932手間
宝飾品を取り扱う商人の出入りが無くなり、祝勝パーティに着て行くドレスを仕立てる関係者だけが来るようになったが、商人に時間を取られない分を全て細かい調整や試着に使われることになってしまった。
だからだろうか、立ちっぱなしだったり待たされる時間が増えたワシを気遣ってか、今度はドレスのデザイナーたちが様々な蘊蓄を語り始めた。
糸の生産地やら布を織る職人が誰々だとか、はっきり言って扱う物が変わっただけで、喋っていることは宝石商たちと大差ない。
この国は言うまでも無く寒冷な地域であり、防寒も視野に入れて毛織物が主流だとか、思わずなるほどと言わずにはいられないような話もあったが、大抵は自慢に近い話だ。
要はさして面白くもない話を延々と聞かされるという訳だ、一日中マネキンのように立ちっぱなしでも疲れはしないが、一日が終わる頃には肩にズンと何かがのしかかっているような感覚をおぼえる。
そんな日々の中、クリスがわざわざ用事だと先触れを送って来た上でやって来た。
クリスは王太子なのだから、わざわざそんなことをせずとも何時でも訊ねて来ても問題は無いのだが、それ程重要な用事ということだろうか。
「忙しいのに悪いね」
「拘束されておるのが長いだけで、別に忙しい訳ではないからの。してわざわざ先触れまで出して何用じゃ?」
テーブルを挟み、お互いソファーに座り開口一番、クリスがバツが悪そうに話し出す。
「獣人のことを理解している文官を迎え入れたいと、皇国に使者を送ることが正式に決定した。同時にセルカの身の回りの世話を出来る者も、一緒に来てもらえたらと思っている」
「ふむ、それだけならば、わざわざワシに伝える必要は無いのではないかの?」
「それなんだが、使者を送るにあたって一つ問題があってね、それの解決にセルカの力を借りたいんだ」
「力を貸すのは吝かではないが、どういう問題じゃ?」
「簡単でいて実に難しい問題だ、我々は正式な使者であるという証明が出来ない。はっきり言って皇国とは国交が無い、以前贈り物が贈られてきたが、それは国交とは言えないだろう。何度かやり取りすれば大丈夫なのだろうが、流石に距離があり過ぎる。悠長に行き来していては話がまとまるまで何巡りかかるか分かったものじゃない。だからセルカに何か皇国を納得させることのできるような、物かなにかを貸してもらえないかと思ってね」
「ふむ、要は何か証明できる物が欲しいという訳じゃな?」
「あぁ、そうだ」
皇国に一発でワシ関係の使者だと分からせるような物……。
書状だけでは当然無理だろう、向こうが覚えるほどワシの書いたものなど残っていないだろうし、筆跡鑑定などもある訳が無いのでこれは無し。
となれば皇国所縁の品となるが、更に信用させるくらいの物となると自ずと絞られてくる。
「ワシが出せるものとなると、これくらいかのぉ」
「それは……」
ゴトリとワシがクリスとワシの間にあるテーブルの上に置いたものを見て、クリスがテーブルから思わずといった様子で、ソファーに座ったままテーブルから離れるように体を逸らす。
ワシがテーブルの上に置いたのは一振りの刀、ワシに捧げられた唯一無二の物、これならば確実にワシに関する使者だと分かるだろう。
「皇国でセルカが貰った剣か、それならば確実だろうが、それはセルカ以外は触れないんじゃないか?」
「んむ、このままではそうじゃな。じゃからこうするのじゃ」
テーブルの上に置いた刀に触れるか触れないかの位置に手をかざせば、パキパキと音を立て刀が鞘ごと薄緑の結晶に覆われてゆく。
「これならば大丈夫じゃろう、全てワシのマナで固めておるから、万が一紛失してもワシには場所が分かるしの」
「ありがとうセルカ、必ず無事に返すよ」
弾んだ声で晶石に覆われた刀を取ろうとしたクリスの横から、さっと素早い動きでフレデリックが刀をかっさらってゆく。
「セルカ様の為されたことなので大丈夫だとは思いますが、万が一があってはいけませんので、クリストファー様はお触れにならないよう」
分かったと言う代わりに大袈裟に肩を竦めるクリスを、ワシは苦笑いが見られないよう口元を手で隠し眺めるのだった……




