91手間
祝福を受ける当の本人よりも浮かれているお母様が、一番乗りとばかりに足取り軽く教会へと入っていく。
その後を駆け足気味に追いかけ、お母様の脇から教会の中を覗くと、ライニが既に神官と何やら話し込んでいた。
「あやついつの間に…」
「あら?さっき入っていったわよ? 今回は、ちょっと特殊だからその説明の為にね」
「あぁ、そうじゃったのぉ」
教会の中は、像やステンドグラス、パイプオルガンが無いくらいで、教会と聞いて思い浮かべる白を基調とした落ち着いた内装だった。
「ワシら以外誰もおらんの」
「普通は日が昇る頃や、沈む少し前にお祈りにくるのよ。だから今は貸し切りね」
「お待たせしました、この扉からお進みください」
キョロキョロと教会内を見て、お母様と話していると、渋くよく通る声の老神官がいくつかある扉の内の一つを開けて、中へと促す。
扉の中は、窓一つない実にシンプルな空間、唯一中央には祭壇の様な木製の箱状の物の上に、広げた週刊誌程度の大きさの薄緑色の晶石で出来た石板が斜めに立て掛けてある。その手前には小さな子供であれば十分一人寝転がれるくらいのスペースが空いていた。
「その石板の両端に手を置いていただき、今回は自らの名を言ってください。誰かにまだその名が与えられていなかった場合は名だけが石板に浮かびます。仮に与えられていた場合はどの石板で名が与えられたかが浮かびます」
「それだけでいいのかえ?」
「ええ、どちらの結果にしろ、その後礼拝堂に戻りまして祝福の儀式を行います、儀式と言いましても名を授けて下さった事に感謝を捧げるだけですが。本来は生まれたばかりの子の為のものですから簡素なんですよ」
「なるほどのぉ…。確かに小さい子を相手に、長々と儀式なぞしおってはぐずって仕方が無かろうしの」
「その通りです。昔はもっと儀式などで長かったそうですが、長い儀式より子供をあやす方が大変だと気づいて今の形式になったそうですよ」
「それではワシがここでぐずってもいかんし、さっさと終わらせてしまうかの」
石板に歩み寄り、やはり小さい子向けなのか、いささか低い位置にある石板に体を若干屈めて手をつく。
「セルカ」
名を唱えると、たちまち石板は薄緑の光を放ち始める、光量は強いのにこれほど間近で見ても全く目が痛くならない不思議な光だ。
「こ、これは…」
「む?何か問題でもあったのかえ?」
老神官の少し狼狽した声に、思わず聞き返す。
「い、いえ…これは…この光は既にどこかの教会で名を授かっている方の反応です…が…いったいどこで…?」
老神官は石板を覗き込み、不思議そうに首を傾げる。
「どういうことじゃ?」
「この場合、石板にどの石板で名を授かったか浮かぶのですが…何もないんですよ」
確かに石板はただ光るだけで、何も表示されたりはしていない。
「しかし、この反応は間違いなく世界樹から、正確には女神様から名を頂いている証拠…うーむ?」
「あっ!」
「どうかしたの?セルカちゃん」
ワシが出した声に、今まで静かに見守っていたお母様が声をかけてくる。
「いや、思い出したのじゃ。ワシの名は確かに女神さまから貰ったものじゃ。こういう石板などを使った儀式では無かったから気づかんかった」
そうじゃった、ワシは女神さまから直接、名を貰っておる。
「あぁ、そういえば言ってたわね。セルカちゃんの里で信仰してる女神様と世界樹の女神様は同じ存在かもしれないって」
「なるほどなるほど、そうでしたか。同じマナが巡っているのです、違う場所で違う者が同じ方に祈りを捧げていても不思議ではありませんね」
「なんかすまんの?」
「いえいえ、また一つ尊い教えを聞かされた気分です。さてそれでは、既に名を頂いた際に済ませているかもしれませんが、感謝の祈りを捧げましょう」
少し上機嫌な老神官がそう言って、礼拝堂へと先に向かう。
「こちらでお祈りを捧げれば終了でございます」
そういって指し示すのは、前世の教会で言えば丁度像やステンドグラスを仰ぎ見る位置になるだろうか、その前には花が添えられた講壇がある。
「お祈りの所作を知らぬのじゃが」
「おっと私としたことが、失礼しました。まず跪いて左手を右胸に当て、右手は軽く握って額に当たらないくらいの位置へ、これが祈りでございます」
「わかったのじゃ」
言われた通りのポーズをとり、名を貰った事の感謝を女神さまへと捧げる。
ついでに元気でやってるとか、近々ここで結婚式しますとか近状の報告をする。
たぶん見てるんだろうけど。
「これで良いのかの?」
「えぇ、結構です。それにしても熱心にお祈りされてましたね?」
「う、うむ。感謝もそうなのじゃが、元気でやっておるーとかそういうのをの」
「なるほど、獣人の方はあまり女神さまを信じないと思っていましたが、獣人でこれほど敬虔な人を見るのは初めてです。まだまだ私も認識を改める事だらけですなぁ…」
敬虔、とはちーとばかし違うがの、と心の中でツッコミを入れる。
「なんにせよ、これでセルカちゃんも正式に教会の信者ね」
「う~む、何とも実感がわかんのぉ」
「セルカちゃんというか、セルカちゃんの里は元々女神様の信者みたいだし、そのせいかもね?」
「かのぉ?」
「奥様、そろそろ」
「おっといけないわ、この後も行かなきゃいけない場所があるから行かないと」
「そうですか、それではお気をつけて。ここは何時でも扉を開いて待っております」
老神官に背中を見送られ教会を後にする。
「さぁさぁさぁ。これで横やりを入れられる事も無くなったし、お買い物に行きましょ!」
カルンが馬車に乗ろうとするが、それすら待てないのかお母様がワシの背中を押して、さっさと馬車に乗り込んでしまう。
乗り込んだ馬車は、お母様の気持ちを反映したかのように軽やかに走り出す。
商店区画、文字通り様々な商店が立ち並ぶその一角、来たどころか近寄った事すらない見るからに高級そうなお店が集中した場所、その中の一店の前で馬車が止まる。
「着いたわね、ここが私がいつも注文してるお店よ」
「おぉ…いかにもすごそうなお店なのじゃ…」
「ここは生地も仕立てもセンスもいいのよね」
「うぅむ、ますます高そうな雰囲気じゃ」
「お金の事は、心配しなくて大丈夫よ。こう見えて私は稼いでるんだから、もちろん税とは別口でね」
「いや、ワシの服なんじゃし自分で出すのじゃよ」
「その意気やよし、けど今日はお母さんに買わせなさい!」
確かに高そうだが、散財らしい散財をしたことも無いので、余裕で家を買えるほど持っている。
と言うよりも坑道からの定期収入がすさまじく、一着が家と同価値でも数着は買えるくらいだ。
お母様は、その定期収入を管理してる側の人なので当然知っている筈だが、有無を言わせず自分が買い与えると張り切っていた。
「あっ、カルンは馬車でお留守番ね」
「えっ!?」
「下着も取り扱ってるんだけど…来る?」
「いえ、遠慮しておきます」
「そうしなさい、それじゃ行きましょうか」
今度こそエスコートを…と動くカルンの機先を制したお母様に言われるまま、カルンは浮かせた腰をストンと落とす。
「うふふ、下着も扱ってるとは言え、ちゃんと中で区切られてるから別についてきてもよかったんだけどね」
「む?それならばなぜ?」
「どんな服を買うか見られるより、着てお披露目したほうがいいでしょ?」
「確かに!」
その一言で、待たせて申し訳ないと言う気持ちは霧散し、ワシもお母様と同様、足取り軽くお店へと向かうのだった。