、それが理由の全てか。
どうも彼は目上の人に接するのが苦手らしい、どうりで狩猟小屋で彼に会わなかったはずだ。
アニスによれば侍女や使用人たちとは普通に接しているらしいのだが、彼女らも貴族の子息、子女なのは知っているのだろうか。
報告によれば、馴れ馴れしく接している訳では無いので問題はないか。
「アニスや、教育の状況はどうなっておる?」
「はい、今は病気になった際の対処法を学んでいるそうです」
「ふむ、どういうことをするのじゃ?」
「私が聞いた範囲ではございますが、あまり人と変わらないようです。薬草なども人と同じようなものを使えるそうですので、病気かどうかが分かれば対処自体は問題ないかと」
「ほほう、それはよいのぉ。久々に薬などを作っておくかのぉ」
最近はクリスが騎士の訓練に出ないお蔭で、傷薬などを作ることも無くなっていたのでいい機会だ。
といってもワシが作れるのは簡単な胃薬や解熱薬くらいなものだが、これから食べるものが増えてくる子狼たちには丁度良いだろう。
それにしても人と同じ薬草やらが使えるのは本当に助かる、わざわざ専用の物を用意する手間が無いというのは良い。
覚える物が少ないというのは人に教えるのが楽にもなるし、そうなれば飼える人が増えることにも繋がるだろう。
一先ずは、あの子たちが無事に育つことが肝要ではあるが。
「とりあえず、作り置きできる物を用意しておくかの」
そういってワシは調合机へと向かい、あとは煎じたり薬研で粉にするだけといった物をテキパキと作ってゆく。
軟膏を作ろうとしてハタと手を止める、毛があるし軟膏はあまり意味がないかとも思ったが、傷薬ならば問題ないかと止めていた手を動かす。
しばらく夢中で作業していたが、久々の調薬ということで調子に乗ってしまい、必要以上に作り過ぎてしまった。
いくらしばらく置いておける物だとしても、そうそう頻繁に子狼たちに体調を崩してもらっては困るし、何よりせっかく作ったというのに使われないのは勿体ない。
「アニスや」
「はい、何でしょうか?」
「ちと薬を作り過ぎてしもうたからの、後で別けておくから好きに持ってゆくがよい」
「私どものような者にまで配慮いただき、ありがとうございます」
ただ単に作り過ぎたから持って行ってということだったのだが、何を勘違いしたのかアニスは感動した様子で深々と頭を下げる。
そんな殊勝なことではないのだが、悪い勘違いでも無し薬を無償で配るというのは間違いないのだし、勘違いさせたままでいいかと早速持っていい量を小瓶に分けてゆくのだった……




