942手間
入浴やマッサージが終われば、本来時間が掛かる髪や尻尾の乾燥はワシの法術で一瞬なので、残るはドレスの着付けだ。
とは言え朝一番で風呂に入ったので、まだまだ祝勝パーティの開始時刻まで間があり、ドレスを着るには少々早い。
なのでライトの様子でも見に行こうと思ったのだが、毛と臭いが付いてしまいますといつになく強い口調でアニスに止められてしまった。
毛が付くというのは理解できる、ワシの尻尾に絡んだら取りにくい上に色味が違うので目立つだろう。
しかし臭いの方は理解できない、いや、独特な獣臭さがあるのは分かる、分からないのはそれが発生源ならばともかく、人に移った臭いをヒューマンが嗅ぎ分けれるのかということだ。
「香水なんかを付けておるもんが大勢来るのに、そんなことがわかるのかえ?」
「恐らく分からないとは思いますが、お嬢様のお使いになっておられる香水は香りが弱いものですので、香りが消えたり、万が一匂いが混ざって変なものになってはいけませんので」
「ふむ、なるほどの」
アニスの説明にワシは腕を組み、なるほどと首を縦に振る。
薬草などでも単体ではとても良い香りなのに、混ぜ合わせると途端気付け薬に使うほどに激臭を放ち始めるものもある。
ワシは香水を普段使わないこともあって組み合わせなど知るはずもなく、ここは様子を見に行きたい気持ちをぐっとがまんする。
「して、着付けまでの間は何ぞあるかの?」
「いえ、お時間になりましたら着替えて頂きますので、それまではごゆるりとお過ごしください」
「わかったのじゃ」
とはいえ今出来ることなどたかが知れている、薬草などを弄ろうにもそれこそ匂いが強い物が多いので扱えない、アイオと遊ぼうにもこっちもライトと同じ理由でダメ、一人で体を動かすのもお風呂に入った後なのでダメだ。
となればゴロゴロするか本を読むか、幸いアニスが選んで持ってきた本はまだ残っている、ならばとアニスに本を読む間に呑むお茶を用意するよう指示して、ワシは本を選び暖炉の火が丁度よい椅子へと移動する。
しばらく部屋に頁をめくる音と泥炭がはぜる音だけが響いていたが、そこへノックの音が混じる。
「お嬢様、ドレスが届きましたのでそろそろ」
「んむ」
アニスの声にワシは顔をあげ、読みかけの本に栞を挟み立ち上がる。
持ってこられたドレスは、試着などを繰り返されたわりには面白味のない、といえば聞こえは悪いがオーソドックスなベルラインとプリンセスラインの間のようなスカートの広がりを持ったスタイル。
スカートに重ねられたレースなどに細かい刺繍は施されているが、それ以外には目立つ飾りのない非常にシンプルな物。
白いレースを重ねたスカートの上に羽織る様に一枚、胸元が殆ど出ていない浅いスクエアネックの上半身から続く緋色に金の刺繍が入った色味も随分と落ち着いている。
一言で表すならば如何にもな貴族のドレスといったとところだろうか。
付け加えるならば、一人では着れないところも正しく貴族のドレスと言えるだろう。
レースなどを崩さないよう慎重にワシへとドレスを着せる侍女を尻目に、着せ替え人形のようにドレスを着せられるワシは、することも無いので着付けが終わるのをじっと壁を眺めて待つのだった……




