937手間
ドレスに関するあれやこれやもなりを潜め、あとは祝勝パーティの日取りまでのんびりと過ごす日々が続く事となる。
そんな有閑なひと時の慰めにと用意された本を、ワシは自室しゅるりしゅるりと一頁づつゆっくりと読み進める。
内容を一言で表すならば王道の恋愛小説、低位の貴族令嬢がヒロインの高位貴族の嫡男とのラブストーリー。
令嬢を認めない侍女の陰湿な嫌がらせや、嫡男と懇意なりたい他の高位貴族の令嬢の手引きによるヒロインの誘拐。
様々な困難に打ち勝ち最後は周囲にも祝福されてのハッピーエンド、その後二人は仲睦まじく過ごしました、めでたしめでたし。
奇をてらうようなモノも無いこの小説は、かなり昔に出版され、重版に重版を重ねたこの国の令嬢ならば知らぬ者が無い、大ベストセラーとは持ってきた侍女の言。
この手の話でお決まりな王子と平民の娘という組み合わせで無いのは、本を入手できるのは貴族の娘か裕福な家の娘だからであり、ついこの間までこの国には王子さまが居なかったからだ。
恐らくこれからは、王子さまが登場する話も出てくるだろう。
「意地悪な侍女は物語の定番じゃが、本物であるおぬしらはどう思っておるのじゃ?」
「愚か、としか言いようがありません。食事を抜いたり装飾品を盗んだりなどと……その様なことをすればお咎めは自身だけでなく類する者にまで及ぶというのに」
ふと本職の者はどう思っているのかと近くに居たアニスに聞いてみれば、物語の中の人物のことと分かっているからか、言葉こそ蔑んでいるがその声音はただ評価を下すかのような淡々としたものだ。
嫌がっているかと思っていたが少々違う反応に、ふむ、と考え込んでいるとワシの内心を組んだのかアニスが先んじて答えを出す。
「私も小さい頃に字の勉強の傍らこの物語を読んだことがありますので、はじめこそ侍女に憤りもしましたが行儀見習いに出され侍女を知るにつれ、私はこの物語の侍女を真似しない様にと思うようになりました」
「ほほう、なるほどのぉ」
子供に字を覚えさせるのに絵本は使ったことがあるが、小説を使うのは思いつかなかった。
どうしても絵本に書かれている文字は簡単なものばかりになる、更に踏み込んで教えるには書き取りなどをさせる必要があったが、なるほど小説で話に興味を向かせれば勉強嫌いな子でも進んで文字を学んでくれるかもしれない。
「物語で字を学ぶとは良い手じゃな、何ごとも嫌々やるよりも楽しんでやった方が身に尽くしのぉ」
「え? あ、えっと、お役に立てたのならば幸い、です?」
ワシの口から飛び出た感想が自分の思っていたものと違ったからだろうか、珍しくアニスがポカンとした表情で、変なところに疑問符をつけて答える。
「私頃はその物語が主流でしたが、これからはセルカ様のお話を物語が主になるのではないでしょうか?」
「ワシかえ? 確かにワシを主題にすれば話に事欠かぬとは思うが、恋愛物語ではのうて冒険譚になりそうな気がするのぉ」
食事を抜かれようとも一日どころか数か月は平気、装飾品が盗まれようとも大事なものは全て腕輪の中なので、それ以外が盗られようとも問題は無い。
直接何かを仕掛けようともことごとくを返り討ちで、誘拐など夢のまた夢。
どう考えてもか弱い乙女が主役の物語にはなり得ない、一致しているのは王子さまに見初められた可憐な乙女という所くらいだろう。
「そうじゃ、次は冒険譚などが良いのぉ」
「かしこまりました、何冊か見繕わさせていただきます」
「んむ、任せるのじゃ」
パタンと読み終わった本を閉じて脇に置き、アニスに次の本をと催促する。
そうやって室内で本を読み過ごすという、なんとも深窓の令嬢みたいなことを図らずも祝勝パーティの日まで続けるのだった……




